第5戦 スペインGP 2003

2003年05月06日(火)

クリスチアーノ・ダ・マッタ - スペインGPを終えて

バルセロナでは、パナソニック・トヨタ・レーシングにとって、2003年シーズン初めてのポイント獲得ができたことが素晴らしかった。6位入賞は、チームの全員が高いレベルの競争力を得るために全力を尽くした結果だ。

カタルニアでTF103が高い戦闘力を示してくれることは、戦う前から分かっていたんだ。高速の大きく回るコーナーは、僕達のクルマの空力性能にマッチしているし、今年これまで戦って来たどのサーキットより、チームがこのサーキットを熟知していたことも、僕にとって大きな助けとなった。他のチーム、ドライバーも同じだろうけれど、僕達もシーズン前のテストの多くをこのバルセロナで行ってきていて、金曜日のフリー走行を迎えるまでにはこのサーキットをTF103で3500キロ以上走破していたんだ。

僕は金曜日の午前中行われた1時間のフリー走行で、すぐにペースをつかんだ。そして、今回ミシュランタイヤがコンディションにマッチした2種類のコンパウンドを用意してくれたこともすぐに分かった。ハードとソフト、両方ともそれほど性能に差はないものだったけれど、このサーキットは、路面がとてもタイヤの摩耗に厳しく、耐久性が重要なため、それが普通なんだ。

その日の午後行われたワンラップの予選で4番手のタイムを叩き出せたことは、ものすごくうれしかった。結果表の僕の上には2台のフェラーリと1台のルノーしかいないことは気分が良かった。うまく走れたし、燃料が少ない状態でもクルマの調子がとても良かったんだ。

土曜日の朝も調子は悪くなかったけれど、ライバルたちが僕達よりもセットアップをうまく進めたようだった。これといってハンドリングに問題がなくても、午前中の45分間の2セッションでは金曜日に比べてとても遅くなってしまった。
僕達のセットアップではなぜかスピードが伸びなかったんだ。そして土曜日午後の予選ではハンドリングが最悪となってしまった。直前に少しセッティングを変えたのだけれど、それがいけなかった。クルマはオーバーステアになってしまって、これでいくつかのミスをしてしまったんだ。だいたいコンマ3秒ほど損してしまったと思う。結果は、13番手とがっかりだった。オリビエからコンマ8秒も遅かった。

でも、そこから僕の状況はどんどん良くなって行った。日曜日の朝に、トヨタ自動車の豊田名誉会長と奥田会長が今シーズンでは今回が初めて、僕達のパドックを訪ねてきてくれた。トヨタの首脳がこのF1活動にどれだけ大きな関心を寄せているかということを知り、チーム全員とても心強かった。

レース前、クルマに乗り込んだ時から、これはいけると思った。グリッドへ向かってドライブしながら、事前に行われたサポートレースによってコースが汚れた状態にもかかわらず、バランスの良さを感じていたんだ。

レースがスタートして1コーナーへ向かう時、クルマの状態がいいことに自分自身驚いた。これが2度目のドライコンディションでのスタンディングスタートだったけれど、Mウェーバーをラインをはずしながら抜いて、3コーナーの出口では8位まで順位を上げることができていた。

僕のクルマは、はじめの2ピットストップまでとてもコンペティティブで、安定した走行ができ、JビルヌーブとJPモントーヤに迫ることができた。しかし、最後のピットストップでフロントウイングの角度を低くしてもらったら、それが裏目に出てしまい、その後はすごくアンダーステアが強くなってしまった。

それでも僕は最後の数周でRシューマッハーよりもぜんぜん速かったけれど、抜くことができなかった。唯一のチャンスは1コーナーだったのだけれど、ホームストレートを7速ギヤで走行中に、エンジンのレブリミッターが当たってしまって、抜くまでに至らなかったんだ。シーズンはまだ前半戦でもあるこの時期に、順位を上げようとするばかりに無謀な追い抜きを仕掛けて、逆に6位のポジションを失ってしまうようなリスクは避けたかったんだ。

僕の両親がパドックで見守る中で結果を出せたのは爽快な気分だった。両親は僕の一番のサポーターだから最初の入賞を見せられたのは本当に良かった。僕がモーターホームに戻った時に最初におめでとうと言ってくれたのもその2人だったんだ。

僕自身、この結果には満足している。これで僕もF1でやれることを証明できたんだ。今週、僕とオリビエは、翌週のオーストリアGPへ向かう前に、2日間ずつ計4日間のテストをポールリカールで行い、同時にリカルドが3日間のテストを行う。オーストリアのA1リンクは初めてのサーキットだけれど、自信はこれまでになく高まっている。もっとポイントを獲得したい!