第1戦 オーストラリアGP 2002

2002年3月8日(金)

アラン・マクニッシュ― オーストラリアGPをふりかえって

東京での記者会見を終えてすぐ、僕はトヨタのPRチームと一緒にメルボルン入りした。
シドニーに寄ることも考えたのだけれど、一刻も早くアルバートパーク(オーストラリアGP開催地)を見たくて、メルボルン入りの方を選んだんだ。公園内のコースをぐるっと車でまわり、自分の足でも数周走ってみたよ。

火曜日に、僕たちは地元オーストラリアのトヨタ工場を訪問し、熱烈な歓迎会を開いてもらったんだ。2時間半もサインし続けたんだよ!僕はここで、トヨタが一つのファミリーであることや、皆、トヨタがF1に参戦することをどれだけ待ち望んでいたかを、本当に実感したね。

木曜の朝、初めてパドックに入ることになったんだ。その時は、「ワーオ、ここだよ!」と思ったね。パドックのゲートをくぐったとたんに緊張したよ。パドックに仕事をしに行くのと、仕事を探しに行くのでは、とても大きな違いがあるんだね。自分のパスを初めてゲートに通したとき、音がしてゲートがちゃんと開いたときは、ほっとしたよ!

すべてが準備出来て、金曜日のフリー走行では、僕がコースに一番に出たんだ。
雨が降っていたのだけれど、巨大スクリーンに たくさんのカメラマンが僕を狙っているのが映っているのを見たんだ。絶対ミスしたくない、って僕もチームの皆も思ったよ。4~5周走ったあと、コーナーに入るところでブレーキをロックしてしまった時は、心臓が口から出ちゃうかと思ったよ。

オーストラリアGPのサーキットは想像以上にテクニカルで、きっちりしたサーキットだ。
流れるようなコースなのだけれど、ウェットコンディションでは、とてもトリッキーなコースだ。
トヨタチームは予選で1回分のアタックしか走れなかったけれど、僕は無事に予選を16位で通過できてとても満足だった。

パレードラップで走ったときは本当に感動したね。皆 意気揚々とパレードをし、たくさんの人々からの大きな声援を受けたよ。F1ドライバーという栄誉をとうとう僕も手にしたんだ!バックストレートに戻ってきたときは、涙ぐんでしまったよ。素晴らしいひとときだった!けれど、ピットに戻ったと同時に現実にも戻ったよ。こんなに複雑な感情になる仕事なんて他にはないよね。

僕にとっても初めての参戦になるF1グランプリ、決勝のスタートはうまくいったよ。ローンチコントロールもそんなに難しくなかったし。前もってコンピューター担当のメカニックがちゃんとやってくれていたんだね。

僕が最初に見たのは、1台のF1カーが宙に舞ったことだった。そしてクルマの破片があちこちに飛び交い、他チームのF1カーもてんでばらばらの方向へ走っていったね。他車と衝突しないようにすり抜けて行こうとして、そうなってしまったんだ。スピンしたオリビエ・パニスを避けて、僕は一度芝地へ入り、コースに戻って、第1コーナーを抜けようとしたとき、誰かのクルマが突っ込んできて、左フロントサスペンションが壊れてしまったんだ。

事故は僕にとって残念だった。多くのライバル達もレースを離れてしまった。個人的にはがっかりしているけれど、チームメンバーは懸命に頑張ってミカの6位という成績をつかんだんだ。ゴールしたクルマを駆っていたのは僕ではなかったけれど、チームがポイントを獲ったのは感動的だった。僕はこのチームメンバーと一緒に働いて4年になる。そのうち2年はこのトヨタF1プログラムなんだ。チームにはたくさんの友人ができたよ。

日曜日の夜には、僕たちはもうオーストラリアを発ち、まっすぐマレーシアに飛んだ。1週間、トレーニングと、マレーシアの気候に体を慣らすことになる。ガールフレンドのケリーも火曜日には来る予定なんだ。セパン(マレーシアGP開催地)ではまた、ハードワークの日々に戻っているよ。