グッドウッドフェスティバル2010現地レポート ―世界中から自動車愛好家が集うレーシングカーの祭典

著:レーシングドライバー 木下隆之

「グッドウッドに参加しませんか?」

そんな出場依頼をいただいたのは6月中旬のことだった。7月1日から4日までの4日間を通じて華やかに開催されるモータースポーツイベントへの正式な招待を僕はなんの前触れもなく突然に受けたわけだ。

えっ?グッドヴッドに?

それからというもの、多くの関係者から祝福のメールが山のように届き、ことの重大さを知らされることになる。正直にいえば、グッドウッドの存在は耳にすることはあれど、まさか出場の機会をえるなどとは夢にも描いていなかった。僕が知っていることとすれば、イギリスはモータースポーツの聖地であり、そこで繰り広げられるイベントは格式高いものであろうという程度にすぎない。だが、そこに参加することがレーシングドライバーとしてどれだけ名誉であるかを、多くの関係者がとくと説明してくれたのである。「F1ドライバーも参加するのだよ」「世界から集まってくる伝説のマシンが、ヒルクライムで競うのだよ」

F1がヒルクライム?

本質をにわかに実像として頭に描く事ができず、大いに戸惑った。ただし、「晩餐会ではタキシード着用だからね」

たしかそのアドバイスで、事態の重さが想像できたような気がする。

古いフェラーリF1カー

L・ハミルトンとE・ピロが談笑していました

グッドウッドの正式名称は「GOODWOOD FESTIVAL OF SPEED」であり、イギリス南部のウエストサセックスで開催されるイベントである。
モータースポーツをこよなく愛するマーチ卿が主催しており、自らが所有する広大な敷地に、古今東西栄光を手にしたマシンの数々と、そして栄誉に輝いたドライバーを集めるのである。今年で18回目になる。

最新のF1マシンはもちろんのこと、今となっては希少な葉巻型のF1マシンが博物館から引っ張り出されて走る。グループCカーあり、世界ツーリングカーあり、世界ラリーマシンもあり、その時代を彩った精鋭達が、時の隔たりを超えてその場に轡(くつわ)を並べるのだ。

マシンの種別は多岐に渡る。サーキットマシンだけでなく、オフロードマシンから2輪も。輝かしい歴史に彩られてさえいればジャンルは問われない。いまとなってはオークション で十数億円で取引される希少なモデルも少なくなく、つまり、一時代を築いた、あるいは築こうとしている栄光のマシン達が一堂に介されるのだ。

となればドライバーも一流で、L・ハミルトン、J・バトン、H・コバライネン・・・。全員を列記するには紙枚が足りない。いやはや、あの伝説のメルセデスドライバー、スターリング・モスでさえ矍鑠(かくしゃく)とした姿を見せるのだから、熱狂的なマニアならずとも膝が震えることだろう。

実はこのイベントにトヨタは2002年から継続参加している。もちろん今年の目玉はレクサスLFAである。市販を前提としたプロトタイプとニュル24時間でクラス優勝を達成した栄光の♯50号車を持ち込んだのだ。

同時にGAZOO Racingのスポーツハイブリッドコンセプトも走らせることが許されたし、NASCARで活躍するカムリも800馬力もの強烈なパワーを披露。華やかなイベントにさらに華を添えていた。

トヨタ展示ブース

レクサスLFAプロトタイプ

Gazoo Racing スポーツハイブリッドコンセプト

カムリ NASCAR参戦車両

ちなみにこのイベントには毎年ホストメーカーが指定されることになっており、今年はその大役をアルファロメオが担っていた。

かくしてイベント会場に訪れたのだが、そこは僕が想像していたのとはまったく異質の光景が広がっていたのである。それは、15万人ともいわれる観客動員数でも、集結したマシンの希少性でもなく、観客とモータースポーツの接点の濃密さにあると思えた。

赤い絨毯の先は、ドライバーズサロン。往年の名ドライバーから新進気鋭の現役チャンピオンまでが、リラックスしていました

ウエストサセックスは牧歌的な丘陵地帯なのだが、広大なマーチ卿の敷地の中に用意されたスペースは、それだけでも36ホールのゴルフ場をそのまま解放したかのような広さがある。足場は芝生だ。丁寧なサーキット舗装が敷かれているわけではない。だからそこはまるで公園のよう。芝生の敷地のいたるところに仮設テントが組み立てられ、レーシングマシンのピットエリアとなるのだ。

敷地内には、およそ宮殿かと思えるような迎賓館やゲスト用ホテルが点在し、会期中のゲストを手厚くもてなす。最終日夜には華やかなセレブパーティが開催され、フォーマルウエアに身を包んだ関係者達が、とびきりの美女達をエスコートしてモータースポーツ談義に花を咲かせるのである。

その一方で競技は、牧歌的なヒルクライムコースで行われる。コースはワンウェイのヒルクライムセクションであり、それとて無造作に、敷地内を貫く連絡路が代用される。さすがにこの時ばかりは安全対策が敷かれるのだが、基本的にはサーキット専用コースなどではなく、路面の荒れたヒルクライムコースとなるのだ。

このイベントの魂は、レーシングマシンとドライバーと、そして観客の間を隔てるフェンスがまったくといっていいほど取り払われていることにあると思った。普段は博物館か、もしくはテレビでしか拝むことのできないような希少なマシン達が、観客のすぐそばで展示される。あるいは、走行に備えて暖気されているのだ。

ハミルトンやバトンといったスタードライバーでさえ、そっと手を伸ばせば触れる事ができそうな至近距離で接する事ができる。とかく敷居の高いモータースポーツ像とは、決定的にそのあたりが異なる。休日をくつろぐ観客を、おびただしい数の伝説の名車達が取り囲み、レーシングマシンが咆哮(ほうこう)を高めて走りを披露している・・・といった雰囲気なのだ。あくまで主役は観客のように映った。

ほとんどのドライバーが、訪れた多くのモータースポーツファンの目の前で派手なパフォーマンスを演じています

ちなみにヒルクライムは、たしかにタイムがカウントされ発表されるのだが、コンマ1秒にこだわるドライバーはほんの一握りである。ほとんどのドライバーが、訪れた多くのモータースポーツファンの目の前で派手なパフォーマンスを演じる。目的は勝敗ではなく、観客へのサービスなのだ。

であるから、多くのマシンがバーンナウトを演じ、敷地は高回転サウンドで包まれる。なかには勢い余ってフェンス(牧草の束)に突っ込むマシンもあり、観客は多いに盛り上がるというわけだ。

コレクター界では数億円とも噂される希少なメルセデスをハッキネンがドライブする。コバライネンは最新のロータス・エキシージを攻め立てていた。レクサスLFAは、ブガッティ・ヴェイロン16.4と同クラス。AMG・SLSも人気の的である。

ドライバーもチームも、いつもの殺伐とした戦いから解放され、柔和な表情でイベントを楽しんでいる。そんな姿が、観客と同じ目線で展開されるのである。

さすがにモータースポーツを貴族のスポーツとして認識するイギリスのこと、ドライバー用ゲストスペースは選ばれた者しか踏み入ることが許されないのだが、それは例外として、観客とモータースポーツが一体感をもって存在しているのである。

都会の歩行者天国かと思われるような沿道の中、観客に包まれるようにしてパドックからコースに移動した

最終日のもっともヒートアップする時間帯に、レクサスLFAでのドライブを経験した。まるで都会の歩行者天国かと思われるような沿道の中、観客に包まれるようにしてパドックからコースに移動した。そのとき、沿道の最前列に腰掛けていた少女の口が小さく動いた。
「あっ、レクサスLFAだわ」

金髪を後ろに束ねた少女が、たしかにそう言ったのを耳にしたのだ。

その様子を微笑ましく見守っていた両親が、そっと肩を叩いた。そう、そこにはごく自然に、家族とモータースポーツが同居しており、それを僕は肌で感じることができたのだ。そしてそれは僕のイギリスでの、最大の土産になった。

そして羨ましく思った。日本でもモータースポーツ伝統は息づいている。だがそれを育てる使命が、僕らにはあると。各メーカーが主催するモータースポーツフェスティバルがあり、モータースポーツジャパンがある。積み重ねていく伝統と観客を思う暖かい志があるのなら、やがて日本にもグッドウッドに迫るイベントが可能なのだとも。「グッドウッド、どうでした?」

帰国してすぐにまた、多くの関係者からそう声をかけられた。「観客への優しさがモータースポーツの将来を支えるのだと確信したよ」

ぼくはそう応えることにした。

グッドウッドフェスティバル2010 フォトギャラリー