レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

176LAP

176LAP

こんな単純なことだけど、革命です

2016.7.26

「ゼッケンではない不思議な数字」

 今年のニュルブルクリンクを戦うマシンのボディに、見慣れぬ数字が点灯していることに気づいた人も多かっただろう。それはボディサイドやリアウィンドウなどに表示されていた。ゼッケンとは別の数字が光りを発していた。
 それは、そのマシンのレース順位の表示なのだ。LEDで昼夜問わず発光しつづける。刻々と変化する走行中のそのマシンの順位が、レースオペレーターからの遠隔操作によって表示されるのである。

マシンの順位がLEDで表示されていた

マシンの順位がLEDで表示されていた

「一目瞭然なのだ」

 これによって、コースサイドの観客がレース展開を楽しめるようになった。160台ものマシンが一斉にスタートすると、レースを開始して30分もすると順位がわからなくなってくる。どれが周回遅れで、どれがリアルバトルなのか。熱心なファンならば、レースモニターの分析や、スマホで順位確認することで情報を得られる。だけど、そこまで熱くはないファン、つまりコースサイドでBBQ観戦をしている人達には、とても便利なシステムに違いない。

コースの長いニュルブルクリンクではコースサイドで観戦する人も多い

コースの長いニュルブルクリンクではコースサイドで観戦する人も多い

 たとえば「10」と「11」が前後に並んでいれば、おそらくコンマ差のバトルだろうと想像がつく。同クラスのマシンが連なっていたとしても「10」と「50」だとしたら、一方はどこかで順位を落としたマシンなのだと判断できる。
 トップ争いならば、それなくしてもおよそ想像はつくが、このシステムがあれば「160」位と「161」位の最後尾争いだって興奮できるのである。
 何を隠そう我々レース関係者も、そのLED表示は重宝した。順位モニターの並んだ夥しい数の数字を目を細めて確認せずとも、マシンのウィンドウに目をやれば、少なくとも自分達の順位だけはわかる。これには助けられた。

ニュルブルクリンク24時間レースの順位モニター。おびただしい数字の一覧から順位を探し出すのは至難の業だ

ニュルブルクリンク24時間レースの順位モニター。おびただしい数字の一覧から順位を探し出すのは至難の業だ

「さあ走れと、急かされる!」

 こんなこともあった。
 予選中、ひとまずアタックを終えてピットで待機していた。僕はリアウイングにヘルメットを乗せて、次のアタックのタイミングを待っていた。目の前には、例の順位表示のLEDが点灯していた。そう、その数字がみるみる増えていくのだ。つまり、順位が落ちていくことを報せるのである。
「おいおい、そろそろアタックしなくていいの?」
 急かせられるようにしてコクピットに乗り込んだことがあったのだ。
 予選中も、ピットで待機中も、それは刻一刻と順位を報せてくれる。まるで感情を持った生き物のようにそれは、僕らの気持ちをコントロールしているようだった。

「アイデアお蔵入りで悔しい思いをした」

 実は数年前に僕は、スーパーGTで採用するよう提案したことがある。だがそれは実現せずに、アイデアだけがお蔵入れされたという経緯がある。スーパー耐久にも提案したが、それもコスト増を理由に却下されたのだ。
 当時はあまり、観客サービスへの意識が低かった。観客数減少に危機感があったのに、主催者の矛先は観客ではなくエントラントに向いていた。その頃僕はナスカー研究会に一員としてアメリカ詣でをしており、1レース20万人を熱狂させる仕掛けを学んでいる最中。エンターテイメントの神髄に触れたことでそんなアイデアを考えたのである。だが、あえなくお蔵入りとされたわけだ。
 だがそのアイデアとシステムがニュルブルクリンク24時間レースでようやく陽の目を見た。個人的な感慨は深い。

「もっと単純でもいいよ」

 ル・マン24時間でも同様のシステムが採用されていた。それはローマ数字ではなく、点灯するライトの数で順位を知らせるタイプだった。だが、情報が限られているコースサイドのファンにとってはありがたいものだと思う。よりレース展開に感情移入できたことだろうと思う。

ル・マン24時間では点灯するライトの数で順位を知らせる

ル・マン24時間では点灯するライトの数で順位を知らせる

 最近のSNS時代になって、デジタルデータによるレース観戦がしやすくなった。場内アナウンスが唯一の情報源だったことを思えば、隔世の感がある。
 スマホを抱えていれば、およその順位はわかる。本格派は、テレビモニターを持参するとも聞く。だが一方で、サーキットにいるよりテレビ観戦していたほうが、レースがわかりやすいという寂しい声を聞くことも少なくない。それではサーキットでのあの臨場感は味わえない。サーキットに来たのに、視線がモニターに釘付けでは味気ない。だが、こんな単純な「順位表示システム」ならば、サーキットならではの臨場感に触れつつ、マシンの激しい走りを拝みながらレース展開が把握できるのである。技術の進歩と関係者のちょっとしたアイデアによって、観客サービスが行き届くのだ。大歓迎だ。

ニュルブルクリンク24時間レース観客席

キノシタの近況

キノシタの近況

はじめて訪れたチェコ。二度の大戦でも戦火から逃れたことで、伝統的な建築物が残る美しい国だった。チェコの国民車ともいえるシュコダやタトラがそこかしこに走っている。見慣れないクルマばかりに包まれていると、遠い外国にきた気になる。とても充実した中央欧州だった。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
木下隆之オフィシャルサイト >