レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

196LAP

196LAP

「今年はタイチームでニュル24時間レースに参戦!(その2)〜ニュルブルクリンクであわや遭難!?」

2017.5.23

「まさかの出来事で、一瞬先は「闇」!?」

 ニュルブルクリンクの宿で荷を解いた翌朝、つまり「TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand」のマシンを初めて走らせるというその日の朝、カーテン越しに差し込む陽の光に起こされた時、体の筋肉がこわばっていることに驚いた。重いバーベルでも無理して上げ下げした翌日のように、大胸筋と上腕二頭筋がパンパンだったのだ。触れるだけで痛みが走った。
 筋肉痛の原因は、ほどなくして想像がついた。実は前日に、井口卓人からタイ仕様にモディファイされたレーシングカーの特徴を教えてもらっていた。
「タイ人ドライバーたちは、キュンキュンと鋭く効くブレーキが好みですよ」
「そりゃ怖い、ブレーキコントロール性が悪いよね」
「しかも、ABSをはずしたがるんですよ」
「ブレーキペダルを踏んだから、すぐにロックする!?」
「ちょっと触れただけでクラッシュしますよ」
「マジかよ……(汗)」
 そんなマシンでノルドシュライフェを攻めるのは命懸けである。
「パワステがあるかどうかも確認したほうがいいですよ」
「なかったら支えきれないね」
「FFにLSDを組み込んでスリックタイヤですからね」
 そんなマシンで耐久を走るのは、体力が消耗する。
 そう、井口卓人に脅かされた数々が忘れられず、夢の中に浮かんできていたのだ。おそらく何かにうなされた夢遊病者のように、ベッドの上で暴れていたに違いない。
 まだ走ってもおらず、夢の中で走っただけで筋肉痛なのだから、先が思いやられる……。

木下コラム196LAPイメージ写真
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 そうして迎えたサーキットでの走行では、正夢のごとく次々と試練が襲ってきた。
 全日本ツーリングカー選手権(JTCC)以来というFF+スリックタイヤのマシンはやはり、ほとんどアシストのないパワステだったから、夢の中で疲労した大胸筋と上腕二頭筋をさらに酷使したし、本当に、ABSもなかった。井口卓人情報は正夢だったのだ。
 それでもなんとかペースを掴み、「日本人けっこうやるじゃん」のタイムで周回していたの矢先のことだ。6時間レースで4名のドライバーが襷をつなぐ。ひとり1スティントで消化できる計算だが、名誉ある2スティントのご指名を受け、いい気になって走っていた時に悲劇は起こった。アンカードライバーまで任され、最後はベストベストで有頂天だったというのに、水を差すような出来事が起こった。
 好事魔多し、メインテナンスをサポートするザクスピードのミスにより、突然のガス欠ストップ。残り30分も残して燃料不足に陥ってしまったのである。
 マシンは推力を失い、力なくスローダウン。逃げるようにしてコースサイドにストップ。不運は重なるもので、ほぼ同時に無線も音信不通だ。
 ちょっと悲劇を気取って叫んでみた。
「アイ ハブ ノーパワー!! ノーパワー!!」
 中嶋一貴が2016年のル・マン24時間で口にした名言を、図々しくも借用させてもらった。だが、それがピットに届かない。
 僕はレスキューカーに引かれながら、スゴスゴと退避路からコース外に導かれた。レッカー車が車両と僕を回収しに来るまで、森の中で待機を命じられたのだ。

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 そして、ここから、さらに不思議なことが起こる。
 コース脇に退避させられ、途方に暮れている僕にオフィシャルが歩み寄ってきてこう言った。ビッグママと呼びたくなるような恰幅のいい女性だった。
「トラブルはエンジンかしら」
「Yes ガス欠ですね」
「あら、それは残念ね」
「じゃあ、身体は無事なのね」
 優しさに気も紛れた。
「今すぐに、レッカー車が助けに来るわよ。チームにも連絡はしてあるから、しばらく待っていればいいのよ」
「ありがとう」
「あらあら、寒そうね。温かいコーヒーでも飲む!?買ってきてあげるわよ」
 濡れたスーツに凍えるようにしていた僕を気遣ってくれた。
「バット アイ ハブ ノーマネー……」
 彼女は優しい笑みを浮かべ、人差し指をツッツッツッと左右に振ると、自家用車に颯爽と乗り込み、森の向こうに消えていった。ほどなくして戻ってきた彼女は、一杯のLサイズのホットコーヒーを手にしていた。
 コース上でストップしてから随分と時間が経っていた。冷えた身体に、気持ちの暖かさが優しく染み渡った。

木下コラム196LAPイメージ写真
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「助けはいつ来るのか⁉」

 だが、いくら待っても、レスキュー車はなかなか訪れない。
 レースはすでに終了していた。コースサイドのピットテントは、すでに片付けが始まった。コースを巡回するトラックが、赤や黄色のフラッグや、大小様々な消火器を回収していく。
「レース毎に、備品を回収するんだなぁ〜。ご苦労様です」
 などどうでもいいことをぼんやり考えていた。携帯電話を所有しているわけではもちろんなく、ピットとの通信手段も途絶えたままだ。僕にはそんなことを考えるしかすることがなかったのだ。リタイアしてからすでに1時間半が経過していた。
 時折、リタイア車両を荷台に積んだトラックがコース上を走り去る。
「GPSで、あなたの居場所は分かっているはずよ」
「それにしても、遅いですね」
「今日はリタイアが多いから混み合っているのよ」
「では、もう少し待ちます」
「ピットナンバーは!?」
「27番です」
「今、事務局に連絡するからね」
「チーム名は!?」
「TOYOTA GAZOO racing Team Thailandです」
「そう、タイ人なのね」
「いえ、日本人です」
「……」
 新調した僕のレーシングスーツには、日本とタイの国旗が刺繍されていた。
「タイ人ではないの⁉」
「国籍は日本人だけど、気持ちはタイ人なのです」なんてことを伝えようと思ったけれど、話が混乱しそうだったので、口にするのを諦めた。
「そろそろレスキューが来るはずよ。バイバイ……」
「バイバイ!」
「レスキューが来るはずだからね。バイバイ!?」
「帰っちゃうの……?」
「そうよ、バイバイ……」
 そして、あたりには誰もいなくなった。

木下コラム196LAPイメージ写真
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「忍び足で近づいてくる、身の危険」

 そのあたりから僕は、身の危険を感じ始めていた。汗で濡れたスーツは、体温をいたずらに奪っていく。せめて寒風だけは避けようと、動かぬ車の中でじっと耐えていた。
 あたりはどんどん暗くなっていた。もちろん、無線は全く届かない。救いは来ない。おそらく車載のGPSも機能していないのだろう。僕の所在がわからないに違いないのだ。ニュルとはそんな広大なスケールなのである。
 薄暗い森の奥から、時より熊だか野犬だかの叫び声がした。時より、森の中に分け入ってきたヤンキーたちが、ポツンと佇むマシンを取り囲み、スポイラーやバンパーを剥ぎ取ろうとした。乗り捨てられた事故車と勘違いしたのか、レース観戦の記念に持って帰ろうとしたのか、理由は定かではないが遠慮がない。そしてマシンの中に顔面蒼白の男がいることに気づき、ハッとして走り去っていく。暴漢に襲われるのではないかという心配もあった。だが、怖いのは獣でも追はぎでもなかった。ただひたすら凍死が心配だったのだ。
 すでに待つこと3時間になろうとしていた。
 雪山で遭難したアルピニストの鉄則は、とにかく動かないことだという。その場でただ待つことが命を守る最良の手段だという。三浦雄一郎さんだか野口健さんだか覚えてないけれど、たしか著名な登山家がそう言っていた。
 だが、僕は動くことにした。セサミンEXは持ってないけれど、寒風の中、街中まで徒歩で下ることにしたのだ。街までたどり着けば救われるはずだと期待を抱いて、だ。幸い、国道の方角は分かった。ビッグママがコーヒーを買うために車で下っていった方角である。
 僕はその砂利道をトボトボと歩いた。獣の遠吠えに怯えながら、凍える足を動かし続けた。ようやく国道にたどり着いたころ、時計の針は21時を指していた。リタイアしてから3時間半がすぎていた。

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「僕が生還するのは、この方法しかなかった」

 国道にたどり着いた僕は、路肩に立ち尽くしつつ、親指を掲げた。ヒッチハイクに挑んだ。
 不審者ではないかことをアピールするために、精一杯の作り笑顔で立った。僕がピットにたどり着く手段は、誰かの好意に甘えるしかなかったからだ。
 そうして数台のクルマを見送ったころ、片手にヘルメットを持ち、濡れたレーシングスーツで佇む額面蒼白のタイ人だか日本人だかわからない男を見て、一台の車が止まった。助手席の女性はじっと僕を凝視し固まったままであり、運転席の男性は、不審な行動があればすぐに走り去れるように窓を半分開けたままで、次の僕の言葉を待った。
「リタイヤしました。ピットまで送って欲しいのです」
 そうお願いした。悲壮感漂う形相だったと思う。
「いいですよ。送りましょう」
 その善意あるクルマはBMWであり、ストリート仕様に改造されていた。レーシングチームのロゴが刺繍されたダウンジャケットが積んであった。僕はその、一目でレース関係者とわかるクルマに乗り込んだのである。
「何処のチームのドライバーですか⁉」
「はい、TOYOTA GAZOO racing Team Thailandです」
「あら、あなたのことは知っていますよ。頻繁にレースに出場してますよね。でも、タイ人だとは知らなかった…」
「いえ、日本人です」
「……」
 幸運にも、僕の存在を知ってくれていた。だが、タイ人だと勘違いされたようだった。だが、それもなぜか嬉しかった。そう、もはや僕はタイのチームのドライバーなのである。
 僕は善意あるドイツ人に拾われる形で、ピットまで帰還することができた。ヒッチハイクが成功したのである。ニュルブルクリンクというサバイバルから生還したのである。

「ニュル24時間の本番を迎える前に知ったこと」

 これまでの29年に及ぶニュルブルクリンクの経験の中で、ヒッチハイクでピットに戻ったのは今回が初めてである。
 1周25.932kmと驚くほど長いサーキットは、三つの村を囲む連絡道路が発祥だ。村があるわけだから民家もあるし、コーヒーショップもスーパーマーケットもある。そんな広大なサーキットで24時間走ることになるのだ。
 地形が変化するだけではなく、天候も不安定だ。パドックは晴れているのに山奥では豪雨で走れないという珍現象が毎年起こるのも納得する。僕らはニュルブルクリンクというサーキットではなく、アイフェルの丘陵地帯をステージに戦っているのだ。
 遭難し、凍死しかけたというのに、僕は何故だか嬉しくなった。こんなに広大なスケールの中で戦える喜びを噛み締めたのである。
 チームのメンバーが手分けをして捜索してくれていたことも、後になって知って嬉しかった。コンビを組むドライバー達が森や林を駆け回ってくれていたのだ。まさか見捨てられることはないとは思ったけれど、初めてチームに加わったタイ人だか日本人だかわからない僕を、心配してくれたことが不思議に嬉しく思った。
「24時間レースの本番では、テントと寝袋を積んで走る必要がありそうだね。ねっ、ミスター・ヒッチハイク!?」
 僕の生還を喜んでくれたメンバーはこう言って笑った。
 そんなサバイバルレースが5月27日に始まる。もはやタイ人と同化した僕の無事生還を祈っていてほしい。
(その3に続く……)

木下コラム196LAPイメージ写真
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キノシタの近況

キノシタの近況 キノシタの近況 キノシタの近況

 レッドブルエアレースに挑戦中の室屋義秀選手が、6月4日の千葉大会に凱旋参戦する。氏の操縦する機体で体験させもらったり、プロモーションビデオのディレクションをしたりと、このところ行動が重なるだけに応援しているのだ。僕のニュルブルクリンク24時間の翌週末が本番だ。壮行会がインターセクト・バイ・レクサスで華やかに開催されたよ。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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