グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード  GOODWOOD FESTIVAL OF SPEED  ~英国自動車文化の風に吹かれて~

(written by レーシングドライバー 木下 隆之)

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レーシングマシンは動かさなければ、ただの無機質な鉄の固まりに過ぎない。

何も物も言わず、泣きも笑いもしない。疾走する喜びも、風を感じることもない。

博物館やコレクターガレージで披露され、人々を魅了するクルマも存在はするものの、その場で佇んでいるだけでは、魅力は薄い。

ただ、ひとたびエンジンに火が入り、サウンドを轟かせて疾走すると、クルマは不思議な力を発揮する。

感動を呼び、人を惹きつけ、悩殺する。

今年、「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」を訪れ、参加して、実際にステアリングを握って、クルマは“走る”ためのものなのだとあらためて思った。

英国貴族であるマーチ卿が主催する伝統的なこの祭典は、別名、『モータースポーツのガーデンパーティー』と呼ばれている。

いくつものゴルフ場をつなぎ合わせたかのような広大な敷地に、古今東西、時代を彩った数々の名車が展示されている。そしてそのほとんどは、走行時間になると爆音を響かせ、勇躍果敢に走り出すのだ。

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旧いコレクション図鑑の中でしか目にすることのない1950年代F1のBRM V16P15があり、ティレル・フォード006が破裂するようなエキゾーストノートを轟かせる。

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その後を追うようにして、最新のTOYOTA TS030HYBRIDやフェラーリF60が近代的なサウンドを路面に垂れ流す。

そして、GAZOO Racingが持ち込んだレクサスLFAが天使の咆哮でアクセントを加える。

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栄華を誇った新旧のマシンが時代を超え、“現役”としてその勇姿を披露するのだ。

しかもその走りは、まるでこの日が選手権争いの最中であるかのように遠慮がない。スロットルは床踏みされ、パレードという言葉とは明らかに異なる速度とテンションでコースを疾走するのだから驚かされる。

時には、コースサイドに並べられた麦わらの壁に突き刺さることもある。本来ならば静かに博物館に飾られ、余生を過ごしていたはずの名車達が、まるで子供のようにむきになって駆け回る様は微笑ましい。

マシンを操るドライバーも、時代を超越して集う。数々の世界選手権タイトルを手にした伝説のドライバーと、今まさに世界を戦う現役の勇士が、あたかも同じ時代に生き、同じステージで戦ったライバルであるかのように攻撃的に走りを競う。

そう、「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」は、モータースポーツの歴史を世界各地から一箇所に集結させ、群雄割拠の歴史と現実をまるでモザイクのように複雑に入り組ませた世界なのだ。そしてそこにはただひとつ“走り”というキーワードで結ばれるのである。

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ラリーステージに足を運んだ。

そこにはかつてトヨタにサファリラリー3連覇をもたらしたB・ワルデガルドがまどろんでいた。たしか引退の理由は、競技中の腕の骨折だったはずだ。

そばでは、当時の面影を、そして性能をそのままに残したセリカ ツインカムターボが暖気を終えていた。

「さあ、もう一度走ってくるとしようかな!」

そう言い残して両の手を叩くと、独特の破裂音をあとに、現役さながらの勢いでグラベルの森に消えていった。

腕の負傷は完治しているらしい。

一方で、F1王者のJ・バトンが気さくにサインに応じている。グランプリのその日がそうであるように、観客とドライバーがフェンスで隔てられることはなく、手を伸ばせば肩に触れることのできるほど近くにいる。

白煙にまみれるレッドブル・ルノーRB7のスピンターンは、観客を沸かせる。

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日曜日のその日、僕はヒルクライムアタックを終えて、パークフェルメで休んでいた。すると横に、一台の小さな葉巻型のフォーミュラーマシンが停まった。白基調のヘルメットには、タータンチェックの帯びが描かれていた。その男性はヘルメットを静かに脱ぎ、優しい笑顔で僕に微笑みかけてきた。サーの称号を持つジャッキー・スチュワート(72歳)の、写真で見たあの笑顔だった。

「一滴の血を流さずに引退できることを誇りに思う」

そう言い残して現役を去ったサー・ジャッキーがそこに、神話の中から飛び出し、現役のままでいたのだ。

栄光のマシンに乗る伝説のドライバーが、ごくちっぽけな日本人ドライバーである僕のすぐそばで気さくに微笑みかけているなんて、夢か幻ではなかったのだろうかと、いまでも疑っている。

英国のモータースポーツの歴史は“走る”という成句を礎に、熱く燃え盛りながらもけして燃え尽きることがないのだろう。

走ることの大好きなGAZOO Racingとともにこの世界にいることを、心の底から誇りに思った。