第8戦 カナダGP 2004

2004年06月14日(月)

オリビエ・パニス - カナダGPを終えて

モントリオールの街も人々も僕は大好きだ。毎日多くの熱狂的なファンが詰めかけてくれる。だからいつも雰囲気は最高だ。今年ジャック・ビルヌーブが走らないので観客数は減り、盛り上がらないのではと思っていた人も多かったが全くそうじゃなかった。カナダの人達はF1が大好きで、僕が思うにジャックのお父さん、彼らの英雄であるジルの時代からそうだった。なんといっても、ジルは1978年にノートルダム島のコースで最初に行われたグランプリで勝ったんだからね。

毎年ここで行われるレースは違った感じだ。トラブルを抱えていると挽回が難しく、1コーナーがきついので、接触などが起こってよくセイフティーカーが導入される。実際に戦略を考えるときの要素としてセイフティーカーが導入される可能性の有無というのが重要になってくる。計算上ではピットストップを多くした方が良いと出ていても、レースが中断されることも考えに入れておかなければならない。ある意味、ここはモナコに似ている。もちろん、ここでは追い抜きが出来るという点が違うけれどね。

1997年のカナダで起こしたアクシデントは、僕の149戦のキャリアの中で最悪のアクシデントだった。F1では、他に何回か大きなアクシデントを起こしているけれど、幸いにケガはなかった。あのアクシデントはリヤのウイシュボーンが壊れたのが原因で、僕にはどうすることもできなかったんだ。それは第4ターンで起き、アクセル全開セクションだから何も壊れて欲しくないところだ。クルマは3輪状態になって僕はただクルマに乗っていることしかできなかった。

現在僕の足は完全に元に戻って、アクシデント前のようにサッカーや、テニス、何でも出来る。関節にダメージは無かったので、冬になって動きが鈍くなるようなことはない。スキーで骨を折るようなきれいな骨折だったのが幸いだった。最悪だったのは、毎戦のように表彰台を争っていたほど好調だったシーズン中にアクシデントが起きたということだ。アルゼンチンGPまで僕は選手権ポイントをリードしていた。でも、フランス語で言う<セ・ラ・ビ>、こういうのも人生なんだよ。

カナダGP前のモンツァでのテストはとても良かった。モンツァもローダウンフォースサーキットだからモントリオールの準備としては最高だった。工場では来月のホッケンハイムに新しいクルマを間に合わせるために全員が頑張っている。だから、状況は常に良い方向へと向かっている。

正直なところ、レース週末のクルマのハンドリングはとても良かった。予選のタイムを見ても、2ピットストップ作戦のために多くの燃料を積んだ状態で、僕はクリスチアーノから100分の4秒しか遅れていなかった。その燃料での予選はきつかったけれど、頑張って13番手を確保した。タイヤが長期的に見て安定していたので、戦略は良いはずだった。

ローダウンフォースのコースでは、ブレーキングの時にクルマが安定しなくて、暴れるように感じる。グリップ感がないんだ。デコボコの箇所では、より動きが多くなってしまってグリップレベルはもっと下がり、もっとスライドしてしまう。予選での最大の問題がそれで、速く走ろうとしてタイヤがロックしてしまったりすると容易にコンマ5秒くらい損してしまう。このあたりが難しくて、特に燃料をたくさん積んでいるときは大変だ。だから正確な運転が大切になってくるんだ。そんな状態でもうまく走れたので、僕自身の予選のアタックには満足していたんだよ。

しかし、レースとレース後に不運な結果が待っていた。レース中1コーナーで混乱が多発した。ジャガーとマクラーレンが関与したもので、僕もそれでタイムロスしてしまった。その後のレースで僕は全力を尽くした。しかし、次にチームにブレーキダクトの問題が発生した。われわれにはどうすることも出来ないけれど、クリスチアーノとチームがポイントを失ったのは、本当に残念だ。

今週、僕はモントリオールから1時間ぐらいのところにある湖でジェットスキーや4輪バイクに乗って楽しむ予定。友達と3日間そこでトレーニングしたり、休養した後、僕のグランプリ150戦目となるインディナポリスへ飛ぶことにしているんだよ。