第17戦 日本GP 2002

2002年10月13日(日)

日本GP 決勝レポート

2002年シーズンの終演、日本GP鈴鹿でパナソニック・トヨタ・レーシングチームのミカ・サロは、8位でフィニッシュした。

残念なことに初めてのホームグランプリでチームは決勝を1台で闘わなくてはならなかった。前日の予選でアラン・マクニッシュがアクシデントに見舞われ、身体的に決勝への出走が許されなかったのだ。一方サロは、攻めのレースを展開し、ピットクルーの迅速な作業も彼をトップ10へ援護した。

「振り返ってみると、ベストなレースではなかった。最後のセットのタイヤはすごいアンダーステアーが出て大変だった。レースの中盤でセンサーが壊れてしまってタイムをロスしたけど、スタッフが何とか無線を使って助けてくれたんだ。レースには特別なことって無いけれど、チームと共にチェッカードフラッグを見るというのは良いものだよ」とサロはコメントしている。

マクニッシュは、土曜日に130Rでコースオフして右足の膝を強打してしまった。決勝日の朝にはウォームアップ走行を行い、13番手、サロのタイムから僅かに0.1秒遅れで周回して見せたがFIAのメディカルチームは、マクニッシュの決勝への出走をOKしてくれなかった。

「アクシデントの後に休養したから朝のウォームアップでも問題なかった。でも再検査で、レースはしない方がよいだろうと彼らが判断したんだ。打撲はそれほどではないんだけれど、レースを走りきれるかどうかを判断したみたいだ。やる気十分だったんで本当にがっかりだ」とマクニッシュはコメントしている。

Mシューマッハーが新記録のシーズン11勝目を記録した。そしてRバリチェロが彼を援護してフェラーリチームに9回目の1-2フィニッシュをもたらした。マクラーレン・メルセデスのKライコネンが3位に入って4回目の表彰台をゲット。ウイリアムス・BMWのJPモントーヤが4位。そして、ジョーダン・ホンダの佐藤琢磨が5位でフィニッシュして初ポイントを獲得し、地元日本のファンは歓喜し、ルノーのJバトンが6位となった。

「まずまずのシーズンであったと思います。シーズン序盤でポイントゲットできたことで自分たちの実力以上の期待が高まってしまったのは事実でした。ひとつひとつのレースでわれわれは多くを学び、経験を積み重ねてきた。そして来年われわれは一層の飛躍を目指します」とパナソニック・トヨタ・レーシングの社長オベ・アンダーソンはコメントした。