第7戦 モナコGP 2002
2002年5月28日(火)
アラン・マクニッシュ - モナコGPを振り返って
モンテカルロは一度はレースをしてみたいと夢見る所だ。本当に特別な場所。実際にレースをする立場からすると全然違うのだけれど、でも、モンテカルロはモンテカルロ、独特なものだね。
今、僕は、ここモナコのフォンヴィエイユにあるアパートに住んでいるから、市街地コースとなるあたりは車でよく走っていたけれど、もちろん、実際のコースとなると、全くの別物になる。
モナコについてのアドバイスは、もうみんな飽きるくらい聞いているだろうけれど、そう、「壁にぶつからないこと!」。もちろん、これも大切なアドバイスだけれど、モナコは少なくとも、F1カーより、ドライバー自身がそのコースに慣れるのに時間を必要とするコースだ。リズムを作り出さなければならなくて、何か障害物やアクシデントなどがあったときは本当にあせるよ。
グランプリ1日目の木曜日のプラクティスで、50周を大きな問題もなく走り、2番手のタイムを出せたことはとてもうれしかったよ。プラクティス終了後には、たくさんのメディアの人達に囲まれてしまって、パドックへ戻るのに人の海をかき分けながら行かなくてはならなくて大変だったね。
2番手のタイムという結果はとても良かったけれど、これが本当の実力を示しているというわけではない。木曜には特別なセットアップはしなかったとはいえ、燃料の量を切りつめて、プラクティス終了近くには、ニュータイヤへ替えて走ったからね。ミシュランのニュータイヤに履き替えた時に、あの小降りの雨が降っていなければ、もしかしたら、もっと速く走れたかも知れなかったけれど。
TVのインタビューが終わったあと、FIAの副会長バーニー・エクレストン氏がとても楽しそうに、僕の肩に腕をまわして、「もしかして、ちょっと飲んで運転していたんじゃないかい?」なんて冗談を言ってきたので、僕も「とんでもない、スロットルが戻らなくなって、ブレーキも効かなくなってたんですよ!」とお返ししたんだ。
追い越しがほとんど不可能なモナコでは、予選結果がすべてを決めてしまうに近いから、そこでいかにいい結果が残せるかということが実に大事なことなんだ。土曜の朝、僕が第1コーナーのサン・デボテに差し掛かったときに、誰かのクルマがピットから出てきて、ちょっとどきっとした。脇に避けなければならなくて、そのあと、困ったことになったんだ。というのも、モナコの経験のあるドライバーがみんな、外側の路面の荒れが以前よりひどくなっていると言っていたけれど、コース外側へ避けた後の僕のクルマは、前輪がうまく路面をつかめずに、コーナーをうまく曲れなかったんだ。運良く、ダメージを受けずに、エスケープロードへ逃げることができたけれどね。
「経験がモノをいう」といわれるこのコースで、新人で予選トップ10入りを果たしたことには、とても満足している。ミカは僕と0.06秒差の9位で、これは、チームにとっても今までで最高の結果だったんだ。土曜の夜、チームはレースでのポイント獲得を確信していたよ。
レースについてのコメント?そんなに長いレースではなかったね!リタイアするまでの時間が今までで一番短かったわけではないのだけれど、とても、とても、がっかりした。第1周目は体制が整うまでなんとか持ちこたえて、9位をキープしていたミカのすぐ後ろで、僕は調子良く走っていたんだ。スタートの時にすぐ、いいポジションにつけることができたので、このままうまく行くと思っていたよ。けれど、15周で、サン・デボテで壁面のバリアに触れてしまった。気がついたら、反対側のコースのタイヤバリアの中にいたんだ。
いろいろ言ってもはじまらないよね。モナコが牙をむくというのはよく知られているけれど、1988年、トップを走っていたアイルトン・セナがリタイアして、そのまま歩いて自宅まで帰って行ってしまったときの彼の気持ちがわかるような気がする。僕も体を引きずるような思いでピットに戻って、残りのレースはそこでモニターで見たんだ。
レースが終わった後は、モンテ・カルロ・スポーツ・クラブで行われたガラディナーに出席し、落ち込んでいた僕はそんな中で、やっと、いいひとときを過ごすことができた。僕は、元F1ドライバーのアンドレア・デ・チェザリスと隣の席になり、いろいろないい話を楽しく聞かせてもらうことができたよ。
でも、サン・デボテのことは何度も思い返さずにはいられない!しかし、気持ちを切り替えて、2週間後のモントリオール(カナダGP)に向けて気合を入れるよ。
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