第2戦 マレーシアGP 2004

2004年03月21日(日)

高橋敬三DTCに聞く:決勝

速さも出てきて、調子も上向きの兆し

決勝日、マレーシアは5年に一度の総選挙の日と重なり、レースのスタートも午後3時と遅かったこともあり、午前中はサーキットも心なしか人気も少なく静かだった。天気は相変わらず暑く、お昼ごろには気温37度まで上がった。しかし、雲は多く、その雲も次第に増えてきていた。高橋敬三技術コーディネーション担当ディレクター(DTC)はレースのスタート時間が近づくにつれ、空を見上げながら天気を気にしていた。「予報によると降水確率は20%くらいなんです。できれば、降らないでこのままの状態でやりたいですね」

しかし、そんな高橋氏の願いもむなしく、スタート10分前、ドライバーがクルマに乗り込むと、空からは雨粒が落ちてきた。それも一瞬激しく降り始めた。すぐに雨は止み、レインタイヤに履き替えるほどではなかったが、これでレースの状況は微妙に変わってきていた。

クリスチアーノ・ダ・マッタ10番手、オリビエ・パニス14番手と2台ともイン側のグリッドに並んでのスタートとなったが、フロントローのイン側にいたジャガーのウエーバーがスタートに失敗。トヨタの2台は素早くイン側のピットウォールとの間をすり抜けポジションを上げることに成功する。1コーナーでダ・マッタは8番手、パニスも11番手あたりまで上がっていた。しかし、4コーナーではアウト側となってしまったトヨタの2台は、汚れた路面にダ・マッタはコーナーで大きく膨らみ、パニスは滑ってきた他車にぶつけられる格好で押し出されてしまう。これで2台とも大きく遅れ、1周目の順位はダ・マッタ14番手、パニス18番手と大きく出遅れてしまった。

「あの1周目が全てでしたね。スタートはうまくいったと思ったら、T1くらいでアレという感じでした。ターン4ではアウト側にいっていたクルマは全て遅れてしまった」。スタート直前に降った雨のため、路面がところどころ濡れており、最初の1、2周目にはスピンやコースアウトするクルマが続出した。トヨタの2台もその餌食となってしまったのだ。

「その後は遅いクルマに前を阻まれてペースを上げられませんでした。最初はハイドフェルド、1回目のピットストップの後はフィジケラ。そのため、2回目以降はピットストップを5周くらい早目にしました」

一度は大きく遅れたパニスだったが、トップグループにも匹敵する1分36秒台のペースで追い上げる。ダ・マッタの直後まですぐ追いつくが、前を行くハイドフェルドのペースは遅く1分38秒台だった。なかなか抜けず序盤は11番手のハイドフェルトを先頭に12番手にダ・マッタ、15番手にパニスらが続き、7台が団子状態でバトルを繰り広げる。

ダ・マッタは10周目に、パニスは11周目に1回目のピットストップを行うが、ダ・マッタの方は意外に手間取り、その時点で順位はパニスが前に入れ替わった。パニス14番手、ダ・マッタ15番手で2台揃って今度はフィジケラの後ろに押さえ込まれていた。

2回目のピットストップは僅か10周後、ダ・マッタ20周目、パニス21周目だった。しかし、早目にピットストップをずらしたが、その後も中団の接戦の中でなかなかペースを上げられない状態が続いた。それでもパニスは23周目に1分35秒951の自己ベストをマークする。これはマクラーレンのクルサードに比べて僅かコンマ1秒しか違わない好タイムだった。邪魔なクルマさえいなければペースはトップ集団と遜色ないレベルまで上げられることを証明した。

確実にパフォーマンスは上がっているのだが、なかなか出し切れない。さらに、ミスも目立った。45周目パニスが急遽ピットイン、トラブルかと思ったがそのままスルーでピットアウトしていく。「無線のトラブルで聞き取りづらくなってしまい、エンジンブレーキのスイッチを換えろと言ったのがエンジンブレークと聞き間違えて、ピットに入ってきてしまいました」

トヨタのガレージを通過する際、パニスは手を上げてやりきれない気持ちを露わにしていた。その気持ちが更なるミスを生む。ピットロードでのスピード違反を犯してしまったのだ。48周目にピットスルー・ペナルティに入るパニス。これで順位は12番手ながらも前車との差は大きく開き、完全に入賞の可能性を失った。

中団の混戦の中で、しぶとく我慢して走ったダ・マッタは、終盤エンジントラブルで消えたクルマのおかげもあり、ポイント圏内まであと一歩の9位にまで順位を上げてチェッカーを受けた。2台完走、しかも、ポイント圏内まであと一歩と終わってみればまずまずの結果を得たパナソニック・トヨタ・レーシングだったが、チーム内にはそれに満足する雰囲気はなかった。

「メルボルンから、ここに向けて空力パーツを中心にクルマの改良パーツを持ってきました。その効果はあったと思いますし、速さも出てきたと思います。ただ、それでもトップグループのクルマに比べてまだ速さが足りない。来週にはポールリカールでテストがありますが、そこではバーレーン用にさらに新しいパーツを開発するつもりです。マレーシア明けには、エンジニアがバーレーンに行ってリサーチもします。さらにトップとの差を縮めるためできることは全てやるつもりです」。高橋DTCは、ここマレーシアでも日曜日の夜には飛行機に乗り込みケルンへと帰っていった。