レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

187LAP

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「レーシングドライバーはアスリートなのか!?」

2017.1.25

「ジム通いをするヤングドライバー達の今昔」

 最近の若いドライバーのトレーニングメニューを観察していると、レーシングドライバーも正真正銘、身体スポーツマンになったのだなぁとつくづく思う。トレーニングに頻繁に通い、専属トレーナーに独自のメニューをプログラムしてもらい、汗を流している姿を見ると微笑ましく思うのだ。

 僕が若い頃は、今とはまったく異なる空気が流れていた。
「トレーニングなんてする奴はクソだ」
 そう言い切る先輩も少なくなかった。
 身体的トレーニングを必要としている時点でレーシングドライバーの資質が疑われたのだから不思議な時代である。
 夜明けまで酒を飲んでどんちゃん騒ぎして、二日酔いの頭でタバコをパカパカ吸いながら、それでも勝つ奴は勝つ。それがレーシングドライバーのあるべき姿なのだと。体を気にしてちまちまするより、豪放磊落こそがレーシングドライバーの美学だったのだ。それが昭和のレース界。
「トレーニングが好きやったら、かけっこや泳ぎの選手にでもなってたわ。そんな違うからレースしてんとちゃう!?」

木下コラム187LAPイメージ写真
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 とあるレースウイークの早朝、ピットのシャッターが開きはじめる頃、ある若手のドライバーが汗をかきながらチーム関係者に朝の挨拶をして回っていた。
「おはようございます」
 日が昇る前にサーキットにやってきて、コースを一周ランニングしてきたという。爽やかな汗を流しながら、朝にふさわしい笑顔を振りまいていた。
「おっ、トレーニングしていたのか!?」
「はい、こうして体をコースに慣らしているのです」
「そうか、感心だね」
「ありがとうございます」
 朝陽に肌が輝いていた。

 彼がレース前にコースをランニングするという噂は、瞬く間にパドックの噂になった。すると不思議なことが起こった。その選手の評価が高まるとばかり思っていたら実際にはそうではなかった。むしろ逆に、ネガティブな評判が広まったのである。
 曰く、トレーニングしなければ走れない奴。関係者へのアピールがわざとらしい奴。身体的な不安を抱えているひ弱な奴。まったく予想だにしなかった評判がパドックを駆け巡ったのである。
 実際に、数々の全日本王者に輝いた先輩ドライバーとて、日頃から体を鍛えているドライバーなど、ひとりもいなかったと思う。あるいは密かに鍛えていたとしても、誰もそれを口になどできなかった。何にもしなくて勝つ奴が偉い、の世界だったのだから。

「ウサギ跳びと滝行の日々」

 そうはいっても僕も、密かにトレーニングをしていた。ただし、そのメニューは、プロアスリートがするような理論的なものではなく、冗談とも本気ともつかない幼稚なものだった。
 たとえば、レーシングドライバーにもっとも負担のかかる首へのトレーニングはこんな感じ。「分銅付きヘルメット」をかぶったまま生活したこともあるのだ。ジェット型ヘルメットに、100gほどの鉛の板をガムテープでグルグル巻きにして、寝起きを共にする。常に首に一定の負荷をかけることで、横Gに耐えうる筋力を得ようという作戦である。
 だがこれは長くは続かなかった。たしかに首の鍛錬にはなったが、その前に頭皮があせもでかぶれてしまったのである。

 灼熱の耐久レースに備え、真夏の晴れた日に雨合羽を着たまま生活をしたこともある。コクピット温度はサウナレベルに達していたであろうし、クールスーツもドリンクの供給もなかった時代だから、ひたすら熱に耐えるしかなかった。熱中症などという病名もなかった時代である。
 雨合羽のまま炎天下に10kmランニングし、自宅に帰って水風呂に飛び込むのだから、ドクターがいたら失神するであろう荒業である。
 熱と脱水症状で頭がクラクラした。どこをどう走って自宅まで戻ったのか、覚えていなかったことも一度や二度ではない。というより、意識が残る程度の甘いトレーニングでは、効果はないのだろうとさえ勘違いしていたのだ。
 ただこれも、長くは続くなかった。暑いコクピットへの精神的耐性ができたことで少々の暑さでは驚かなくはなっていたが、いかんせん体に悪い。そもそも、これって本当に効果あるの!?と自らが気づきはじめたのである。

木下コラム187LAPイメージ写真
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 鉄下駄履いてうさぎ跳びの時代である。練習が終わるまで水を口にしてはならない時代である。真冬であってもTシャツ一枚で整列していなければならない時代である。そんな時代に近代トレーニングなど望むべきもない。いわんや、トレーニングしなければ勝てない奴はクソだ、となるわけだ。

木下コラム187LAPイメージ写真
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「そもそも身体的な素質が化け物なのだ」

 とはいうものの、その格言はあながち間違いではなかったのだろうと思うことがある。現在のマシンと比較すれば速度もコーナリンググリップも低いから、ドライバーに襲いかかるストレスは、今よりも軽微だっただろう。身体的疲労は、およそコーナリング速度に比例する。という意味で言えば、昔のマシンは今よりも厳しくはなかったのかもしれない。
 ただし、だから昔は楽だったと断定するのも過ちのような気がする。
 そもそもパワーステアリングなどなかった。ただただ闇雲に太いタイヤを履かせてコーナリング速度を高めていたからその重さは半端な次元ではなかったはずだ。いくらグリップが低いといってもね。

 もちろんクールスーツもない。そもそもバケットシートだった体をしっかりとホールドしていたかどうかすら怪しい。
 かつてのリザルトを調べると、さらに過酷さが想像できる。
 南アフリカキャラミ12時間耐久レースに二人で挑んでいたり、そもそも日本グランプリのR381だとかR382だとかの化け物を、6時間一人で走りきったなどという記録にも腰をぬかす。現代と過去と、どちらが過酷だったのかはここでは判断できないのだ。

木下コラム187LAPイメージ写真
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 振り返ってみると、往年のドライバーの体は皆、けたはずれに丈夫そうである。高橋国光さん、都平健二さん、長谷見昌弘さん、星野一義さん…。みんな例外なく、丸太のような太い腕をしている。
 おそらく昔のレース界を生き抜くには、卓越したレースセンスだけではなく、そもそも腕っ節が太くないと勝負にならなかったのではないかと想像する。たとえレースセンスが優れていたとしても、体が鋼のように強く腕が丸太のように太くなければ勝てなかったのだとさえ確信するのだ。
 トレーニングしなければ勝てない奴はクソ、という言葉にも納得するのである。

木下コラム187LAPイメージ写真
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「サーキットを走る日々が、トレーニングそのものだった」

 それでいて、年間の走行距離が桁外れである。現代のように、走行テスト回数が制限されてなどいなかった。年間200日走っていた、という話もよく聞く。僕もその時代の片隅に生きていたのだが、月曜日から金曜日まで朝から夕方まで走り続け、土日はホテルで静養、そしてまた翌週から5日間サーキットを走り回るという生活である。メーカー契約ドライバーはそんな過酷な生活を過ごしていたのだ。
「トレーニング!?走り終わったら休まないと体が壊れちゃうよ」
 サーキットを走ることが過酷なトレーニングそのものなのである。
 そう思ってみると、今の若いドライバーにトレーニングが必要なのは、走行時間そのものが少ないからの苦肉の策なのかもしれない。

 ともあれ、レーシングドライバーが過酷な環境で戦うアスリートであるならば、それはすなわち身体スポーツなのであって、体を鍛えることは欠かせないのである。
 走行時間不足を補うためには、日々ジム通いをする必要があるわけだ。

木下コラム187LAPイメージ写真
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キノシタの近況

キノシタの近況

スバルBRZでのスノードライブ三昧は最高だった。スバルだからAWDを堪能するのが筋だろうけれど、やっぱりFRには目がない。
しかも、久しぶりのスパイクタイヤ、路面とコンパウンドがミスマッチだったから、鬼グリップではなかったけれどね。だから滑った。
滑ったから楽しい。しばらくゴキゲンなシーズンが続きますね。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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