第10戦 イギリスGP 2002
2002年7月10日(水)
アラン・マクニッシュ - イギリスGPを振り返って
イギリスGPは本当に楽しみにしていたグランプリだったんだ。もちろん、F1ドライバーとして、どのサーキットであっても、ベストを尽くさなければいけないことは、僕もよく分かっている。それでも、特別な思い入れを持つ場所があるんだ。
僕がまだ、スコットランド・ダンフリーズのちっちゃな子供だった頃は、今のようにテレビで全レースが放送されていたわけではなかったのだけれど、モナコやシルバーストーン、モンツァのレースは、テレビでよく見ていたんだ。1977年、ジェームス・ハントがイギリスGPで優勝した時も、僕はまだ7歳だったけれど、テレビで見ていて、とても印象に残ったことを覚えているよ。
ジェームスとは後に、まだ僕のキャリアも浅い頃だったけれど、彼はマルボロチームのドライバーアドバイザーとして、僕はチームのドライバーの一人として一緒に仕事をすることとなったんだ。1990年、僕の初参戦のF3000、ドニントンのレースで僕は、意識を失ってしまうほどのひどい事故に巻き込まれてしまったんだ。
シルバーストーンで国際レースでの勝利をあげることができたのは、それから1ヶ月後のことで、シド・ワトキンス博士(F1グランプリ担当ドクター)のお陰で、僕はレース復帰することができたんだ。当時のシルバーストーンは今より高速のサーキットで、僕はこの時、ポール・ポジションを獲ることができたんだ。何周かはデイモン・ヒルに遅れをとってしまっていたけれど、チームメイトを抜いて、優勝することができたんだ。とても感動的な瞬間だったよ。
もし、その時誰かに、この同じシルバーストーンをF1イギリスGPで走るチャンスをつかむには、あと12年もかかることになるんだよ、って言われたとしたら、当時の僕ならとってもがっかりした気分になっただろうな。控え目に言ったとしてもね!でも今の僕はあの時よりも経験も積んで賢くなったし、そして年も取ったからね。こんな話を聞けば、今回の僕のイギリスGPデビューをより分かってもらえると思うよ。
イギリスGPの決勝レースで、クラッチトラブルのためにスタートできなかったことについて、どれだけ残念だったか、あえてここではもう言わないけれど、それまでは、とても充実したレースウィークだったよ。金曜日はミカが体調不良でプラクティスに出られなくなってしまったので、あまり良くない日だったけれど。 また、あの典型的なイギリスの天気のせいで、ドライのセットアップを詰めるチャンスも失ってしまったよ。
けれども、僕たちは予選向けのセッティングをいい感じで決めることができて、ミカはチームにとって今季最高グリッドの8番手につけることができたんだ。僕は、朝のプラクティスでは速いタイムを出すことができていたのだけれど、予選ではタイムアタック中に他車との渋滞にはまってしまったんだ。
そのために、0.2~0.3秒くらいロスしてしまった。ここ以外の2つのセクターでは、ミカと変わらないタイムをあげていて、予選のタイム差はミカと僕では0.39秒しかなかったのに、中位ドライバーのタイム差が詰まっていたので、ミカより7つも予選順位を落としてしまうことになってしまったんだ。
シルバーストーンでは、サーキットに来ている人たちから、とても歓迎を受けて嬉しかったのだけれど、日曜午後のレースでは、その応援に応えることができず、とても残念だったよ。
サーキットを離れたところでの話では、英国トヨタでは、会社をあげてパナソニック・トヨタ・レーシングを応援してくれていると聞いているよ。なんでも、毎回レースごとに社内のカフェテリアを旗や横断幕などを使ってF1風に飾り付けをしたり、スペシャルメニューとして、グランプリ開催国のお国料理を出したりしているのだって!来年、僕はぜひ「ハギス」というスコットランドの名物料理をリクエストしたいな!英国トヨタでは、400人を超えるディーラーの人たちを招待して、イギリスGPに応援に来てくれたのだけれど、皆さんにたくさん声をあげて応援してもらう機会を作れなくて、申し訳なく思っているよ。
僕たちのチームは、そろそろ努力の結果を得てもいい時期に来ていると思う。次のフランスGPがはじまりになればいいよね。ミカと僕は、次のレースの前にモンツァで、シーズン後半に待ち構える高速サーキット向けのセットアップを詰めるために、テストをすることになる。そのあと、僕はイギリスで行われる、グッドウッド・フェスティバルでTF102をドライブする予定なんだ。ラリーの元スーパードライバーだった、パナソニック・トヨタ・レーシングの代表、オベ・アンダーソンさんもサーキットに来るそうだし、とても楽しいイベントになると思うよ。
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