レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

209LAP2017.12.13

求む、バイリンガルエンジニア

レース界は不思議なもので、それぞれ異なる人生を過ごしてきたドライバーとエンジニアが、一つの目的に向かって力を合わせる世界だ。だから言語が異なるのも道理。魑魅魍魎とした言葉が飛び交うのも致し方がない。そんな世界で生きる木下隆之は、この世界をどう俯瞰してきたのか。バイリンガルの必要性を訴える。

「それでも意味は通じている」

「ハンドルをこう切るとね、フニャララ〜ってなるからハッとするのよ」
 マシンの開発テストの現場で、ドライバーがそうクルマの印象を伝えた。
「それは質量に対するイナーシャの耐性不足です」
 分厚い資料を抱えたエンジニアはそう回答した。競技車両第三車両実験部シャシー担当主任という立派な肩書きの男だ。
「そこは富士山が綺麗に見えるんだけど、そこでグワっとするでしょ、するとヘロヘロってなってバシッとなるから。僕は好きだなあ〜」
 両手の仕草は、ハンドルを切り込んだり戻したりしていた。横Gを表現しているのか、首筋に力を込めて傾げているから面白い。
「ヨーゲインに対して接地圧変化が発生していますね」
 マル秘と印字されたデータファイルをペラペラと捲り、曲線が複雑に交差するグラフを確認しながら告げた。
 開発テストが行われているパドックで、こんなやり取りが繰り広げられていることに気づく。マシンから降りてきたドライバーとエンジニアの会話は門外漢には意味不明だろう。そればかりか、どの国の言語なのかさえ判断できないほどだ。言葉のキャッチボールは魑魅魍魎としている。
「床踏みするとモオンモオンモ〜ってイライラするんですよね」
「正圧直後は+0.7以下ですから、そうなりますよね」
「でも、グァホ〜ってなると、ゴヨゴヨ〜からドーンってなって嬉しいのよ」
「ECUのアクセル開度0.85%に対する適正値です」

「ドライバー言語を意訳するとこうなる」

「登り区間で前輪荷重が減少した状態ですが、ステアリング舵角を増していくと、トレッド面のブロック剛性が著しく低下し、ヨーの発生と収束が不安定になる。そこからさらにスリップ率を最大値まで高めると横剛性が適正値に回復し、結果としてCFが高まる」
「スロットル開度を増加させていくと過給圧が非線形になり、時間軸的に正圧に転じる。そこからのVMAXも良好である」
 そう言いたいのである。だが言葉が足りない。
 僕もドライバーだから、それがとてもリアルに理解できる。コクピットの中で音や振動といった様々な五感の刺激の中でマシンを感じ取っている。だから、表現は感覚的なことが中心になる。情景描写を加えながら表現したくなるドライバーの気持ちはとてもわかる。書物に記されている言葉や数式や数字で表現するより、はるかにリアリティがあるのだ。
 僕の母国語は日本語だが、第二外国語はモータースポーツ語だと言い切ってもいい。モータースポーツ語はかなりのネイティブなのである。それもそのはず、この世界で30年以上も生活しているのだからね。むしろ正しい日本語の方が不自由である。

 一方のエンジニアは、リアルワールドではクルマを走らせてはいない。五感の全てを省略したデータの中でしか、クルマは走っていないのだ。だから数値やデータが挙動や現象を理解する唯一の手掛かりなのだ。
 ドライバーは感情を交えて情景描写しようと試みるものの、数字とグラフの中で判断するエンジニアにとっては、人間的な感情や、ましてや情景描写など意味をなさない。
 それでも不思議なのは、会話が成立していることだ。ドライバーはハッとしたり、嬉しく感じた時には、そのたびに眉間にしわを寄せたり笑みを浮かべたりする。感情を交えながら必死にオノマトぺを加え、現象を伝えようと試みる。報告を受ける方も真剣に理解しようと努力する。そんな彼らにとってはとても理解し合っているのであり、日常に繰り広げられる業務上の会話のひとつでしかないのだ。

2017年ル・マン24時間予選で、目の覚めるようなタイムを記録した小林可夢偉。その裏では優秀なエンジニアがいる。

2017年ル・マン24時間予選で、目の覚めるようなタイムを記録した小林可夢偉。その裏では優秀なエンジニアがいる。

ドライバーは少しでも正しく現象を伝えようと、擬態語や擬音を駆使する。

ドライバーは少しでも正しく現象を伝えようと、擬態語や擬音を駆使する。

言語を理解する二人がいて初めてマシンは速くなる。

言語を理解する二人がいて初めてマシンは速くなる。

強い信頼関係を構築するためには、モータースポーツ言語だけでもいいのかもしれない。

強い信頼関係を構築するためには、モータースポーツ言語だけでもいいのかもしれない。

ドライバーによって表現方法が異なる。それぞれの言葉を理解しようとするエンジニアの存在が欠かせない。

ドライバーによって表現方法が異なる。それぞれの言葉を理解しようとするエンジニアの存在が欠かせない。

ドライバーの数だけモータースポーツ言語は存在する。

ドライバーの数だけモータースポーツ言語は存在する。

「体育系と理工系」

 モータースポーツ界の七不思議のひとつは、それぞれが異なる環境で、様々な人生を歩んできた人たちが寄り添っていることである。
 レーシングドライバーはたいがい、幼い頃からサーキット通いをしてきており、教室で教科書を開いているよりも校庭でボール遊びしている時間の方が長い。ヤンチャな幼少時代を過ごしてきている。
 例外もいるにせよ、塾に行くくらいなら峠を走り回っていた方が好きだ。算数は数学になる前に諦めた。理科はカエルの解剖や、薬品が燃えたり爆発したりすること以外には興味を見出せない子供の行き着く先がレーシングドライバーであったりする。
 その一方で、マシンを開発しセッティングするエンジニアは、一般的に高学歴である。子供の頃から秀才と呼ばれ、都道府県でもっとも偏差値の高い進学校に進み、日本有数の大学に合格し、理工系で日々研究に没頭してきた。ドッジボールよりも、数式や実験を好むという人種である。
 町一番の運動神経の持ち主と県一番の学業の秀才が、共に仕事をしている光景は微笑ましいやら滑稽やら。とにかく笑えるのである。
 唯一共通しているのは、共に神童と呼ばれたことだけだろう。一方は優れたドライビングセンスの持ち主であり、一方は数式の天才だったわけだ。そんなこの世界にいなければ決して交わることがなかったであろう異分子が、マシンを速く走らせるというひとつの命題に向かって力を合わせているのだから、そりゃ言語が魑魅魍魎としていても不思議ではないのである。

「猛勉強に明け暮れた」

 だが、このままでは進化しないなと僕が気がついたのは、日産契約時代である。縁があり、スカイラインGT-RやパルサーGTI-Rといった、当時日産が力を込めて開発していた競技車両で走る日々が続いた。そのほとんどが、高学歴理工系のエリートエンジニアとの仕事だったのである。
 だから僕がいつまでも、バイリンガルなエンジニアに頼っていてはならないと感じ、自らも開発言語を理解せねばならぬと一大決意。「スポーツカーの理論と設計」や「レーシングカー その開発の秘訣」などといった難解な参考書を読み漁った。数学以前に算数で諦めた男が、その空白を数年で取り戻すことには無理があったが、実際にステアリングを握る立場になって読みふけると、表層的には理解できるものである。
 しかも、身近にはエリートエンジニアと日々会話することになるわけで、となると子供が参考書を見なくても言葉を話せるようになるように、少しずつエンジニア言語が理解できるようになる。来日したばかりの留学生がたどたどしい日本語で日常会話をするような、そのくらいのレベルにはなった。

様々な人種が集い寄り添い、一台のマシンを走らせる。

様々な人種が集い寄り添い、一台のマシンを走らせる。

五感で感じながら走るドライバーには、オノマトペという言語が介在する。

五感で感じながら走るドライバーには、オノマトペという言語が介在する。

「バイリンガル」

 異なる言語で育った人達が、ひとつの目的に向かって力を合わせる必要があるのならば、そこで通訳が求められるのも道理。
 冒頭のように、運動系のレーシングドライバーと理工系のエンジニアの会話は、通訳がいなければ、もしくはバイリンガルでなければ意思が通じないのだ。
 三菱時代にランエボでレースをしている時には、マシン開発は澤瀬薫という優秀なエンジニアが主導していた。駆動系の専門家であり、のちに博士号を取得するという天才だ。彼がランエボの高度な4WDシステムの開発を担っていたのである。
 その時代に僕は、ランエボでレースをしていたという縁があり、常にサーキットに帯同していた彼と密接に関係を持つことになった。冒頭の会話は、ぼくと澤瀬氏とのやりとりだと思ってもらってもいい。体育系の幼稚な僕の言語を、バイリンガル博士が完璧に理解してくれていたのである。だからあのマシンは、全戦ポールポジションを獲得したマシンになったし、そのシーズンを全勝で終えることができたのだと思う。

 僕がコメントをすると、澤瀬博士の頭の中でマシンがリアルに走った。僕のコメントが稚拙であろうが、彼は、コース上で起こっている現象を正しく理解してくれた。不具合を指摘すればすぐさまPCのキーボード叩き、新しい制御にアジャストしてくれた。するとマシンは見違えるように速さを発揮したのだ。
 1コーナーの進入でテールスライドが多いと報告すれば、だったら最終コーナーの出口ではアンダーステアになったんじゃないですか!?といった具合に先回りして、まるで僕の助手席に乗ってその瞬間を共有したかのように、彼の頭のなかではマシンが生き生きと走った。頭の中でではなく、体がそれを記憶しているかのようだったのだ。

駆動力スペシャリスト澤瀬薫博士が完成させた最強マシンは強く速かった。

駆動力スペシャリスト澤瀬薫博士が完成させた最強マシンは強く速かった。

前人未到の全戦ポールポジション獲得。そして全戦優勝に耀いた。体育系と理工系の合作。

前人未到の全戦ポールポジション獲得。そして全戦優勝に耀いた。体育系と理工系の合作。

 技術が進歩した最近は、マシンの速さは理論値で求められるようになった。ドライバーコメントの重要性は低くなっている。走行データはコンピューターに蓄えられ、運転パターンも不具合箇所も露わになる。ゆえに、ドライバーの言葉は大切にされなくなり、コンピーターが理想だとするドライビングをすればいいだけである。
 とはいうもののまだ、生身の人間がマシンを操るわけで、その関係はまだまだ続くのだろうと思う。異なる言語を理解するエンジニアとの出会いが、マシンの勝率を左右するし、レーシングドライバーのキャリアを決定すると思う。
 マシンの開発に人間の感覚が必要なくなってしまう時代が訪れるのではないかと気を揉みながら、僕は今も、身振り手振りを交えながらコース上でどんなことが発生しているのかを伝えていこうと思う。

※本文と写真は無関係です。写真で紹介したドライバーは一流ですので、巧みに理論的な言語で会話をしています。念のため…。

キノシタの近況

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 細部まで丁寧に作られているミニカーを見つけてから、スマホで接写するのが楽しみになってきた。ジオラマというほど本格的ではないけれど、アップで撮影すると気持ちが乗り移ってくる。実車は買えないから、写真の中でたのしんでいます。