レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

197LAP

197LAP

「ニュルブルクリンク24時間レース、感動と無念」

2017.6.13

「本番仕様にモディファイされたマシンで挑む」

 2017年のニュルブルクリンク24時間参戦のためにサーキットインしたのは、本番レースを週末に控えた木曜日。5月24日だった。
 羽田を11時15分に飛び立ったいつもの全日空NH223便が、フランクフルト空港に着陸したのがドイツ時間の午後4時。レンタカーを引き取り、アウトバーン経由でサーキットに到着したのは夕方7時。
 いつもなら直接ホテルへ向かい、靴を脱ぎ、翌日までのんびり身体を癒すところなのだが、今回は違った。気が張っていたのか、不安だったのか。あるいは武者震いで興奮していたのか。はやる気持ちを抑えきれず、まずはピットに顔を出したのだ。
 コントロールタワーから遠く離れた27番ピットには♯123と♯124の2台のアルティス佇んでいた。本番に備えて、美しく化粧直しがされていた。化粧直しがされていただけでなく、前回のQFレースの時とは異なり、機能的にもモディファイされていたのは驚きだった。
 5速Hパターンだったミッションは、ヒューランド製の6速シーケンシャルに換装されていたし、強く提案したABSも装備されていた。コクピットに並んだ夥しい数のスイッチも、24時間を戦い抜くための仕様に変更されていたのである。

安定してノルドシュライフェを駆け抜ける♯124アルティス

安定してノルドシュライフェを駆け抜ける♯124アルティス

エントリーリストに自分の名があるのは誇らしい。プログラム編集はドイツ人なのであろう。ひとりのタイ人ドライバーの出身地が「Japan」になっていた(笑)

エントリーリストに自分の名があるのは誇らしい。プログラム編集はドイツ人なのであろう。ひとりのタイ人ドライバーの出身地が「Japan」になっていた(笑)

まだ無傷。これから激闘の24時間が始まろうとしていた。

まだ無傷。これから激闘の24時間が始まろうとしていた。

「生き抜くために」

 絶対的なスピードで劣るSP3マシン(2リッターNA)は、バックミラーに迫り来るGT3勢を避けながら走らざるを得ない。スーパーGTの集団にアルティスが放り込まれたようなことだから、常に「後ろを見ながら前に走る」のである。
 そのため、後方視認性はサバイバルには重要だ。バックミラーの形や位置に妥協があってはならないし、背後からの体当たりから逃げまどうためには、ウインカーレバーの位置や作動ですら気を配る必要がある。そのあたりの気遣いが、しっかりと形になっていたのだ。
 ドライバーのリクエストが却下されることも少なくない。コース上で戦うドライバーには不可欠な装備や配置でも、チームがその必要性を理解できないことがある。たとえ、それがドライバーの命を守るための重要なパーツであっても、だ。だが、このチームは違った。ドライバーの発言に耳を傾ける姿勢がある。
 重量増を覚悟で、二種類のパワーステアリングシステムが組み込まれていたのには驚かされた。電気モーター式と油圧式の2系統が、スイッチ一つで選べるようになっていたのだ。
「なぜふたつも!?」
「一方が故障したらもう一方を使えるようにさ」
 バワーステアリングのバックアップが用意されているレーシングカーに乗るのは初めてだった。
「電気式がいいか油圧式がいいかは、ステアフィールを基準にドライバーが好みで選べばいい。コンディションが、突然変わることもある。ステアリング・インフォメーションは大切だから、妥協すべきではないよ」
 雨の中のスリック走行もニュルブルクリンクでは珍しくはない。昨年はドライレース中に突然ヒョウに襲われた。ニュルブルクリンクという特殊なサーキットを理解し、ドライバーを尊重した仕様だと思った。
 ただ速いマシンに仕上げるだけではなく、サバイバル性能に優れたマシンを作る。そんな頑固な思想を感じたのだ。

 トヨタ紡織のシートも換装されていた。
 実はチームタイランドが本国のスーパーカーレースに参戦した時、不幸なことに多重クラッシュに巻き込まれた。前回のQFレース後のことだ。ドライバーは大怪我をしなくてすんだものの、頭部に衝撃を受けた。それをきっかけに日本の僕にリクエストが届いた。
「トヨタ紡織のシートは、体も頭も保護してくれるような形状だね。手配することはできないだろうか⁉ニュルではどんな危険があるかわからないからね」
 サバイバル性だけではなく、安全性にも妥協がない。このサーキットがどれほど危険であり、人間の命がかけがえのないものであることを理解している。安全が何よりも優ることを知っているのだ。

真夜中でも操作しやすいように、スイッチ類も組み替えられていた。

真夜中でも操作しやすいように、スイッチ類も組み替えられていた。

クーリングダクトも準備されていた。「今年は暑いレースになる」。ウエザーリポートからそう判断したようだ。

クーリングダクトも準備されていた。「今年は暑いレースになる」。ウエザーリポートからそう判断したようだ。

ウインカースイッチは、一度押せば二度押しするまで点滅を続ける。ニュルならではのシステムに組み替えられていた。中央には、「60km/hリミッタースイッチ」が組み付けられていた。ピットロード走行用と、「コード60(危険ゾーンで60km/h走行が命じられる区間)」のためだ。

ウインカースイッチは、一度押せば二度押しするまで点滅を続ける。ニュルならではのシステムに組み替えられていた。中央には、「60km/hリミッタースイッチ」が組み付けられていた。ピットロード走行用と、「コード60(危険ゾーンで60km/h走行が命じられる区間)」のためだ。

トヨタ紡織のシートに換装されられていた。正確なドライビングのためだけでなく、安全を優先したための装備だ。

トヨタ紡織のシートに換装されられていた。正確なドライビングのためだけでなく、安全を優先したための装備だ。

「ロールケージに貼り付けられた20ユーロ紙幣」

 マシンを眺めていて、不思議なものが貼られていることに気づいた。ロールケージに20ユーロ紙幣が巻き付いていたのだ。
「これは何!?」
 コクピットドリルを授かっている最中、不思議に思った僕は、浅黒いタイ人メカニックに聞いた。すると彼はこう答えた。
「今度はタクシーで戻って来られるでしょ!?」
 先月のQFレースで、ヒッチハイクによって生還したことのジョークである。
「助手席の箱にはダウンジャケットと飴玉を積んである。もう快適だよ」
 僕は笑いながらこう返した。
「できればBBQセットを積んでいてほしいね」
 徹底してコンペティションを追求したマシンであっても、心を和ませるセンスも備わっている。そんなチームなのだ。

できれば使わずに済むことを願う。20€紙幣。

できれば使わずに済むことを願う。20€紙幣。

「名門ザクスピードの助けを借りて…。」

 チームは「TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand」だ。マシン製作は基本的に「TRD Thailand」である。ただ、当地でのメインテナンスやオペレーションはドイツに本拠を置くザクスピードが担当していた。
 ザクスピードは1985年から1989年までF1に参戦していた名門チームである。1989年にはヤマハエンジンを搭載し鈴木亜久里を起用していたから日本人にも馴染みがある。その一方で、DTMにも参戦、メルセデスワークス時代を経験している。
 何よりも僕が痺れたのは、ザクスピードがニュルブルクリンク24時間で数々の総合優勝に輝いていることだ。クライスラー・バイパーを駆り、たしか総合優勝は4年連続だったと思う。僕も当時、日産スカイラインGT-Rで戦っていたから、彼らの強さを目の当たりにしている。このサバイバルレースでの4連覇は、ただ速さだけでも強さだけでも手にすることのできない称号である。
 それは過去にBMWが記録した数字に並ぶもので、翌年にニュルでの記録がアメリカ車に破られるかもしれないことを嫌ったドイツのオーガナイザーが、バイパーの5連覇を阻止すべく規則を変更、DTM仕様をベースにしたドイツ製マシンの参戦を許可したと噂されたほどだ。それほどの強さを誇ったのである。
 ちなみに、かつてザクスピードのガレージは、ニュルブルクリンク・グランプリサーキット内にあった。ザクスピードといえばニュルブルクリンクにもっとも濃く、近いレーシングチームなのだ。

TOYOTA GAZOO Racing Team Thailandとザクスピードがコンビを組んだ。目の当たりにした数々のノウハウは、僕の財産になった。

TOYOTA GAZOO Racing Team Thailandとザクスピードがコンビを組んだ。目の当たりにした数々のノウハウは、僕の財産になった。

まさかF1チームのトレーラーが帯同するとは夢にも思わなかった。あっ、ザクスピードのステッカーをもらって帰国するのを忘れた(汗)

まさかF1チームのトレーラーが帯同するとは夢にも思わなかった。あっ、ザクスピードのステッカーをもらって帰国するのを忘れた(汗)

「しかし、今年のレースはトラブルに悩まされることに」

 かくして挑んだ2017年のニュルブルクリンク24時間レースは、結果から言えば、トラブルが頻発し、必死に地べたを這いながらゴールを目指すという散々な内容だった。
 僕が乗る♯124は、出走した全161台のうちの総合123位のグリッドからのスタート。チームメイトのSP3クラスの♯123は総合117位からのスタートとなった。
 チームは予選順位には興味を示さない。マシンに負担をかけないために予選アタックも封印。僕がマシンチェックを兼ねて流したタイムをそのまま記録として残した。
 スタートドライバーに指名された、チームの中でも経験が豊富と思われるJUM君は、みるみると順位を上げていく。だが、順位を上げることよりもタイムを安定させることに手中している様子だった。クレバーなドライビングが光った。
「キノシタサン、夜明けになってからタイムを上げてもらいますよ。それまではマシンを温存して走ってくださいね」
 僕はその指示に従い、10分30秒ほどのタイムを正確に刻み続けた。アタックをすれば9分台も容易に予想されるマシンの約30秒の余力を温存に割り当てたのだ。
 ♯124を担当する4名のドライバーが、給油タイミングと重なる11周回を淡々とこなし、夜が明けるのを待った。そこからが勝負だと誰もが自覚していたのである。
 ただ、トラブルは容赦なく僕らを襲った。僚友♯123がスロットル系のトラブルで緊急ピットイン。メカニックがコクピットに潜り込み、応急修理でコースに送り出す。すぐさま♯124にも、スロットル系を労わるドライビングのコツが伝授される。同じシステムを使っている関係で、同様のトラブルが発生する可能性があるからだ。情報の共有である。

 同時に♯123にパドルシフトの不具合が発生した。エンジン回転とシフトチェンジを同調させるシステムが正常に機能しないというのだ。それも♯124の僕らに伝達される。♯123のパドルシステムのトラブルの最中、僕はドライブ中だったけれど、それすらも無線を通じて情報の共有がされた。

FFゆえにトラブルは大概フロント部に集中する。

FFゆえにトラブルは大概フロント部に集中する。

チームウエアから作業着に着替えて巨漢が潜り込む。

チームウエアから作業着に着替えて巨漢が潜り込む。

もはやなりふり構わずトラブルシューティング。

もはやなりふり構わずトラブルシューティング。

「ノー トラクション!」

 しかし、パドルを労わりながら走行しつつも、僕の走行中にドライブシャフトのトラブルが発生。いきなり回転が抜けたかと思った瞬間、駆動を失った。幸い、低速での走行は可能だった。1周を20分以上の時間を費やし、立ち往生に怯えながら足を引きずるようにしてピットに帰還した。
「とりあえず戻ってくることができた……」
 マシンはガレージに押し戻され、本格的な修理が始まった。数名のメカニックがマシンに潜り込み、手や顔をオイルで真っ黒にしながら作業を進めている。高回転で回るドリル音や、スパナやラチェットが当たる金属音がピット内に響く。気を張ってないと怪我をしそうな緊張感に包まれていた。
 しかし、根本的なトラブルシューティングはできなかった。スペアパーツを組み込むことは簡単だが、対策部品ではないからだ。つまり、組み替えてコースに戻ったとしても同様のトラブルが発生するに違いないのである。
 そんな時、さらに怒号が飛んだ。♯124の修理の真っ最中、♯123にもドライブシャフトのトラブルが発生。原因は同じだ。FFマシンで車高を下げると、ドライブシャフトに負担がかかる。それをジオメトリーやドライドシャフトそのものに細工をするなどして対策する必要がある。それはFFのアキレス腱だ。我々の急所にトラブルが襲ったのである。

 ピットは野戦病院さながらの混乱である。シャフトやボルトナットが床に散乱し、オイルまみれでヌルヌルだ。メカニックの指示や怒号は、どっちのマシンの誰から発せられているのかわからない。ザクスピードのメカニックが怒鳴るドイツ語と、タイメカニックのタイ語と、そして助っ人で加わっていた日本人の発する日本語が飛び交う。もはやピットはカオスとなり、言語などは意味をなさない。早く治してコースに送り出すのだという強い信念だけが共通言語のようだった。
 そして、なんとかコースに復帰したものの、さらに次々とトラブルに襲われる。エンジンが不調になった。オイルの異常消費。マシントラブルを表示するアラームが頻繁に点滅する。その光は赤く不気味に血の色をしていた。ドライブ中に光る緊急ランプは、暗闇の中のドライバーの目を鋭く刺す。心臓がぎゅっと萎縮させ、ドキドキと鼓動を叩くのだ。
 もう、どんなトラブルがどのタイミングで発生したのか、正確に思い出すことができない。その後、タイヤバーストもあったし、オイルの異常消費は悪化していったし、しまいには準備したオイルが空になり、他のチームから購入したほどである。

ドライブシャプトのトラブルは、FFにとっては致命的だ。

ドライブシャプトのトラブルは、FFにとっては致命的だ。

ミッションとの組み合わせ部が破損する。

ミッションとの組み合わせ部が破損する。

Jスポーツリポーターのエイミーの励ましにも苦笑いするだけだった。

Jスポーツリポーターのエイミーの励ましにも苦笑いするだけだった。

「正しくも屈辱の判断がくだされた」

 最終的にチームが判断したのは、完走することだった。残り2時間。スペアパーツはすでに底をつき、ドライブシャフトのトラブルは再発することが確実視されていた。♯123と♯124の2台をピットに呼び戻し待機。チェッカー20分前に揃ってコースイン、チェッカーフラッグを受けるという消極的な選択をしたのである。
 コース上でストップするのを覚悟で走行を続けるという選択肢もあったかもしれない。1周でも長く距離を走り、1分でも長くコース上にいることも大切だったかもしれない。だけど、無様にコース上で息絶えるよりも、チェッカーフラッグを受けることを選んだ。
 昨年僕はレクサスRCのドライバーとしてこの地を戦った。だが、残念ながら完走することはできなかった。やはり今年同様に、度重なるトラブルに見舞われ、チェッカーフラックを受けることができなかったのだ。その悔しさが脳裏に蘇った。
「完走を目指して戦ってください」
 11年前にTOYOTA GAZOO Racingを立ち上げた豊田章男社長から、そんなメッセージを受け取っていた。この場に来ることのできなかったメンバーの思いを抱き、僕らは完走することを選んだのだ。この完走が来年への希望につながることを信じていた。

夜明けが近い。満身創痍でゴールを目指す。

夜明けが近い。満身創痍でゴールを目指す

無念にもピットに押し戻される。苦渋の選択をした瞬間だ。

ミ無念にもピットに押し戻される。苦渋の選択をした瞬間だ。

ただ時間が過ぎるのを待った。

ただ時間が過ぎるのを待った。

「劇的な優勝争いが繰り転げられていた」

 一方、総合トップ争いでは劇的なドラマが起きていた。
 残り30分を切った頃、週末を通じて晴天続きだったノルドシュライフェに突然、豪雨が襲ったのだ。
 それが逆転劇の幕開けだった。コースの大半はドライ路面だ。だが、一部では雨が激しくコースを濡らしている。さて、スリックタイヤかウエットタイヤか。タイヤ選択が明暗を分ける状況だ。
 レースの大半を支配していた♯29アウディR8LMSが、チェッカーフラッグまでわずかを残した後半に予期せぬトラブルで順位を落としていた。残り約20分で♯8アウディR8LMSにトップを奪われてしまったのである。
 ♯29のピットクルーは落胆した。頭をかかえる面々がモニターに映し出された。だが、最後の力を振り絞るように、ピットで給油を済ませ、新品のスリックタイヤに交換し、コース上に送り出した。いや、送り出そうとした。
 その時である。給油に手間取り、思わぬピットロス。作業にモタつく♯29の脇を、さらに後続だった3位走行中の♯98BMW M6GT3が過ぎ去っていった。♯29はレースのほとんどでトップを快走していたのに、残り20分で3位に陥落したのである。もはやここで勝負がついたと誰もが思った。
 だが、勝負は決していなかった。
 ♯29アウディR8LMSのチーム監督は素早く作戦を変更した。一旦は装着した新品のスリックタイヤを外し、ウエットタイヤに組み替えた。そしてコース上に送り出したのである。もはやライバルの2台は数分先を快走していた。レースは残り数分を切っていた。チェッカーフラックが振り下ろされる1周前である。

 その判断が大正解だった。1位と2位のマシンはスリックタイヤで走行を続けていた。♯29は急な作戦変更で選んだウエットタイヤだ。ドライ区間では離されるが、山側のウエット区間で猛追するという展開。そして半周後、トップから3位に陥落した♯29はウエットタイヤの圧倒的なグリップ差で、トップと2位の2台を抜き返した。2017年のレースの大半を支配しておきながら、ゴール30分前の手のひらにあった総合優勝がするりと落ちていきかけた優勝を、最後の最後でもう一度手繰り寄せたのである。
 僕が感心したのは、最後のピットインで給油をした瞬間に作戦変更をしたことである。給油ロスの脇を♯98が駆け抜けていった瞬間に、♯29がウエットタイヤを選択するのは真っ当な判断だ。ピットでモニターを見ていた僕にもそのことはわかった。スリックでコース上に復帰したとしても、順位が覆ることはない。だったら選択肢は一つ。ウエット勝負である。それはノーリスク・ハイリターンを意味するからだ。
 そう判断したことよりもむしろ僕が感心したのは、給油ロスをしたその秒を争うわずかな時間の中で、監督が作戦変更を思いつき、決断し、その指示に従ってメカニックが迅速な対応をしたことである。
 ライバルとのタイム差やチョイスしたタイヤを監視し続けたからこそ正確な判断に結びついたのだし、メカニックたちは使う予定のないウエットタイヤを準備していたからこその機敏な作戦変更である。まさにチームがチームとして機能していることを証明しているのだ。

「哲学に違いはなかった」

 コンマ1秒を争うレースの世界にあって、チームが合議制であったりや責任論が浮上するのであったら、瞬間的な判断をすることはできなかっただろう。
 総合優勝したチームと、トラブルにもがき苦しんだ僕らを同等に評価するのははばかれる。だが、我がチームにも同様の哲学が浸透している。チームオーナーに絶大なる信頼があり、的確な判断が瞬時に下されるという点では見劣りはしないのだろうと思った。命令系統と責任の所在が明確なのだ。
 ミッションが音をあげ、エンジンが不調なり、タイヤがバーストし、最後は屈辱のピット待機をした。だが、そのトラブルシューティングのすべては迅速だったし、危険を冒して周回数を一つ伸ばすことより、完走を選択したことは正しかったと思っている。僕らも残り30分でそう判断したのである。

 2017年の今年、僕は「TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand」に単身で加わった。その使命はTOYOTA GAZOO Racingの哲学を彼らに伝えることだった。だが、伝えることよりも学ぶことが多かったような気がする。
 2018年、このチームはもっと強くなって帰って来るのだろうと確信した。だから心は意外なほど晴れやかだった。

ゴール後の僕らに悲壮感はなかった。自慢できる成績ではなかったけれど、やることはやった。このメンバーで来季を誓う。

ゴール後の僕らに悲壮感はなかった。自慢できる成績ではなかったけれど、やることはやった。このメンバーで来季を誓う。

キノシタの近況

キノシタの近況 キノシタの近況

 レッドブル・エアレースに挑戦している室屋義秀選手が、日本の凱旋レースで勝利した。レクサスが応援していることもあり、何度か仕事を共にした関係だし、実際にタンデムフライトをしているから思い入れは人一倍だ。それゆえに心の底から嬉しかった。日本大会の1週間前に僕はニュルブルクリンクで惨敗していた。その仇を討ってくれたような気持ちになったのだ。おめでとう。そしてありがとう、室屋さん……。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
木下隆之オフィシャルサイト >