悪い所を直す…ではなく良い所を引き延ばす!?
――86は2012年に登場以降、様々なカテゴリーで盛り上がりを見せています。その一方でGAZOO Racingは「人を鍛え、クルマを鍛える」をキーワードにニュルブルクリンク24時間耐久レースを中心に活動を行なっています。86をベースとするGRMN86を開発するにあたり、どのようなコンセプトを掲げたのでしょうか? 過去にGRMNはiQ/ヴィッツをベースにしたモデルを開発しています。これらのモデルは普通のハッチバックをスポーツカーに仕立てたモデルですが、86は元々スポーツカーですよね?
野々村:当時86の開発には私は携わっていませんが、GRMN86を開発する上で量産車に乗って感じたのは、先人たちの“根性”が感じられました。ドアを開けて乗り込み、10km/hくらいで走っていても「何か気持ちいいよね」、「何か楽しいよね」と解るクルマ。私はその数値で表せない「何か」が大事だと思いました。そこで考えたのが、「コントローラブルなFR」、「NAエンジンの気持ち良さ」を継承しよう。GRMN86はベースが持つコンセプトを活かすべきだと考えました。よく「ターボじゃないんですか?」、「250psくらいにしませんか?」と言われますが、素性を上げていく…という意味では違うなと。もちろん、86にも良い所も悪い所もあります。悪い所を引き上げる…では今までのトヨタ的になりそう(笑)なので、良い所を引き延ばすための開発を行ないました。
――つまり、GRMN86は86シリーズの中のトップモデルでもあるわけですね?
野々村:86はスポーツカーといえども数万人のユーザーを対象にしたモデルなので、尖がれない部分もあります。「あまり重視していない」と言いながらも、燃費や排ガスもある程度のレベルをクリアしなければいけません。しかし、GRMN86はユーザーの幅が狭くなるので、ある意味“性能優先”にできます。例えば、空力の面ではダウンフォースを増やしています。ダウンフォースが増えるとドラック(抵抗)は増え燃費は悪い方向になります。また、アクセルのレスポンス(応答)も鈍らせれば燃費はよくなりますが、このクルマはそうではありません。そういう意味では86のピラミッドの頂点に立つクルマと考えています。
――その一方で、GRMN86はニュル24時間参戦のレースカーのロードゴーイングバージョンと言う位置づけでもあります。そう言う意味では、これまで以上にGAZOO Racingの活動とより密接になった気がしますが。
野々村:GRMN86の開発とレースの活動時期はラップしていましたので、お互いに開発情報を共有しています。例えば空力の面で言うと、GRMN86でやっているけどレースに使うことも視野に入れた開発をしています。実はVLN(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)で新規開発のフロントスポイラーをレースカーに投入したのですが、ドライバーから「運転がしやすくなった」と。結果的に走りやすくなりタイムも出るようになりました。そのため、GRMN86は全く同じ形状を採用しています。
――様々なアイテム開発は、レースカーと市販車でどちらが先だったのでしょうか?
野々村:私はGRMN86の開発をしながらも、常にレースカーのデータを見ていましたので、両方見据えていたというのが正しいですね。レースだけ見ている人は、保安基準は考えずにレースのレギュレーションに合わせたパーツ開発をします。でも私の場合は保安基準を守っても同じ性能が出るかもしれない…という考え方でした。ただ、「保安基準を満たしているから性能が落ちた」と言われるのはエンジニアとして嫌なので、同じ性能を出せるようにトライをしてきました。
――他にも、レースカーとGRMN86で同じアイテムを使用してテストをしたことはありますか?
野々村:ボンネット形状はダクトの開口部や冷却性など、ナンバー付きモデルとしての性能も見極めながらレースカーに投入しました。
ニュルで鍛えて解った事は速いクルマは「運転が楽」で「快適」
――モータースポーツは世界に様々なカテゴリーが存在します。その中でGAZOO Racingはなぜニュル24時間耐久レースにこだわるのでしょうか?
野々村:ニュルブルクリンクは「世界で一番過酷なテストコース」と言うのは良く知られています。それも非常に大事なのですが、もっと重要なのは「24時間連続して走る」という部分だと思っています。ニュルで一発のタイムを出すことも称号の一つだと思いますが、「そのクルマで24時間走れますか?」というと難しいでしょう。私は「24時間を“速く”走るということはどういうことなのか?」を考えました。例えば空力は結果的にダウンフォースも増えていますが、そこが目的ではなく、「ドライバーがより快適で楽に速く走るためには?」という観点で開発を行ないました。
――エクステリアは他のGRMNモデルよりシンプルな形状に見えますが…。
野々村:ベースが86である…というのが大きいです。スポーツカーの形状を変えるのは見た目ではなく“性能”という判断です。インテリアもステアリングやシートなども機能部品となりますが、これまでのGRMNファミリーに合わせた意匠になっています。
――運転を楽にするために“空気の力”を使った…ということですか?
野々村:ダウンフォースを増やすだけでなく、前後配分、エアロ中心がどこにあるのも気にしています。もちろん風洞やCFDなどで検証もしていますが、それは技術者のベースデータでしかありません。最後はドライバーに味を見てもらっています。話は少しズレますが、実はGRMN86は乗り心地も重視しています。
――スポーツカーなのに、ですか?
野々村:ニュルブルクリンクは路面もうねっている上に縁石を使ったほうが速いコーナーもあります。そんなステージで乗り心地の悪いクルマだとドライバーに負担をかけてしまいます。それは一般ユーザーが使った時に扱いきれないことも意味しています。レーシングドライバーの影山正彦選手も言っていますが、「速いクルマで乗り心地の悪いクルマはない」です。実は乗り心地が悪いスポーツカーは技術者の言いわけで、私の持論は乗り心地と操縦安定性は両立できると思っています。GRMN86は明らかにスポーツカー然としたモデルではありますが、乗り心地にプライオリティを置いています。
――では乗り心地と操縦安定性を両立させるために、どのような事をしたのでしょうか?
野々村:まずボディのねじり剛性を高めています。ボディは操縦安定性に効くと言われますが、実は乗り心地にも良く効きます。GRMN86ではノーマルの1.8倍くらいの剛性が出ています。そのボディをベースに、サスペンションは綺麗に動くように低フリクション化をしています。ただ、やりすぎると操縦安定性とのバランスもありますので、横剛性とのバランスを見ながら、低周波から足が追従するようにセットしています。
――それはニュルブルクリンクで鍛えるから、そのような考えになるのでしょうか?
野々村:そうですね。サーキット専用モデルなら違った回答もありますが、GRMNがやることではありません。誰でも楽に速く走れる=運転に集中できることを意味します。クルマと格闘している限りは誰でも…という意味では難しいでしょうね。このクルマはトヨタの東富士研究所や日本のサーキットで5割くらいに仕上げてニュルに持っていきました。最近はトヨタも経験が増えてきましたし評価ドライバーのスキルも上がっていますので、極端に外すことはありませんね。
数値/スペックを追求せず楽しさ/気持ち良さを追求した
――2014年ニュル24時間耐久レースに参戦した86はクラス優勝を獲得しましたが、ドライバーからは「走る/曲がる/止まる」のバランスが非常に高いと聞きました。この辺りはGRMN86との共通項はありますか?
野々村:主に空力やエンジンなどですね。足回りはタイヤが異なりますので同じ数値にはなりませんが、バランスや方向性などは共通です。実はGRMN86の試験車にニュル参戦車用のスリックタイヤを履いてテストもしてみたのですが、ある程度履きこなして走れるクルマになっています。
――えっ、ナンバー付きの市販車なのにスリックタイヤも許容しているんですか?
野々村:はい。ただ、それを全面に押し出してしまうと、世の中の認識からズレてしまうので、大きな声では言いませんが…(笑)。
――でも、そこまで徹底的に鍛えている証拠にはなると思います。
野々村:GRMN86を開発する上で、「ニュル参戦車の良さはどこにあるのか?」を検証したことがあります。ロールバーが入っているボディ剛性なのか? クルマの軽さなのか? 先行投入したエンジンのパワー感がいいのか? それともタイヤなのか? それらをすべて切り分けて考えないと、GRMN86のレーシングカーにナンバーを付けたクルマになってしまう恐れもあったからです。それを確認するために試験車にニュル参戦車のスリックタイヤを履かせてみたのです。そこでわかったのが「タイヤがキモ」だと。そこでGRMN86用にタイヤを新規開発することにしました。それがブリヂストンと共同開発した「ポテンザRE-71R」でした。
――ノーマルの86はタイヤに頼らない開発をしてきましたが…。
野々村:全ては車両のコンセプトだと思います。GRMN86は剛性もシッカリしている、足もしなやかに動く、重心も下がったことで結果的にコーナリング性能が上がっています。その中で「最適なタイヤは?」がこれだったということです。
――ちなみにボディ剛性は1.8倍と聞きましたが、軽量化に関してはどうでしょうか?
野々村:軽量化は絶対数を求めるのではなく、物理の法則に則って行なっています。車体の上側、ボンネット/ルーフ/トランクをカーボン化やウィンドウの樹脂化などをしています。また、2シーターという企画でしたのでリアシートも外しています。ただ、軽量化の目標値は置いていません。数値のために奔走してバランスの悪いクルマになるのは避けたかったからです。実は試作車を他社の役員に乗せたことがあるのですが、走行後に「車両重量は何kgだ?」、「●●kgです」と答えると、「その重量に思えない、それより50kgは軽い感じがする」と言われました。低重心化や足回りの違い、エンジンの吹け上がりの良さなどなど、人間が軽く感じる要因は様々なのです。
――つまり、絶対的なスペックよりも官能性を大事にしたわけですね?
野々村:単品で開発しているとスペック主義に陥りがちです。GAZOO Racingでは総合的に企画、総合的に設計、総合的に評価をしているので、クルマ全体を見ることができます。それぞれのパートの目標は何となく持っていますが、シャシー屋でもエンジン屋でもなく“クルマ屋”として動いているのです。
――そこが量産車開発チームとGAZOO Racingの最大の違いなのでしょうか?
野々村:大きな組織も大事ですが、重要なのはGAZOO Racingという小さな括りの中でクルマ全体を知った人が量産車開発に戻ることで、色々なメリットも生まれる…ということです。GAZOO Racingの活動はニュル24時間参戦やGRMN/G’sを開発することだけではありません。そこで培った技術やノウハウ、精神を量産車開発に伝承することも狙っています。
ニュルの味、走りの良さはガレージを出た瞬間に解る
――ちなみにボディ剛性アップはどの辺りを中心に行なっていますか?
野々村:リア周りが中心です。補強しながらねじり剛性/曲げ剛性の定量値を計測し、補強した部分がフィーリングにどう影響するのかを検証しながら進めました。
――フロントはどうでしょうか?
野々村:色々検討しトライをしてみたのですが、結果的にノーマルのタワーバーが最適なバランスだと解りましたので、そのままです。
――剛性アップの方法は色々ありますが、GRMN86ではどのような手段を?
野々村:86はスバルとの共同開発モデルですので、スバルに迷惑をかけることはできません。GRMN86はあくまでのトヨタ独自の企画として内部で設計や実験ができることをベースにしていますので、結果的にアドオンパーツが多いです。
――鍛えた車体/シャシーに組み合わせるサスペンションの考え方はどうでしょう?
野々村:スポーツカー=足回りは硬いという昭和の香りからの脱却を狙い、走る道を選ばず意識して乗れることを目指しました。乗り心地とハンドリングの両立はもちろんですが、シッカリとショックを吸収し、シッカリと動く“黒子”のような存在です。減衰力は調整式にしていますが、これは走るステージに合わせた推奨値も公開したいと思っています。
――パワートレインはどうでしょう。出力も上がっていると聞いていますが?
野々村:高回転化も検討しましたが、扱いやすくて速くて楽しい…という考えから、4000~7000rpmで出力を上げる方向でセットしています。吸排気系の変更とエンジン内部の低フリクション化により、フィーリング/レスポンス共に上がっています。結果的にドライバーの期待値に合ったエンジンの伸びが出ていると思います。
――トランスミッションのギア比との関係はどうでしょうか?
野々村:乗られるユーザーはそれなりのスキルを持っていると想定していますので、ギア比のクロス化やファイナルのローギアード化など、エンジンとのバランスを含めて色々試した最適解を盛り込んでいます。
――走る/曲がる性能が大きくアップしているようですが、止まる性能はどうでしょうか?
野々村:ノーマルはサーキットに行くと物足りない部分もあると思います。多くの人はスポーツパッドに交換していると思いますが、制動力は上がるけどコントロール性が難しい。そこでGRMN86は「ブレーキはどうあるべきか?」を考えました。その結果、対向キャリパーの採用に加えてローター径の拡大を行なっています。温度が上がらない=ノーマルのパッドが使える=制動力とコントロール性が両立可能というわけです。現在設定しているアイテムでニュルでの連続走行も全く問題ありません。
――もちろん、モリゾウ選手もGRMN86の評価を行なっていますか?
野々村:開発初期の段階で乗ってもらいました。非常にポジティブな印象でここまで評価してもらえると思いませんでした。また、弊社の評価ドライバーは非常に厳しいのですが、現状で8割くらいと言うコメントをもらっています。まだ発売まで時間がありますので、100点に持って行けるように開発を継続していきます。
――GRMN86の開発で培った知見は、今後の86の進化にどのような影響を与えるのでしょうか?
野々村:私の上には86の市販車開発担当者がいますので、いい物は量産車にもフィードバックさせ、底上げをしていくことになると思います。
――どのような人に乗ってもらいたいですか?
野々村:このクルマはサーキット専用車やレーシングカーレプリカでもなく、レースで培ったノウハウを量産車に活かしたモデルです。ニュルの味、クルマの良さを味わってもらうために、サーキットはもちろんですが、まずは一般道で使ってほしいですね。素性の良さはガレージを出た時からすぐわかるクルマに仕上がっていますので。
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- 開発責任者
スポーツ車両統括部 野々村 真人
- 開発責任者