第4戦 サンマリノGP 2002
2002年4月15日(月)
アラン・マクニッシュ- サンマリノGPをふりかえって
サンマリノGPの結果は残念だったけれど、イモラは好きなサーキットだよ。去年、僕自身がテストをした所だけれど、レースとして、他のチームのF1カーと一緒に走るのは、全然別ものだよね。
ブラジルGPのサーキット(インテルラゴス)と同じように、ここイモラもTV画面では分からない、難しいコーナーや、コース上のでこぼこといった高低差があるところだったんだ。このコースを速く走るためには、積極的にコーナーを攻めなくてはいけない。そのためには、コース先の見えないところを読むというビジョンが必要になってくるんだ。ブレーキングエリアが短いことも重なって、追い越しがとても難しいコースなんだ。
もう一つ、ここイモラで良いラップタイムを出すためには、縁石があたかもそこに無いかのような走りをして、特に最終コーナーがそうなのだけれど、縁石を乗り越えて行かなければならないんだ。そうすることによって周回の距離を最短にすることができるしね。この週末の僕たちの問題点の一つに、この縁石付近でのクルマの取り回しが思ったよりうまく行かなかったこともあるんだ。
予選について、ミカと0.003秒差だったことから、多くの人から結果には満足したかって聞かれたけれど、答えは「イエス&ノー」だね。イエスの部分としては、トヨタチームはサンマリノGPの前にバレンシアでテストをしてきていて、僕の希望する方向の新しいセットアップでスタートすることができたことだね。ノーの部分は、予選17番手というポジションにちょっとがっかりしたことだよ。ドライコンディションだったら、もっと行けただろうと思われていたサーキットだったからね。もし、シーズン前にこの質問を受けたなら、この17番手というポジションを受け入れていたかもしれないけれど、このサンマリノGPの直前には、予選を12番手から14番手で通過というのが目標だったからね。
スタートの話をしよう。2002シーズンで僕が一番短い距離しか走れなかったグランプリは?という賭けをしたら、多分、「オーストラリアGP」に賭けただろうけれど、間違ってたね。レッドライトが消えてから1メートルも行かないうちにドライブを失ってしまったんだ。詳しい原因については、チームが今調査している。この時、すぐバックミラーを見たけれど、後方グリッドにいたM.ウェバーがいないことが確認できてよかったよ。そして、僕はクルマをコースサイドに寄せたんだ。
突然、時間をもて余してしまった僕は、その後パドックでレースやそれを取り巻く人々を見ることになったんだ。
F1というショーにはいつも感動させられるね。トヨタチームはここサンマリノに僕やミカの個室もある新しいモーターホームを初めて持ち込んだのだけれど、いろんなことがうまくとりなされているんだ。
トヨタ自動車の張社長と、齋藤副社長が今回もイモラにチームを激励に訪れてくれたんだ。日本からのフルサポートを受けているということは、チームにとってとても励みになっているよ。せっかく遠いところを来てくれた二人に、祝ってもらえるような結果を僕もミカも出せなかったことは、とても残念だったよ!
F1が人々に与える影響を知るということは、とてもおもしろいものだね。僕自身も確かに人に知られるようになってきていて、空港などで呼び止められてサインを求められたりするようになったんだ。とても嬉しく思っているよ。
この世界にいると、プライベートの時間であるのに、実はそうではない時間があるということに気付かされるね。日曜日の夜、家へまっすぐ飛んで、服を着替えてすぐ、火曜、水曜のムジェロでのテストへと向かったんだ。イモラではウェットコンディションでのパフォーマンスはそれほど良くなかったけれど、TF102でのウェットコンディションでのテストはまだ総計120周くらいしかしていないんだ。だから今週末の天気がどのようになっても、チームはきっとうまくそれを生かすことができるよ。
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