レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

241LAP2019.4.10

日帰りセパン・サーキットレース

 2020年からスーパーGTナイトレースが開催されるセパンは、ある意味日本人にとってもっとも身近な海外サーキットなのかもしれない。気候は温暖、アクセスはいい。物価も安い。時差はわずか1時間。しかも、サーキット内に日本人経営のレーシングガレージがあるから、言語の心配もない。セパン・サーキットレースではいつも、我が家のようにすっかりくつろいでいる木下隆之が、東南アジアのモータースポーツが身近になったことを語る。

穴場発見・日本人のオアシス

 F1の開催も可能なFIA公認マレーシア、セパン・サーキットに、日本人が集うレーシングガレージがあることを知る人は少ない。それもそのはずで、「RWORKS」の設立は2019年1月。まだ稼働して3ヶ月しか経っていない。1年前から事前準備を兼ねて活動していたのだが、本格的なオープンは今年からなのである。
 ガレージは、セパン・サーキットの敷地内にある。ゲートをくぐってすぐに、東南アジアを戦うレーシングチームが居を構えるいわゆるレース村があり、その一角に「RWORKS」がある。マシンメインテナンスたけでなく、ドライバーケアのためのシャワー室も完備している。サプライヤーの開発テストもこなしているようで、ブレーキ関係パーツ大手ディクセルのマレーシア代理店でもあり、開発拠点でもある。
 とある縁があって「RWORKS」を訪れたときには、ランボルギーニ・スーパートロフィオのマシンが分解され、丁寧な組み立て作業が行われていたし、2019年にシリーズ参戦を開始したマレーシア・チャンピオンシップSP1仕様のシビックがスタンバイしていた。

ハードルを取り払う男

 オーナーは浦田健氏である。ご存知の方もおられよう。僕が参戦しているブランパン・ワールドチャレンジGT(昨年の名称はプランパンGTアジア)のBMW Team Studieのもう一台、♯82号車のドライバーである。とある縁があって、といったのはそれだ。
 浦田氏のレースデビューは2013年というから、ドライバー経験はまだ浅い。不動産関係の業務が安定した頃、あらためてモータースポーツに魅せられこの世界に飛び込んだという特異な経歴を持つのだ。経験は浅いが中身は濃い。日産GT-Rでシリーズ戦に参戦、ランボルギーニLP560GTRをドライブ。GT3マシンでGTアジアに挑戦。昨年は僕のチームメイトになった。駆け足で本格的なレースに挑んでいるのだ。
 不動産関係の仕事をこなすかたわら、書籍の執筆も旺盛で、すでに15冊の書籍を上梓している。マルチな才能の持ち主。
「もともとクルマは大好きでした。サーキットを走ってみたいと思っていたけれど、事業が忙しく扉を開くことができませんでした。ようやく会社の方も安定したので、本格的に取り組んでみようかと…」
 浦田氏は、数年前にマレーシアに移住。陽に焼けた笑顔を緩ませる。
「最初この世界に飛び込むのは勇気が必要でしたね。どうやって始めていいのかさえわからない。苦労の連続でした。諦めようと思ったこともありましたよ」
 それも納得できる。いくらバイタリティがあるからといっても、新規で参入するにはレース界は複雑怪奇。
「なんとかツテを頼って、ランボルギーニ・スーパートロフィオでの挑戦を開始することができたんですが、若いドライバーにコテンパンにやられる。教えて欲しいと門を叩くと、厳しく教育される」
「それで嫌になった?」
「それが刺激的でした」
 事業で成功したビジネスマンが、一世代も若いドライバーに厳しく指導されてもそれが刺激的というのだから、その貪欲な学ぶ姿勢には頭が下がる。
「レースを始める前に、格闘技にも挑戦したのですが、そこでもコテンパンにやられる。叱られる。実際に殴られるわけです」
「それでも嫌にならない?」
「新鮮でしたね」
 実際に昨年、ともにプランパンGTアジアを戦う中で、僕のデータと自身のデータとを食い入るように見比べる姿を目にしている。そして僕を追走、必死に技を学ぼうとしていた。

僕専用のホスピタリティ?

 このガレージの魅力は、浦田氏のそんな経験が色濃く反映されているように感じた。東南アジアのモータースポーツは、日々盛り上がりの傾向にある。一方で、ジェントルマンドライバーも増えている。気候のいい東南アジアでレースに没頭したいと願うドライバーが少なくない。
 「RWORKSがその受け皿になれは嬉しいですね」と、浦田氏。
 自力でモータースポーツの扉をこじ開け、苦労を重ねてきたからこそ、あらたに参戦を希望するドライパーの気持ちがわかる。痒い所に手が届くサポートが受けられるのだと思う。
 僕は3月にも一度お世話になっている。ランボルギーニ台北(台湾)からの誘いがあり、スーパートロフィオのマシンを走らせることになった。初めてのチームだったし、台湾民族との仕事は初めてだった。文化の違いから仕事に不安があった。イギリスのチームでもドイツのチームでもタイのチームでも、はたまたオランダのチームでも、単身乗り込んで無難にこなしてきたつもりだが、さすがに今回はちょっと複雑な案件もあり、精通したサポートが必要だったのだ。そこで思い浮かんだのが「RWORKS」の浦田氏の存在である。現地の言葉は堪能だし東南アジアの文化も理解している。海外アルアルのひとつの、マナーや常識の違いにも精通していることは大いに助かった。
 「RWORKS」では、一般のドライバーの参戦サポートもしてくれるという。所有するランボルギーニ・スーパートロフィオで参戦することも可能だし、シビックでの挑戦も受け付けてくれる。もちろん自ら所有するマシンを持ち込んでレースすることだって可能なのだ。右も左も分からないマレーシアでレースがしたい、という純粋な情熱と多少の資金があれば、ヘルメットひとつでレースを楽しむことができるのだ。

ヘルメットひとつ持参でレースを堪能

 僕はこれまで、多くの外国チームでレースをしてきた。そのたびに、作業が滞った。外国チームに参画するまでは国内企業とのワークス契約の中での仕事だったから、参戦に必要な事務的で煩雑な作業から解放された身分だったけれど、趣味の延長でレースを志すとなるとそう簡単にはいかない。日本国内でさえモータースポーツに参戦することはハードルが高いのに、まして海外である。困難なのは想像の通りだ。エントリーの方法から金銭的なやりとり、それこそ現地での移動の方法やホテルの手配に至るまで不安が積み重なる。そういったロジスティックも含めて、「RWORKS」は頼りになる存在なのである。
 こういったガレージが世界各地に点在してくれれば、日本人の多くも海外に進出できると思う。
 日本からマレーシア・クアラルンプールまでは、空路で約7時間。セパン・サーキットはクアラルンプール空港から約15分の距離だ。すぐそこに常夏のサーキットが待っている。環境は夢のようだ。機内で短パンTシャツに着替え、空港に降り立てばそこは温暖な国マレーシア。
 先日のスーパートロフィオテストは、0泊2日という強行軍だった。とはいえ羽田空港から深夜便に乗れば、クアラルンプール着は早朝だ。朝食でも食しながらゆっくり移動しても、午前中から走行することが可能である。たっぷり走って汗かいで、ガレージのシャワー室を借りて身支度を整えても、午後便で帰途につくことができたのだから、国内のサーキットを走るのと大差ないのである。
 時差の影響も受けない。それこそ、金曜日に仕事を終えてからマレーシアで走りを楽しみ、月曜日に通常通りの業務に戻るなんてことすら夢ではない。蕎麦を食べに自家用ヘリで北海道往復…なんて夢のような話を小説で読んだことがあるけれど、まさにそんなダイナミックな遊びも不可能ではない。

 今年僕は、度々マレーシアを訪れることになると思う。0泊2日で、ガラガラに空いたセパン・サーキットを走るたびに、「RWORKS」のソファでくつろぐことになりそうだ。

キノシタの近況

 ブランパンGTワールドチャレンジ・アジア開幕戦は2連勝でした。開幕戦でぶっちぎった。15秒のサクセスハンディキャップを食らってもぶっちぎり。まさに圧勝でしたね。もちろん「RWORKS」のサポートで快適このうえない…。移住しちゃおうかな(笑)