第15戦 イタリアGP 2004
2004年09月14日(火)
オリビエ・パニス - イタリアGPを終えて
38歳のフランス人ドライバーのオリビエ・パニスが、前戦のモンツァで行われたイタリアGPを振り返るとともに、引退への決意、そして、9月末に上海で行われる初開催の中国GPについて胸中を語ってくれた。
グランプリレースから引退を決意した後、パナソニック・トヨタ・レーシングのサード・ドライバーとして2年間の契約を結ぶことができ、とてもうれしい。レースを辞めるという決断は、勿論、簡単なものではなかった。引退を考え始めたのは夏頃で、その頃から、妻や僕のマネージャーに相談していた。それから、トヨタのトップマネージメントである冨田さん、ジョン・ハウエット、そしてマイク・ガスコインに相談するという形を取った。幹部の皆は、僕の決断を尊重してくれた。そしてジョン・ハウエットから、僕を他の役割でチームに留めたいというオファーをもらった。
僕は、サード・ドライバーとして貢献して欲しいというトヨタの申し出を、喜んで受けることにした。僕の立場はとても明確で、チームのリザーブドライバーとして在籍しつつ、テストプログラムに深く関わり、そして、チームの若手ドライバー育成にも従事する。僕は、引退を決意しつつも、パナソニック・トヨタ・レーシングに何らかの形で残りたいという思いがあった。というのも、チームとしてはまだ若いが、将来的には必ず強く、そして成功を収めるための要件は揃っていると考えているからだ。チーム環境は非常に良く、そして、チームの皆に対し敬意を払っている。
トヨタは、長期的な挑戦に果敢に取り組んでいる最中だ。そして、トヨタチームを将来に向けて成功させていくためにも、チームの一員として貢献し続けたいと心から願っていた。このチームは、いつか必ず成功すると確信している。トヨタは、僕にあと2年間一緒にやろうと言ってくれた。そして、表彰台を目指せるチームにするために、強力なプログラムを実施していくことを話し合った。このような立場で仕事をすることも、僕はとても楽しめると思っている。かつて、理由は違ったけれど、2000年にマクラーレンで同じような立場で仕事をしたことがある。あのときは、僕自身がレースに復帰するために受け入れたポジションだったけれど、今回は、チームの前進に貢献するという立場だ。
僕は、トヨタ・ドライバーズ・アカデミー(TDA)にかなり力を入れることになる。来年、僕は、TDAのレースを3~4度程視察して、チームの運営方法や、身体的な調整方法などを調査していくことになる。その後、具体的にチームに協力する方法を、より詳細に考えて行くことになる。僕の今までの経験を生かし、若手のドライバーたちが、モータースポーツを理解して行く課程を支援していくんだ。
僕は、フォーミュラ・ワンを愛し、そしてこの業界で、バーニー・エクレストンという人物を尊敬している。彼のF1に対する貢献は、計り知れないものがある。でも、僕自身は、将来的に絶対にあり得ないとは断言できないけれど、現段階では、レースにビジネスとして関与する気持ちはない。
これからの楽しみといえば、家族と一緒に過ごす時間が増えるということだ。F1のスケジュールというのは、1シーズンに18のグランプリレースがあり、そのレースの合間にはテストが行われる。とても過酷なスケジュールだ。僕には、10歳、6歳、そして2歳と、3人の子供が居て、子供達のことを考えるようにもなっていた。妻のアンは、1997年にカナダGPで両足を骨折した時でさえ、引退を勧めるようなことはしなかった。僕らは、引退について話したことさえなかった。でも、今、彼女は喜んでくれていると思う。人によっては、僕が引退を決めたことに対して、「まだスピードだってあるし、体力的にも精神的にも、まだまだやれるじゃないか」と言って驚いていた。僕自身だって、まだ現役を続けられるだけのスピードや体力があることは、十分に分かっている。でも、引退の決断をしなくてはならない日は、必ずやってくるものなんだ。金曜日に、モンツァでエディー・アーバインとジャン・アレジに会ったんだ。「僕らのクラブにようこそ」って言ってくれたよ。
イタリアGPの週末は、厳しいものになった。週末を通して、数多くのトラブルに悩まされた。金曜日は、クルマの後部に発生した奇妙な振動と、ブレーキペダルの問題が発生するというトラブルに見舞われた。残念ながら、われわれは原因究明をすることができず、そのままでセットアップ作業とタイヤの比較テストを行わなくてはならなかった。土曜日には状況はましになっていたものの、まだ100%僕の好みの状態ではなかった。また、公式予選1回目の直前になって、ギヤボックスを交換しなくてはならなくなってしまい、予選では、クルマに確固たる自信を持って運転することができなかった。問題を抱えながらも、13番手というのは、特に、燃料を多めに積む戦略だったことを考えると、まずまずの出来だったと考えている。
日曜日のレースでは、午前中の降雨によって、コースは未だに濡れていたけれど、急速に乾き始めていた。だから、ドライ用のタイヤでスタートするというチームの判断は正しかった。ミシュランのドライ用タイヤは、乾き始めたコンディションで良い性能を発揮してくれるので、順調なスタートを切ることを楽観視していた。しかし、残念ながら、思ったような展開にはならなかった。
僕は、良いスタートを切り、第1シケインまでに12番手に順位を上げた。モンツァのシケインというのは、一気にコースが狭くなっているので、動きがとれなくなる。第2シケインで、Aピッツォニアと近距離で走行をしている最中に、アンダーステアーが出てしまい、彼に接触してしまった。接触の衝撃でフロントノーズが壊れ、グラベルベッドに止まってしまい、レースに復帰することができなかった。チームのみんなには、本当に申し訳ない結果となってしまったが、トラブル続きだった僕のモンツァでの週末を象徴する終わりとなってしまった。
僕は、中国GPをとても楽しみにしている。異国に行き、異文化を体験するというのは、いつになってもとても興味深いものだ。僕のように、F1に11年も身を置いているドライバーにとって、全く新しいコースがシーズンに加わってくるというのは、大きな挑戦なんだ。サーキットのデザインはすばらしく、上海という街には、きっと多くの人が衝撃を受けるだろう。僕は、メルボルンの後、トヨタのPRイベントがあったので2日間ほど上海に行った。サーキットには行かなかったけれど、上海で滞在していたんだ。上海というところは、信じられないほど素晴らしかった。だから、来週末に上海へまた行けるのが、待ち遠しくてしょうがないよ。
われわれは、中国と日本に向けて、今週、シルバーストーンでテストを行う。シルバーストーンは、上海や鈴鹿のような高速コースなので、有意義なテストが行えると期待している。上海に関しては、全く未知のサーキットで、特にタイヤに関してはデータが無いが、バーレーンのデータから、ある程度の比較ができると思っている。バーレーンも新しいサーキットだったので、タイヤの摩耗や性能に関しては、ある程度似ていることが考えられる。われわれは、ミシュランと密接に協力して、競争力のあるコンパウンドを選択しなくてはならない。金曜日の練習走行では、やらなくてはならないことがたくさんあるが、勿論、トラックについて学ばなくてはならないのは、全てのドライバーに共通していることだね。
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