レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

242LAP2019.4.24

銘柄統一タイヤを灼熱地獄で走らせることの難しさ

 2019年、ブランパンGTワールドチャレンジ・アジアが開幕、BMW Team Studieは盤石の体制で参戦。灼熱の国マレーシア、セパン・インターナショナル・サーキットで開催された開幕戦と第二戦をポール・トゥ・フィニッシュで終えた。蓋を開けてみれば「楽勝だったね」と言われるほどの圧勝だった。ただ、戦う身からすればけして楽勝ではなく、勝利の裏側にはチームの緻密な戦略があったという。特に、タイヤはピレリのワンメイクであるがゆえの難しさがあると木下隆之は語る。日本ミシュランタイヤの小田島広明モータースポーツダイレクターがコラムで語っていたスーパーGTでの苦労を引用しながら、ワンメイクタイヤで戦う難しさと楽しさを語ってもらおう。

世界統一GT4をマレーシアで走らせる

 僕がマレーシア入りしたのは、レースウイーク4月3日水曜日の夜。現地に着くと、意外な涼しさに拍子抜けした。いつもなら、空港に着くなりデニムとパーカーを脱ぎ捨てて、短パンとコットンシャツに着替えなければ暑さに耐えられないのに、今回はそれほど慌てずにすんだ。マレーシア在住の仲間も「ここ数日は涼しいですよ」という。熱帯気候ゆえに年間気温は27度℃〜33度℃で推移するマレーシアは、日本のように四季がある国とは違い、気温は安定している。「こんなに涼しい日もあるのだなぁ」と心の中で呟いた。
 マレーシアの4月は、年間でもっとも降水量が多い月である。夕方には、熱帯気候特有のスコールが必ず訪れる。すると大地が一気に冷やされ、体感気温も一気に低下する。
「ただし、予選と決勝が行われる土曜日からは暑くなるかもしれませんね」
 マレーシアを知る仲間は言う。
 マレーシアの気候を舐めてはならないと釘を刺された。今年のマレーシア戦は、暑さと涼しさがコロコロと目まぐるしく変化する中でのレースになったのである。

 我々がブランパンGTワールドチャレンジ・アジアに挑戦するGT4マシンは、自動車メーカーが開発したマシンそのものをベースに戦う。改造はほとんど許されない。エンジン特性は指示されたマップしか使えないし、サスペンションの設計はおろか銘柄の変更も不可。たとえばシートベルトの取り付けやウインカーの細工さえ許されない。主催者の下すBOP(性能調整)によって、厳格に管理されているのだ。
 手を加えて許される部分は数少ない。ブレーキパッドは自由に選択できるから、我々はディクセルを選んだ。その他、ダンバー減衰力のアジャスト、数種類のスプリングレートからの選択、トーやキャンバー等のアライメント調整、リアウイングの角度の変更といったあたりに限られる。しかもタイヤはピレリのワンメイクだ。シーズンを通じて仕様もひとつ。サーキットが変わっても仕様変更はない。
 となると、「ただ走らせるだけじゃん」と考えたくなるところ。そう勘ぐる気持ちも理解できなくはない。
 だがしかし、内情はそんなに甘くない。むしろ、手を入れるポイントが限られているからこそ、レースを困難にしているのだ。

 ブランパンGTワールドチャレンジ・アジアは、与えられた道具そのままに、1年間を転戦しなければならない。ということはつまり、マレーシア・セパン、タイ・ブリーラム、日本・鈴鹿、日本・富士、韓国・ヨンナム、中国・上海と、特性の違うサーキットにマシンと走りをアジャストしなければならない。富士や上海のような高速コースがあり、ブリーラムや鈴鹿のようなテクニカルサーキットがある。特性が激変するというのにアイテムはひとつ。微調整で対応しなければならないのだ。
 しかも、気候や路面がまったく異なる。基本的に寒冷地でのレースはないとはいうものの、マレーシアやタイのような亜熱帯だけではなく、日本や韓国のような四季のはっきりした国でも開催されるわけで、タイヤの守備範囲を大きく逸脱することも少なくない。

決勝中のレースペースも予測不能

 レースウイークの時間的な流れはこうなる。
 土曜日の午前中に2回の予選が行われ、夕方に1時間の決勝が行われる。
 レースの中盤、ピットインが許されるのはスタートしてから25分〜35分の間に限られる。ドライバー交代のタイミングだ。
 しかも、ピットロード入り口から出口までに与えられた時は95秒。それより早くてはならない。かといって遅くてはロスになる。その95秒にはピットロードを60km/hの速度で走る時間も含まれるから、純粋に停止している時間は数十秒に満たない。規則で定められたピット作業人数の関係から、タイヤ交換をするとしても2本だけならば可能な時間である。
 翌日の日曜日は、午前中に2回目の決勝が行われる。これも1時間レース。スタートしてから25分〜35分の間にピットインが課せられるのも同様だ。ただ違いがある。それは前日のレースの成績によって、サクセスハンディキャップが課されること。つまり、前回のレースの勝者には、95秒に加えて+15秒のピットストップが課せられる。2位は+10秒。3位は+5秒。連勝を阻止するための規則だ。前レースの勝者は厳しいレースが強いられる。
 ただ、一点だけ都合のいいことがある。+15秒のピットストップが強制されることで、本来ならば2本しか許されないはずのタイヤ交換を4本交換に変更できることだ。それがせめてものハンディキャップが課せられたドライバーにとっての救いである。
 4輪交換したとしても、15秒の遅れをコース上で取り返さなければならないことに違いはないが…。

涼しいレースを想定した猛暑でのテスト

 セパンやブリーラムでは天候がセッティングを惑わせる。午前中の比較的早い時間と日中とでは、路面温度が急激に20℃以上変化することも少なくない。直射日光を浴びるコーナーと日陰のピットでも気温は全く異なる。しかも、夕方にスコールなどが降れば、路面は一気に冷やされる。路面温度の違いでタイヤのグリップが劇的に変化するから、操縦性も激変するのだ。
 ラップタイムにして3秒の違いも覚悟しなければならない。となれば当然、タイヤの消耗具合も異なる。
 頭を悩ませる具体的な要件は以下。
 開催国の違い。気温の違い。サーキットの特性の違い。レース距離の違い。想定ラップタイムの違い…。
 これらをわずかな仕様変更とドライビングによって、アジャストしなければならないのだ。涼しいコンディションの中で、暑さに苦しむレースを想定するのは難しい。逆の想定も困難だ。だがそれをしなければ、ベストの状態で戦うことはできないのである。
 しかも、レース2のペースは、レース1の結果で課せられたサクセスハンディキャップ次第だ。プッシュするのかしないのか、レース1が終わってみなければわからない。
 レース中のタイヤ交換をするのかしないのか…。セパンのレース2でスタートを担当した僕は、頻繁にピットと無線交信を繰り返していた。
「タイヤのコンディションはどう?」
「まだグリップ低下はしていません」
「でも、これから気温が上がっていきますからね、タイヤの発熱を抑えて走ってよね」
 無線からは絶えずライバルとのタイム差が伝えられる。
「あと2周でピットインだよ、タイヤ交換は必要?」
「必要ありません」
「では、無交換ね」
「いいですよ」
 この時はまだ、懸念された熱ダレはなかった。
「次の周にピットインだよ」
「オッケーです…。でも、やはりタイヤ交換をしてください。急にグリップが下がりました」
 1周前までは安定していたフロントのグリップが急激にダウンしたのだ。原因は二つ考えられた。タイヤの発熱を気にしたためにコーナリング速度を抑え、そこでのロスを劣化の心配のないブレーキングで稼いでいた。そのために、タイヤトレッド面イン側の発熱が進んでしまったのだ。
「キャンバーつけすぎたかもしれませんね」
 そう反省したものの、もはやゴールまで導くしか方法はない。
「タイヤ交換するの?」
「レース後半の熱ダレを考えると交換が必要です」
「了解! プランBだ、プランB!!」
 その瞬間に勝利が確定したと言っていい。

20本のタイヤのやりくり

 レースウィーク中に使用できるタイヤ本数は決まっている。公式練習で使用できるタイヤは、前レースから持ち込み分で2セット。公式練習から2回の予選と2回の決勝を通じて、3セットしかドライタイヤの使用が許されない。
 2回の予選はタイムが期待できる新品タイヤ(仮にセット1とセット2)で挑むことになるとすると、残された新品タイヤは1セット。どちらかの決勝は新品タイヤ(仮にセット3)でスタートするとしても、もう一方の決勝は予選で使った中古タイヤ(セット1かセット2)でスタートせざるを得ない。
 仮に土曜日のレース1を、予選で使用しなかったセット3の新品タイヤでスタートしたとする。しかも、ドライバー交代の隙に2本タイヤ交換することになれば、予選で使ったセット1かセット2のうちの2本を使用することになる。
 さらに日曜日の決勝は中古タイヤ(セット1かセット2)で挑んだとすれば、そのうちの土曜日の決勝で使わなかった中古タイヤ(セット1かセット2)のうちの2本をピットストップの時に交換する。だが土曜日に優勝すれば+15秒のサクセスハンディキャップをコース上で取り戻せねばならず、4本交換で追い上げが強いられる。そんな仮定と想定を繰り返しながら戦略を整えているのだ。
 じつはさらに複雑なことがある。次戦のタイラウンドの練習も、今回レースで使用したタイヤで走行しなければならない。タイもマレーシアと同様に天候に翻弄されるはずであり、そのうえで中古のボロボロタイヤではまともなセッティングは不可能だ。そのために、決勝中も事前の持ち込みタイヤを想定して温存が課せられる。レースをしながら数ヶ月後の異国でのレースを想定しなければならない。緻密なレース戦略が求められる。
 ラップチャートには、まるで数2Bの大学ノートのように複雑な計算式が記入されている。20本のタイヤをいかに効率的に活用するか。知恵の勝負でもある。

タイヤ戦争にも苦労がある

 先日、日本ミシュランタイヤの小田島広明モータースポーツダイレクターのコラムを興味深く読ませていただいた(https://www.michelin.co.jp/auto/why-michelin/motorsport/super-gt/col)。スーパーGTでは4ブランドのタイヤが戦争を繰り広げている。ワンメイクとは異なり、それはそれで苦労の連続だというのだ。
 レースに持ち込むタイヤは1チームで7セット。路面温度やコンディションに対応させた2〜3種類のタイヤを持ち込むという。いわゆる「ソフト」「ミディアム」「ハード」と呼ばれるものだが、コンパウンドだけではなくケーシングの構造やラウンド比もコントロールしているはずだ。スーパーGTのスタートは、一般的には午後2時前後。ゆえにレース後半になるにつれて路面温度が下がる。それに対応させたタイヤを開発し、持ち込んでいるのだろう。
 小田島広明モータースポーツダイレクターはこういう。
「GT500クラスのマシンはすべて後輪駆動車ですが、すると駆動力がかかるリアタイヤは内圧が上がりやすく、本来のパフォーマンスを発揮する温度レンジに入るのも早い。しかし、フロントに対してリアがあまりに先行すると、ハンドリングはアンダーステア傾向になります。また、リアタイヤのパフォーマンスが下り坂に入るタイミングが本来の狙いよりずいぶん先に来ると、今度はフロントのグリップが勝つ形になって、結果的にオーバーステアの強い状態になってしまいます。つまり、フロントもリアも同じように温まり、同じようなタイミングでパフォーマンスのピークが来て、そして同じように性能が緩やかに落ちていく、というタイヤにすることが実はとても大事なのです」
 我々がマシンセットで抱えている悩みを、タイヤ戦争のあるスーパーGTではタイヤメーカーも抱えているのだ。
 どのサーキットでも同じタイヤを生かさなければならないプランパンGTワールドチャレンジアジアと、タイヤ戦争で勝ち抜かねばならないスーパーGTと、どちらが厳しいかという議論は意味をなさない。スーパーGTを戦うミシュランはタイヤをコントロールし、ワンメイクタイヤでブランパンGTワールドチャレンジ・アジアを戦う我々は、マシンアジャストに頭を悩ませる。モータースポーツの厳しさの中で戦っているという点においては違いはない。
 ただ唯一共通しているのは、安定してラップタイムが刻めるマシンを作り込むことである。
「路面温度の変化によってタイヤのパフォーマンスが変化する量をできるだけ小さくする。言い換えれば、そのタイヤがベストのパフォーマンスを発揮する路面温度のレンジをできるだけ広く取る。そうしたことを念頭に置いて各レースのタイヤを開発しています」(小田島モータースポーツダイレクター)
 我々も、タイムダウンを最小限に止めるべくマシンセットを模索している。根底のところでは共通しているのである。

何も細工できないからこその知恵の勝負でもある

 天候がコロコロ変わる東南アジアで戦うワンメイクレースは、これまで僕が味わったことがないほど高度な戦略が求められた。開幕ラウンド2戦の圧勝は、チーム力の賜物だと断言できる。
 そしてここで宣言しよう。
「次戦のタイラウンドも勝てます」と。
 その理由は、セパンのレース後半、次戦の走り出しを想定したタイヤマネージメントをしていたからだ。異国の次のレースまで想定しなければ勝てないレース、それはそれで高度なレベルにある証明である。
 まるでパズルのピースをひとつずつ丁寧にはめ込むような複雑な戦略とドライビングが求められる。こんな監督的兵法を練るの、嫌いじゃないなぁ。

キノシタの近況

 今年のVLNニュルブルクリンク4時間は、マシントラブルで出走できず。だがレースはスタート直後の降雪で赤旗中断、そのままレース中止になった。その程度で中止かよというほど甘い判断だったけれど、ニュルブルクリンクの魔物が牙を剥く前の賢明な判断だったのかもね。