レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

201LAP2017.8.9

フォーミュラEはモータースポーツを救えるか!?

木下隆之が宿泊先のホテルで観た「フォーミュラE」は、人の心をドキドキと刺激するレースだったのか。それとも可能性のない茶番だったのか。爆音のないサイレントレースはモータースポーツの将来に明るい光を灯すものなのか。それとも…。

「個性的なレースがモニターに映っていた」

 海外のホテルに宿泊すると、興味深いスポーツを視聴することができる。チャンネル数が100を超えるほど豊富なうえに、その国の個性を移す鏡のように独自のスポーツを放映していることがある。日本人には馴染みのないスポーツを目にすると、様々なものが新鮮に見えるものだ。
 アメリカではNBAバスケットやNASCARなどはお茶の間(?)に浸透しているから、わざわざチャンネルを探さなくても観ることができる。ヨーロッパでは、絶大なる人気の自転車レースやサッカーが、それこそ日本でのプロ野球や相撲のように当たり前に放映されている。クロアチアではカヌーが朝晩放映されていたし、イギリスではクリケットが盛んだった。ルールも曖昧な競技であっても、日頃観ることの少ないスポーツを観戦することはなかなか楽しいものである。

 先日、とある仕事の都合でポーランドのワルシャワに滞在した。中央ヨーロッパのポーランドは、西をドイツに接し東はウクライナやベラルーシといった東欧諸国と陸続きだ。過去には、ソビエト連邦と西ヨーロッパの大国に挟まれ、地政学的な悲劇に翻弄されてきた国だ。今ではEUに組み入れられ、経済的にも自立していることもあって、文化的にはロシアよりもヨーロッパ色が強い。
 という理由もあるにせよ、スポーツ専門チャンネルで頻繁に「フォーミュラE」が放映されていたのには驚いた。ドイツに接しているということが理由なのか、モータースポーツ好きな市民が多かったのである。
 フォーミュラEの内容を日本で知るには、モータースポーツ専門誌を読み漁るか、サイトを検索しまくるしか手がない。じっくり観入るには、有料チャンネルと契約する必要がある。ホテルに帰ってなんとなくテレビの電源をオンにしたらそこでフォーミュラEをやっていたなんてこと、日本ではあり得ないからワクワクしたのである。(日本ではテレビ朝日が放送している)

レースは比較的、小さなチームで戦うことができる。将来のF1なのである。

レースは比較的、小さなチームで戦うことができる。将来のF1なのである。

 もちろん、渡欧する直前に、ポルシェがWECから足を洗ってフォーミュラEに軸足を移すと報道されていたことも興味深くテレビ観戦した理由だ。今年のル・マン24時間レースではトヨタと死闘を演じ、最多勝メーカーらしく3連覇をやってのけた。我々トヨタの好敵手として戦った同志が宣言していたのだ。こりゃ、落ち着いていられないというわけだ。
 かつてからポルシェがWECのLMP1の規則に納得していなかったことが報道されていたし、親会社のVWのディーゼルクライシスで業績が悪化。いつまでWECを続けていくのか心配する声も少なくなかったけれど、実際にWEC撤退がアナウンスされるとショックは大きい。しかも、新たに求めた戦いの場がフォーミュラEだという。このところ、そのフォーミュラEとやらはそれほど魅力的なのかと探ってみたい気持ちもあった。
 ちなみに、メルセデス・ベンツも2019年からのフォーミュラEへの参戦を表明した。DTMドイツツーリングカー選手権を放棄しての参戦である。
 というわけで、ワルシャワに滞在中に。繰り返し報道されているフォーミュラEをじっくりと観戦してしまったのである。

「斬新な施策を次々に投入して入る」

 フォーミュラEはFIA国際自動車連盟が管轄するシングルシーターの選手権である。排気ガスと爆音を出さないことをアピールするため、全戦が公道で開催されるのが特徴だ。
 マシンはいわばF1スタイルである。パワーユニットはもちろん電気モーターであり、最高出力は200Kw。車重は800kgだから0-100km/hが3秒ほどだという。タイヤはオールウエザーの溝付きだ。最高速度が225km/hに抑えられているのは、公道を使うことの危険を想定してのことだ。

排気ガスを出さず爆音もないことから公道との親和性が高い。全戦公道でレース開催なのである。

排気ガスを出さず爆音もないことから公道との親和性が高い。全戦公道でレース開催なのである。

 というわけで、その物々しいスタイルとは裏腹に、決して速くない。0-100km/hはテスラ・モデルSに劣る数字である。225km/hの最高速度はいくら公道とはいえ想像のとおりだ。溝付きタイヤだからコーナリング速度もどこかノンビリして見える。そして何よりも、爆音がない。
 僕のような旧人類にとってモータースポーツと爆音は両輪であり、これがないのは、ダンスのないEXILEであり、ダウンのないボクシングであり、味のない料理、なのである。
 その代わりにシュルシュルとインバーターが蚊の鳴くような金属音を響かせているし、爆音がしないぶんだけタイヤのスキール音が響くのだが、それも「なんだかなぁ〜」なのである。というわけで、僕には響かないのである。
 F1ではガソリンが空になると給油合戦がはじまる。フォーミュラEでバッテリーが空になると、瞬間的にチャージができないから仕方なくマシンを乗り換える。緊急ピットしてきたドライバーはコクピットから飛び降りて、もう一台のマシンに乗り込み、レースを続行する。これもどこか滑稽なのである。テレビ観戦していてピットインに興奮するばかりかむしろ、失笑すらしてしまったほどだ。
 聞けば、「ファンブースト」というシステムを採用しているという。事前のファン投票での上位3名には、レース中に追加でパワーが与えられるという。イケメンが有利なシステムなのだというのもなんだかなぁ〜の理由だった。

「響かなかったのは爆音がないだけだったのか!?」

 なんで、フォーミュラEに興奮できないのか?
 理由のひとつは、僕がおじさんだからである。
 モータースポーツに爆音がなくても、次第に慣れるのかもしれない。近い将来、「アウディのインバーターに音よりポルシェの硬質なサウンドの方が興奮するなぁ」なんて話題になるのかもしれないし、ドライバーの乗り換えだって、そもそもル・マン式スタートはドライバーが駆けっこしてきて運転席に乗り込んだわけだから、それを思えば違いはない。ファンブーストだって、AKB48の統一選挙に似てなくもない。ファンがお気に入りをアシストできることの臨場感はイマドキだと思えるのかもしれない。だけど、僕はおじさんなのである。「なんだかなぁ〜」の思いは、いろいろ理由をこじつけたところで払拭できないのである。

 もうひとつ、フォーミュラEに感情移入できない理由を自分なりに分析してみると、モータースポーツの本質に突き当たった。例えば、パリ協定に代表されるように世界が環境を旗印に、EV化に移行している。
 フランス政府とイギリス政府は、2040年以降の石油を燃料とするガソリン車とディーゼル車の販売を禁じるのだという。それに反応して世界の多くの自動車メーカーが、今後のEVシフトを急ぐと発表した。時代がEVであることは明白なのだ。その流れを受けて、モータースポーツもEV化に進むことは想像に難くない。
 もともと、モータースポーツは興行であると同時に、走る実験室という意味合いがあった。モータースポーツを通じてテクノロジーを磨き込むという理由が内包されていたのだ。だから、時代がEVならば走る実験室としてフォーミュラEに軸足を移すことの意義は理解できるのである。
 110年前、人の移動手段が馬から車に映った時に、おそらく嘆いた人がいたに違いない。競馬から自動車レースに移行した時に、僕のような人が「草はむ馬じゃないなんてつまらん」って叫んだ旧人類がいたに違いない。「ヒヒーンて鳴かずに、ブオーンって排気ガス撒き散らしやがって…」なんて文句を言ったのかもしれないね。
 その意味では、フォーミュラEには明るい将来性がある。今はその過渡期だと納得するのが正解なのだろう。心の底では応援するつもりである。

 ただ、そんなに急がなくてもいいのにね〜、が本音。イギリスやフランスが2040年にはEV以外の販売を禁じると宣言したけれど、まだ23年も先の話だ。その頃に政治がどうなっているかなんて予測できない。撤回もあり得る。

 2035年になっても、EVの比率は1割程度だろうとの予測もある。8割以上が内燃機関だと断言する専門家も少なくない。EVだって言っても、自然エネルギーの活用が進歩しなければ、火力発電所でCO2を撒き散らして得た電力を使っているに過ぎないのがEVなわけで、そのあたりを解説しなければEV全盛時代にはならないのである。つまり、そんなに急がなくてもいいんじゃないの!?なのである。

 念のために付け加えておくと、僕はEV肯定派ではある。EVが人の感覚に使い走り味になるのであれば、それはそれで否定する気はない。EVをベースにしたモータースポーツに参加したこともあるし、盛んになることはやぶさかではない。モータースポーツのひとつとして選択肢が増えることは大歓迎である。

 だが、フォーミュラEが最高で、それを理解しないのは時代遅れだぜ、って風潮が気になるのである。

日本でも度々イベントが開催されている。野山にあるサーキットに足を運ばずとも、都会のど真ん中で開催されることもフォーミュラEの武器である。

日本でも度々イベントが開催されている。野山にあるサーキットに足を運ばずとも、都会のど真ん中で開催されることもフォーミュラEの武器である。

いずれ世界選手権として華やかになる素質がある。

いずれ世界選手権として華やかになる素質がある。

 モータースポーツはそもそも「誰よりも速く走りたい」という人間の欲求がベースにあったからである。誰よりも高く飛びたいから「走り高飛び」が始まったわけだし、誰よりも速く走りたいから「100メートル走」が始まったのだ。運転好きが集まって、「俺の方が速いぜ」「冗談じゃない、俺が勝つに決まってるぜ」というたわいもない負けず嫌いがモータースポーツの発祥だったのだろう。
 本能が求めることではなく、社会性を加味するという右脳的思考によってデザインされたスポーツが興ざめの原因のような気がする。さらに言えば、モータースポーツはドライバーの欲求ではなく、自動車メーカーの都合に振り回されることが突きつけられたことで冷めることもあるのだとも思う。

 ル・マン24王者のポルシェがEVに軸足を移すという。911はル・マンにも継続参戦するだろうから、完全な撤退ではない。メルセデスでさえGT3の開発は継続するだろう。内燃機関のレースを粉々にするつもりはない。良心を信じたい。
 一方でトヨタは、WECを主導したTMG(トヨタモータースポーツGmbh)の体制を強化するという。一方で、マツダとの資本提携を発表した席で、豊田章男社長は「愛のつくクルマでありたい」と語り、自動車の未来像を示した。クルマは根底のところで、人の気持ちに寄り添うものなのだ。となればモータースポーツも同様である。
 あのポルシェがフォーミュラEを目指すのだから、ただならぬ事情があったのだろうと推察する。だから、今回の決断が間違いにならないことを願う。メルセデスとて同様で、アウディを含めたドイツ連合がフォーミュラEに移行していくことの気持ちのすり合わせがあったのだと推察する。ポルシェとの心中にならないことを祈る。

写真提供=Formula E JAPAN Media Relations Office

キノシタの近況

キノシタの近況 キノシタの近況 キノシタの近況

 ポーランドの首都ワルシャワはとても気持ちの良い国だった。街は最新の乗用車で溢れているし、そのどれもが綺麗なのだ。自動車産業の少ない中東欧だからポンコツ車が煙を撒き散らしながら走っているのかと想像していたらさにあらず。一方で「ポルスキ・フィアット」というポーランド国営自動車会社の旧車がレンタカーで貸し出されていたりして、新旧が混在しているのだ。素敵な国である。