レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

223LAP2018.7.12

プレーヤーのための組織なのか、組織のためのプレーヤーなのか

 日大アメリカンフットボール部のラフプレーに端を発した”日大スポーツ体質”が様々な議論を生んでいる。そこで木下隆之は、その不祥事は競技の性質がもたらす面も否定できないという。ではモータースポーツはどうなのだろうか?役所体質なのか、プレーヤーの人格は尊重されるのか…。

男子校的な青春スポーツ

 僕は古くからラグビーが好きである。
 高校時代にラグビー部顧問に入部を誘われ、練習を見学した瞬間、グランドに響く筋肉と筋肉が激突する不気味な音におののき、こんなんやったら体が粉々になっちまうぜとスタコラサッサと逃げ帰った弱虫だから、「ワンフォーオール」も「ノーサイド」も大上段に語る資格などないのだが、とにかく好きなのである。
 大学時代の飲み仲間もラグビー部が多かった。大概、酔っては青春を語り合うのが相場。感極まっては泣き出す奴がいたり、体が疼くのか電信柱にタックルして鎖骨を痛める奴がいたりと、ほとんどラグビードラマの見過ぎである。まあ、男子校的な雰囲気がラガーマンの典型的な体質であろう。
「15人は1人のために…、1人は15人のために…」
「ゲームが終わったら敵味方もなし」
 ラグビーにはまつわる素敵な青春ワードが溢れている。それが面白かった。
 そんな縁で、なんどか試合に足を運ぶうちにラグビーというスポーツに魅せられていった。

なんでボールが球形じゃなくて楕円なのだ?

 一方でラグビーは、個性的なスポーツである。ボールをこっちからあっちに運べば勝ちってあたりは極めてシンプルなのに、前に投げてはダメだという。後ろに投げながら前に進むのだが不思議である。スクラムの中では手技は禁止。ボールを足で掻き出すというのだから、どこかに無理がある。そもそもボールが球形ではなく楕円だっていうのも特殊であろう。
 最近のゲームを観戦していて特に驚くのは、審判がプレーをコントロールしていることだ。たとえばスクラム中、「まだボール出しちゃダメだよ」なんて審判の音声がスピーカーにのって流れる。一般的なスポーツでの審判の立ち位置は、ブレーの善悪をジャッジすることであって、ゲームコントロールではない。だというのにラグビーの審判は、反則を未然に防ごうとする。プレーヤーの動きすらコントロールするのだから多分に監督的な役回りなのだ。ゲームの流れを意識しながら、たとえ反則があってもアドバンテージでスルーすることもある。アドバンテージの多さもラグビー特有だと思う。

 そう、その監督の役回りも個性的である。監督はゲーム中に、ピッチはおろかベンチにもいられないというのも、スポーツとしては稀有である。野球だってサッカーだって、そのほかの思いつく限りのスポーツのほとんどは監督がゲームをコントロールする。だというのにラグビーだけは別で、監督はユニフォームも着させてもらえず、父兄やファンと一緒に観客席から観戦するのであるから、もはや監督なのか観客なのか判断に困る。ますます妙である。
 西野監督がスタンドから観戦していたなんてことは絶対にないのに、ラグビーはそれが基本なのだ。長嶋監督がアルプススタンドから大手を振ってサインを送っていた、なんてことも絶対にないのである。
 つまりは、ゲームが始まったら、すべては選手の自主性に任される。それがラグビーだ。ボールを蹴ったり蹴らずに抱えたまま突進したり、後ろにパスしたり寝転んだり、すべては選手の判断による。スクラムトライで大量得点を狙うか、キックでコツコツ得点を稼ぐかの判断も、ピッチ上のキャプテンが決める。監督はハーフタイムに指示するだけで、ゲーム中は声も出さずにじっと見守るしかないのだ。選手のための選手だけのスポーツ、それがラクビーだ。
 そんなだから体質的に、巷を騒がせた日大アメフト部のような不祥事はおこらない。監督がすべての実権を握り、選手の起用はもちろんのこと、プレーのほとんどを監督が決めたフォーメンションがすべてであるアメフトだから起こった出来事だと思う。(それだけが原因ではないが・・・)

  • なぜボールが楕円なのだろうという不思議。豚の膀胱を使っていたからだとか、ヤシの実を奪い合ったからなど諸説あるけれど、「楕円だから」の偶然性を受け入れる文化がラグビーにはある。
    なぜボールが楕円なのだろうという不思議。豚の膀胱を使っていたからだとか、ヤシの実を奪い合ったからなど諸説あるけれど、「楕円だから」の偶然性を受け入れる文化がラグビーにはある。
  • ナンバー10番。スタンドオフがチームの司令塔である。監督の指示は一切ない。ピッチのプレーヤーが全てを考え行動するのがラグビーだ。
    ナンバー10番。スタンドオフがチームの司令塔である。監督の指示は一切ない。ピッチのプレーヤーが全てを考え行動するのがラグビーだ。
  • ワンフォーオール、オールフォーワン。1人はみんなのために、みんなは1人のために。ラグビーには爽やかなチームスポーツの全てが込められている。
    ワンフォーオール、オールフォーワン。1人はみんなのために、みんなは1人のために。ラグビーには爽やかなチームスポーツの全てが込められている。
  • ひたすら前に押し、ひたすら球を後ろに掻き出し、そしてひたすら楕円を前に進める。
    ひたすら前に押し、ひたすら球を後ろに掻き出し、そしてひたすら楕円を前に進める。

将棋の駒のように…

 ラグビーは攻守が場面場面でころころとチェンジするけれど、アメフトでは、オフェンスに抜擢された選手はひたすら攻撃するのみであり、ディフェンスのメンバーは点を入れることは決してなく、ひたすら防御するのみ。
 ポジションによってはボールを触ることがないという。アメリカンフットボール部に入部したのに、一度もゲーム中にボールに触れぬまま卒業することもあるという。これが球技と言えるのかと不思議に思う。
 本場アメリカでは、ヘルメットの中にスピーカーが仕込んであり、右に走るか左に走るのか、それすらも指示に従うというのだから、そこには個人の判断は求められない。ますます特殊なスポーツである。
 選手は、監督の指示が全てであり、将棋の駒に徹することが求められる。そこにはブレーヤーの自主性は薄く、意思も働かない。個人を封印してひたすら角や飛車や、あるいは一歩ずつ前に進むだけの歩になりきることが求められるのだ。
 タッチダウンとフライと呼び名は異なるけれど、フィールドの形やゴールゲートの形状や、そもそもボールが楕円という動かしがたい共通項があるから、ラグビーとアメフトは起源を共にするはずなのに、なぜここまで変態してしまったのだろうか。不思議である。
 ともあれ、すべてが監督の指示による。それゆえに日大アメフト部のように強権体質になる。少々乱暴な言い方だが、権力が監督に集中するアメフトらしい不祥事であり、自主性の強いラグビーではあのようにはなりにくいのだ。

レースは組織スポーツか? 個人スポーツか?

 ではレースはどうだって考えに及ぶと、なんともラグビーとアメフトの中間のような立ち位置だと思う。そもそもレースがラグビーやアメフトのようなチームスポーツに組み入れていいのかどうかが曖昧なのだ。それでも許されるのなら、レース毎の性質を分析する必要があるだろう。技術的にシンプルなのか否かで、キャラクターは劇的に異なるのだ。
 たとえば入門用フォーミュラーのようなカテゴリーはシンプルに、ドライバーの個性にすべてが依存する。チーム監督やメカニックの裁量よりも、ドライバー個人の精神状態が全てだ。ラグビー的な個人スポーツだと思う。
 そもそも命の危険と背中合わせだから、いくら監督の指示があったとしてもいけないものはいけないのである。ピットからの連絡は情報伝達であって、基本的には指示ではないのだ。

 ただ、F1やWECのような、技術的に高度のマシンを操るとなると、ドライバーは個性などの主張は許されず、マシンのパーツの一つとしての機能が求められるのだ。
 マシンが安全になり故障が少なくなり、レースの戦略性が高くなると、もはやコクピットの中で戦っているドライバーの判断に頼っていては限界がある。様々なデータを把握しているチームからの指示により、駒のように走る。その頻度が高くなっているように思うのだ。
 ル・マン24時間レースのLMP1などはその最たる例で、チームが組み立てた戦略通りにマシンを走らせることが勝利への道筋なのだ。トヨタTS050をドライブするには、百科事典と見紛うばかりに分厚い説明書の暗記が求められるという。複雑怪奇なシステムを理解する必要があるし、緊急の対処法も学ばなければならない。そもそも夥しい数のスイッチ類の操作方法を会得せずには、そのマシンを転がすことすらできないのである。
 LMP1は、燃費と速さのバランスを高度に保つ競技でもある。つまり、ドライバーは回生ブレーキでの蓄電とモーターパワーの放電を繰り返しながら走っている。そのパターンがちょっとずれると、ドライバーの意思に関わらず、パワーを絞ったり回生を強めたりするという。ドライバーはコクピットに座り、プログラム通りにドライブするガゼットでしかないのだ。
 そんなだから、ドライバーは個性を封印され、忠実な駒でいることが求められる。という傾向にあるのも事実なのだ。

  • ビックチームになると、数百人規模のスタッフが背後でサポートする。采配通りのドライビングが求められる。もはやドライバー個人のスポーツではないのだ。
    ビックチームになると、数百人規模のスタッフが背後でサポートする。采配通りのドライビングが求められる。もはやドライバー個人のスポーツではないのだ。
  • プログラム通りに淡々と24時間を戦い切ることが求められる。それがル・マン24時間レースなのかもしれない。
    プログラム通りに淡々と24時間を戦い切ることが求められる。それがル・マン24時間レースなのかもしれない。
  • 主張の激しいF1スタードライバーも、ル・マン24時間レースでは指示に忠実に従う下僕である必要がある。
    主張の激しいF1スタードライバーも、ル・マン24時間レースでは指示に忠実に従う下僕である必要がある。
  • ル・マン24時間レースの主役はマシンなのかドライバーなのか。
    ル・マン24時間レースの主役はマシンなのかドライバーなのか。

 ともあれ、だったらドライバーは誰でもいいのか…という議論にはなり得ない。その高度なプログラム通りにドライブできる人材は世界でも数人に限られるからだ。
 それはアメフトでも同様で、監督の指示にしたがって将棋の駒のように動くためには、恵まれた才能と日々の努力が欠かせない。日大アメフト事件は、競技の性質上権力の温床になりやすかっただけで、不祥事の根源がアメフトそのものにあったわけではない。という意味でプレーヤーを否定する気は全くない。
 ただ近代的にはレースも、システマチックな傾向になっているのだと思う。昭和の個性が尊重された世代に生まれ育って僕は、ちょっと寂しく思う。

【写真提供・協力】トヨタ自動車 ラグビー部 ヴェルブリッツ
http://sports.gazoo.com/verblitz/

キノシタの近況

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 ブランパンGTアジアGT4で初優勝ました。参戦3ラウンド目、5戦目にしてようやくの優勝です。BoPで苦しめられている中での難産でしたが、これからは勢いに乗っていけそうです。ご期待ください。次回は7/21土曜日、7/22日曜日、富士スピードウェイですよ。