レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

243LAP2019.5.15

「ポスト員が選ぶドライバーズ・オブ・ザ・イヤー」の提案

 戦うドライバーをもっとも間近で観戦しているポスト員は、我々のことをどう評価しているのだろうか。ドライビングの所作ばかりではなく、レスキュー活動の際にはいの一番にコースに飛び出る役目でもあるわけで、我々が伺い知ることのできない感情があるはずだ。あらゆるカテゴリーの多くのドライバーの走りを、同じ視点で定点観測しているからこそわかることがあるはずだ。それを知りたい。どのドライバーのドライビングが優れていて、どのドライバーの性格がいいのか悪いのか。ポスト員ならばすべてお見通しなのではないか、と木下隆之は言う。

歴史を間近で見た証言者達

 ずいぶん古い記憶に、ポスト員との交流があった。鈴鹿1000km耐久レースの終盤、僕はエンジントラブルに見舞われリタイヤを喫した。130Rを惰性で抜けてきて、シケイン先のエスケープに車を止めてから安全な場所に逃げ込んだ。それからチェッカーフラッグが振り下ろされるまでの45分間、僕はシケイン入り口の28番ポストにお邪魔してレースを観戦することになったのだ。いまではそのコーナーは、「日立オートモティブズシステムズシケイン」という、実況アナウンサー泣かせの名称になった。名物コーナーゆえに、ネーミングライツで金額がついたのである。
 そこであらためて感じたのは、コーナーポストはレース観戦の一等地であるということだ。それもそのはず、怪我をしたドライバーの救出やトラブル車両の排除を迅速に行わなければならない宿命上、コースにすぐに進入しやすい位置にあり、コースとの隔たりはわずか一枚の金網だけなのだ。しかも、イエローフラッグやブルーフラッグを振るためのお立ち台にはなんの防御壁もない。コースの一部だと言ってもいい。
 さらに都合がいいことに、接触やコースアウトといったエキサイティングな出来事が発生しやすい場所に、たいがいコーナーポストはある。鈴鹿の28番ポストはまさにそれで、これまで数々の事故を目撃してきた場所なのだ。ホンダF1黄金期の、セナプロ対決を見届けたのもここ。
 白と赤のマルボロカラーが印象的なマクラーレンホンダを駆るA・セナとA・プロストは、チーム内の確執が露わになっていた。与えられた道具が秀でていたこともあり、年間チャンピオンの行方はこの二人に絞られていた。鈴鹿が最終戦。競い合っていたセナとプロストがここで接触、年間王者の行方を左右したのがこの28番ポスト前。モータースポーツ史に残る因縁の場所なのである。
 僕はそんなかつてのドラマを回想しながら、鈴鹿1000km耐久レースのゴールを待っていた。

一等地からはすべてがお見通しだ

 一等地で観戦する臨場感は特別である。ドライバーの操作がすべてさらされる。鈴鹿1000km耐久レースを戦うドライバーだから、国内外のプロドライバーが集結しているはずなのだが、その中でもドライビングスキルの優劣が如実に見て取れたのは意外だった。
 スロットル全開からブレーキングに至る素早さや、ブレーキングからターンインに流れる荷重変化の美しさまで露わになる。激しく戦うなかでのつば競り合い。ブレーキングでインラインに飛び込む瞬間の躊躇なき判断。間合い。右左のロールチェンジ。アクセルワークの繊細さ、大胆さ。荒さ。ここからならば、ドライバーが秘めているテクニックを見通せる。
 それだけでなく、ドライバーの焦り、落ち着き、興奮、闘争心。そんな精神状態も伝わってくる。レース用ヘルメット越しにドライバーの表情を目にすることはできないというのに、まるで瞳の動きを捉えているかのようにリアルに感じられる。ドライバーの息遣いや、舌打ちや叫び声すらも耳に届くようだった。
 …はたと、自分もすべて見られていたことに気づき、開け放しの社会の窓を指摘されたかのように赤面したほどだ。
 そこで思い巡らせたのは、ポスト員は僕ら以上に、レーシングドライバーが備えている運転技量や、人としての性格をも知っているのではないかということである。
 マシンの寄せ方。進路の塞ぎ方。譲り方。正々堂々とした走りなのか、敵の粗を突くような姑息なドライビングなのかもお見通しのような気がする。
 僕らドライバーも、コース上で様々な人間性を突きつけられている。レース中の寄せや塞ぎは先陣を争ううえでの正当なテクニックなのかもしれない。だが、競技とは異質の“いじわる”をするドライバーも少なくないのだ。
 具体名は伏せるけれど、スポンサーや関係者の目があるパドックでは笑顔を振りまき親しげに挨拶をして回っていながら、コース上では一転していじわるをするドライバーは少なからずいる。
 たとえば公式予選走行中。あえてスロー走行で進路を妨害し、タイム計測を妨害しようとするドライバーもいる。そういった性格の悪さを、28番ポスト員はお見通しなのではないかと想像したわけだ。
 28番ポストに限らない。鈴鹿サーキットは1周5.821km。18のコーナーがある。その入り口や出口にポストは設置されている。そのどこからもお見通しのはずなのだ。
「あのドライバーのブレーキングは素晴らしいよね」
「ターンインのハンドルさばきが華麗だよ」
 フラッグポストは、やや高い位置にあるから、TVモニターには映らない技が露わになっているのかもしれない。
「あの譲り方はいじわるだね」
「わざと寄せたね」
 数センチ単位のラインのずらしは、はたから見ていたのでは判断できない。ハンドルのわずかな、それこそ指1本か2本分の動きや、ドライバーの瞬間的な目線移動、そしてそれにシンクロしたマシンの挙動を間近で観察できるポスト員なら、ドライバーの性格を判断することは簡単だろう。

年間優秀者は誰だ?

 もし「ポスト員が選ぶドライバー・オブ・ザ・イヤー」があったらどうだろう。レーシングドライバーの運転スキルはもとより、性格の良し悪しもお見通しであるのならば、ピットやVIPルームでレースを観戦している我々よりも、生々しい判断ができるのではないかと想像した。
 地位も名声も実績もある大先生が選ぶ直木賞や芥川賞は、作家なら一度は夢見る権威あるプライズかもしれないが、一方で書店の店員が選ぶ本屋大賞はある意味で読者に寄り添っている。現場の目線や気持ちこそが、実は真実なのではないかとも思う。「ポスト員が選ぶドライバー・オブ・ザ・イヤー」の提案は、まさに本屋大賞の志である。
 なんて提案してそれが本当に実現したら…。僕のテクニックの未熟さと性格の悪さも露見してしまいそうだから、やっぱり提案は撤回します。

キノシタの近況

 今年のGWは10連休。その最中のスーパーGTは、例年以上にヒートアップした。開幕戦に続いて、スコールに等しい雨がコース上を濡らした。スタート前には弱気だったZENTの二人だったけれど、決勝では優勝。只者じゃない才能を見せつけた。僕が教えた通り走れるのは才能です(笑)。