第17戦 日本GP 2002

2002年10月21日(月)

アラン・マクニッシュ - 日本GPを振り返って

予選でのあの130Rでのクラッシュは、僕にとって本当に日本GPウィーク中での最大の出来事となってしまったよ。土曜日の午後、最初の予選走行で、クルマが少しセンシティブなところが気になったから、ラップの後半ではあまり無理しないように気をつけていたんだ。

フロントのアンチロール・バーに調整を加え、ウィングの角度も少し変えたことで、第1セクターの高速スイーパー(fast sweepers)での感触はずいぶん良くなったんだ。130Rに差し掛かるころには、0.6秒もタイムを縮めていて、最後の瞬間まで万事上手く行っていた。ところが、クルマに突然オーバーステアが出てしまったんだ。

僕は対応するために逆方向にロックしたんだ。すごく重い感じがしたんだけれど、次の瞬間には逆方向に大きく反応したと思ったら、突然後ろ向きになってしまい、そのまま激突するしかなかった。バリア自体にぶつかったことは憶えていないのだけれど、クルマが頭から地面に当たり、その後タイヤから再度着地したのはよく憶えているよ。

あの時は、ただただクルマから脱出してその場を離れることだけを考えていたよ。とにかくバンクに上がらなくてはいけないことははっきりわかっていた。すぐにヘルメットを外して、体全体のどこかに異常がないかを確かめたよ。男として打ちたくない場所も打ってしまったから、大きな怪我がないことはわかっていたものの気分全快とはいかず、しばらく横にならなくてはいけなかったんだ。

土曜日の残りは休息にあてて、回復を図った。日曜日にサーキットに着いたときには、思っていたほどの痛みもなかったんだ。後ろ向きで追突したこともあって、むち打ちの症状はそれほど出ていなかった。むしろ右ひざの痛みのほうが気になるくらいだったんだ。日曜日には、まずFIAのメディカルチーフであるシド・ワトキンス博士に会い、診察を受けた結果、ウォームアップ走行の許可が出たんだ。けれど、結果的にはレースに出場するべきではないという判断がされて、出場は断念せざるを得なかったんだ。

ふくらはぎに腫れがあり、腫れた箇所から水を抜く治療を受けなくてはならなかった。FIAのメディカルチームは、長距離のレースで他に問題が出てくる可能性を心配したんだ。とにかく、僕はクルマについて良く知っているし、エンジニアはシャシーについては良く知っている、そして医師達は身体のことを一番よくわかっている人たちなんだ。だから彼らの決定には従うことが一番だったんだ。

鈴鹿では2度しかレースしたことがないけれど、90年代前半にマクラーレンでテスト走行を繰り返した場所ではあるんだ。だからこそ、TF102に乗って鈴鹿でレースをすることをとても楽しみにしていたし、さらに、いい成績でシーズンを終えることができれば、と望んでいた。確かに、人々にインパクトを残してしまった週末だったけれど、決してそれは僕が望んでいた形ではなかったよ!

実際、すっかり落ち込んでしまったよ。ガレージの後ろでモニターからレースを観戦しなくてはいけなかったんだからね。チャンネルは2つか3つしかなかったけれど、デジタルデータはすばらしくて、鈴鹿を知っているドライバーと知らないドライバーの違いがはっきりわかったね。スイーパーを抜けるときには差がそれほどわからなくても、例えば、ヘアピンカーブやスプーンコーナー、そしてブレーキングが必要な場所などでは差が出ていたよね。まさかあんなふうに観戦するだけになるなんて、思ってもみなかったよ。

レース後の月曜日には、僕とミカは名古屋市と豊田市で行われたファンイベントに招待されたんだ。名古屋で行われたトヨタのオフィシャルファンクラブ"team TOYOTA"のイベントはアットホームな雰囲気だったよ。200人ほどのファンが招待されたイベントで、みんなチームを応援するために駆けつけてきてくれたんだ。イベントでは花束をもらい、マンガの似顔絵ももらったんだ。もちろん、このプレゼントの似顔絵は家に飾られることになるよ。 それから、豊田市のトヨタ会館で行われたもう一つのイベントには2000人ものファンが来てくれて、僕たちは旗やバナーで飾られた会場で大歓迎を受けたんだ。日本でのパナソニック・トヨタ・レーシングへのサポートは思っていた以上に大きなスケールで、本当にうれしい驚きだったよ。ミカも僕も、映画スターになった気分だったよ!

シーズンを振り返ってみると、ポイント獲得をできなかったということが一番辛かったことだね。それは全く不可能なことではなかったのだから。でも、それがこのレースの世界なんだよね。来シーズンからはトヨタのプログラムの一員ではなくなるということはとても残念だし、今までの労力を形として手にできなかったことも悔やまれる。でも、僕は過去を振り返っていつまでも悩むタイプじゃないんだ。ポジティブな面もたくさんあったことも事実だからね。トヨタチームのドライバーとしてF1に参戦し、4年間も一緒にやってこられたんだ。これからは、僕にとっての新しい一章の幕開けになるんだ。