第2戦 マレーシアGP 2003
2003年03月25日(火)
クリスチアーノ・ダ・マッタ - マレーシアGPを終えて
正直言って、マレーシアGPは、パナソニック・トヨタ・レーシングにとってフラストレーションのたまる結果となってしまった。僕達のTF103はセパンでとても競争力のあるクルマだったから、ポイント獲得ができたはずだった。しかし、トラブルが多発してしまって、実力を発揮できずにポイントも獲得できないまま、レースを終えなければならなかった。
がっかりしたけれど、再びTF103の速さを証明することができたことでは勇気づけられた。
セパン・サーキットは初めてだったけれど、とても好きになった。これまで見てきたF1サーキットの中でも素晴らしいものだった。1周が5.543キロと長いけれど、そこにうまくコーナーが配されている。高い気温と湿度は体力的には厳しいものだったけれど、僕はドライブを楽しめた。
金曜日からもうさっそく速さを示すことができた。午前中行われたわずか1時間のフリー走行でコースを把握した後に行われたワンラップの予選では、11番手のタイムをマークできてうれしかった。この結果で僕と僕のレースエンジニアのオジー・オイカリネンは、その後の結果に自信を持った。そして土曜日の予選では、燃料を多めに搭載してアタックするつもりだった。でもそれから雲行きがおかしくなってしまった。
土曜日の予選前に行われた15分間のウォームアップ走行で、僕のクルマのクラッチが正常に切れないことがわかった。予選順位を落としてしまう原因になるかもしれないメカニカルトラブルを覚悟して走るより、Tカーにスイッチすることを選んだんだ。今回、僕用にクルマはセットアップしてあったので、ペダルの位置やシートを新たにセッティングする必要はなかった。
しかし、完全に僕の好みのセットアップというわけではなかった。2台のクルマのパフォーマンスはとても近い状態だったけれど、レースカーのように最後のセッティングの詰めが行われていなかったんだ。そんなドラマが起きたけれど、11番手で予選を終了し、オリビエから0.003秒しか遅れなかったのはうれしかった。
日曜日。スタート30分前にピットレーンがオープンしたので早めにコースへと出ていった。それが不幸中の幸いだった。第5コーナーへさしかかったらいきなり加速しなくなってしまったんだ。アクセルのシステムにトラブルが起こったようで、80キロでピットに戻ることしか方法がなかった。ピットに着くなりチームは、グリッドに着かなくてはならない短い時間内では直すことができないと判断し、そして僕本来のレースカーに再び乗り換えることになった。
改訂されたF1のレギュレーションによって、クルマを乗り換えた僕はピットレーンからスタートしなくてはならなかった。もう一刻の猶予もなくなってしまったため、1ストップ作戦をとることにした。しかし、かえってこれで、1コーナーで起きたアクシデントに巻き込まれることもなかったし、4周目までに12番手まで順位を上げることができた。でも、燃料の残量が少なくなると、エンジンのミスファイヤーが起き始めた。
開幕戦のメルボルンでオリビエが見舞われたのと同じような燃圧系のトラブルだった。気温の高いマレーシアで燃料も非常に熱くなってしまったことで起きてしまったようだ。1ストップ作戦を変更してレース中に満タンに近い状態で走行しなくてはならなかった。3回のピットストップをして1周遅れの11位という結果だったけれど、この状況からすれば、それほど悪い結果ではないだろう。
セパンの後、チームは4日間のテストをスペインのバルセロナで行う。火曜日と水曜日の2日間を僕が担当する。テスト最大の目的は燃圧系トラブルの解決だ。これを完全に解決するために3日間だったテストの予定を4日間に延ばしたんだ。オリビエが後の2日間を担当する。でも、ヨーロッパではセパンでのように気温が40度にも達するような状況ではないのでこの症状が出るか・・・。
バルセロナの後は、僕のホームレースとなるブラジル・グランプリだ。今から興奮しているよ。僕はサンパウロ出身ではないので、僕の家族はレースを見にベロ・ホリゾンテという町から飛行機で2時間かけてやってくる。
インテルラゴス・サーキットは、F1初参戦の僕にとって今シーズン初の、走ったことがあるサーキットだ。金曜日の朝のフリー走行でコースを学ぶ必要がないから、すぐにクルマのセットアップを始められる。でも、実は、このサーキットを走るのは1994年のF3レース以来なんだ。
何とかF1で最初のポイントゲットをしたい。
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