第1戦 オーストラリアGP 2002
2002年3月3日(日)(オーストラリア・メルボルン発)
オーストラリアGP 決勝レポート
ミカ・サロ、トヨタのF1デビュー戦オーストラリアGPでポイント獲得
パナソニック・トヨタ・レーシングは、デビュー戦となるグランプリでポイント*を獲得した!
(* 1位から6位までに、それぞれ10,6,4,3,2,1点が与えられる。このポイント点数が年間で一番多いドライバーにドライバーズ・タイトル、一番多いチームにコンストラクターズ・タイトルが与えられる)
ドラマチックなレースは、第1コーナーでの多重クラッシュで始まり、この事故に巻き込まれたA.マクニッシュは、左のフロント・サスペンションを壊し、早々の戦線離脱となった。A.マクニッシュにとって不幸にも、レースはリスタートすることはなく、彼のデビュー戦は短いものとなってしまった。
A.マクニッシュは、「モーターレーシングにはこういうこともあるさ。何が事故の原因だったかは、僕には分からなかったが、前の方で事故があり、それが後ろにも影響したんだろうね。いろんな方向に、いろんなドライバーがスピンしていたよ。オリヴィエ・パニスがスピンするのが見えて、いろいろなものを避けようと芝生を越えたんだ。そして、コースに戻ったら、別のチームのF1カーが左から飛び込んできて、左のフロント・サスペンションが壊れてしまったんだ。」とレースを振り返った。
M.サロもこの事故に巻き込まれて、ピットインを余儀なくされた。しかし、レースに復帰すると、TF102の信頼性の高さを最大限生かし、堅実な走りを見せ、パナソニック・トヨタ・レーシングの初めてのグランプリで、ポイントを獲得した。もっとも、M.サロは最後の最後で心臓が止まるような瞬間を生き延びなければならなかった。オーストラリア人で、F1デビューとなるマーク・ウェバーから5位のポジションを奪い取ろうとした際に、M.サロはスピンをしてコース上に止まってしまった。なんとかエンジンは生きていたので、態勢を整え、レースにすぐに復帰し、フィニッシュラインをチーム全体の喜びとなる6位で越えた。
M.サロは喜びを以下のように語った。「今日は本当にいいレースが出来た。一周目で接触があり、リアのサスペンションを交換しなければならなかったんだ。この後は、TF102は速かったし、信頼性もあったね。チームの皆んなに感謝しているよ。このグランプリウィーク中、皆んなとってもいい仕事をしてくれたからね。これまでもチャンピオンシップのポイントを取ってきたけど、今日のポイントが一番大切だと思うな。」
劇的なレースで、予選3位のラルフ・シューマッハーと1位ポールポジションのルーベンス・バリチェロは、第1コーナーでポジション争いをする中接触し、ラルフは宙を舞ったが幸いにも無傷であった。このBMWウィリアムズとフェラーリの二人だけでなく、ジョーダン・ホンダのフィジケラ、ザウバー・ペトロナスのマッサとハイドフェルド、ルノーのバトン、BARホンダのパニス、パナソニック・トヨタ・レーシングのA.マクニッシュが第1コーナーでの事故の餌食となった。アロウズの2台はグリッドでストールしてしまっており、事故後のセーフティカーが先導する時には、コース上には早くも半分の車が姿を消す結果となった。
セーフティカーがコースから外れ、レースが再開されると、クルサードがリードするが、その座もルノーのトゥルーリに渡す。しかし、トゥルーリもターン1の出口でバリアに接触してしまう。同じ頃、モント-ヤも、Mシューマッハーを抜くパフォーマンスを見せるものの、長くはワールドチャンピオンであるシューマッハーを後続の位置には留めておくことはできなかった。
その後は、シューマッハーがレースを支配し、モントーヤに18.6秒の差をつけてチェッカー・フラッグを受けた。マクラーレン・メルセデスでの初レースとなるフィンランド人のライコネンは3位につけた。4位はジャガーのアーバイン、5位はミナルディのウェバー、そして6位がパナソニック・トヨタ・レーシングのM.サロで、この6人がポイントを獲得した。完走は8台であった。
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