レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

245LAP2019.6.12

電気自動車のみの『スーパーEVGT選手権レース』は成功するのか?

 日産がニスモと開発した「リーフニスモRC」は、超本格的なレーシングカーであるのに、一方でごく特殊なゼロエミッションのEVマシンである。マシンは排気ガスを吐き出さない。爆音とも無縁だ。令和の時代らしく環境適合性は高い。それだけに、昭和世代のドライバーである木下隆之は混乱したという。EVは将来のレーシングマシンとしての資質を備えているのか。それを読み解く鍵が「リーフニスモRC」にはある。

爆音のしないレーシングカーを見て…

「これはありなのか…ないのか…」
 しばらく呆然と立ち尽くし想いを巡らせた。
「はたしてEVモータースポーツは盛り上がるのか、このまま陽の目を見ずに終わるのか…」そう簡単に答えは出そうもない。
 日産が新型「リーフニスモRC」を発表した。先代に比較して、戦闘力を高めてきたという。気合いが十分に漲っていることは、ニスモ代表取締役である松村基宏氏の、技術的アドバンテージを詳細に熱く語る姿から確信が持てた。初代のデビューこそ華々しかったものの、パワーの継続はなく、プロジェクトはひっそりと倉庫の暗がりに仕舞い込まれているのかとさえ心配していたから、新型リリースの情報には色めき立ったものだ。ただ、試乗前に行われたデモンストレーションランを観て、なぜか釈然としない。これが将来のレーシングカーの姿に違いないと納得しようとすればするほど、思考は混迷に紛れていく。
「これはありなのか…ないのか…」
 新型リーフニスモRCが、正真正銘のレーシングカーであることには一点の疑いもない。ベースは世界最量産EVのリーフである。市販車リーフのコンポーネンツを流用しているものの、雰囲気を整えただけでお茶を濁すモデルではなく、今すぐにでもレースができそうなほどにまで仕上がっていた。
「リーフニスモRC」の立ち位置は、量産車開発の一環でもあり、プロモーション的な意味合いもあるのだろう。具体的なレース計画はない。6台を製作し、世界各地のイベントで勇姿を披露するという。あくまで、ケーススタディであり、市販車の延長線上にこのスーパーマシンが存在するというメッセージである。EV化に積極的な日産のイメージを牽引する役割としての期待が強い。だが、日産のレース部隊であるニスモの作品であるだけに、細部に渡りサーキットの香りが漂う。それが本物の証だ。
 先代と比較して、ホイールベースは150mm伸ばされた。全長は100mmの延長をみた。スペック表で確認すると、全幅や全高は先代と共通だという。低くワイドになったように感じたのは錯覚であり、伸びやかな印象の方が強い。
 中身の進化が飛躍的である。カーボンモノコックであることは共通だが、特に動力性能の上がり幅は桁外れだった。先代と決定的に異なるのは、電気モーターを1基から2基に増やしたことである。それにより、前軸と後軸をそれぞれ駆動する4WDとなった。120kW×2基で240kWを発揮。最大トルクは280Nmから640Nmへと強力になったのだ。
 データによると、0-100km/h加速は、先代が6.9秒だったのに対して新型は3.4秒まで短縮した。最高速度も150km/hから220km/hに伸びた。開発ドライバーである松田次生選手のドライブによると、袖ヶ浦フォレストレースウエイでのラップタイムで約5秒短縮したという。スポーツラジアルタイヤを装着して1分10秒34。スリックタイヤに履き替えて1分8秒18を記録。袖ヶ浦のようなタイトなサーキットならば、R35GT-Rよりも確実に速いと思える。コーナリングマシンとしての資質を備えるのだ。

気楽にドライブ可能なのだが…

 コクピットは、拍子抜けするほど余裕がある。ドライバーズシート背後のバルクヘッドはカーボンで仕切られており、太く厚いサイドシルを跨いで乗り込む必要があるものの、大きなバスタブにゆったりと腰を下ろすかのように緊張感が薄いのだ。本格的なレーシングカーがそうであるように、体をひねったり折ったりと、柔軟性やバランスが試されるようなことはなかった。
 スイッチ類はステアリングに集約されている。いわゆる現代的なレーシングマシンの雰囲気に包まれる。だが、内燃機関のレーシングマシンにあるような、夥しい数の冷却ダクトやポンプ類が省略されているから、無用な緊張感を抱かずに済んだ。
 スタートの準備もあっけない。スタータースイッチを押せばその段階ですでに、なんの音も振動もなく発進準備完了だという。通電しただけでスタンバイ完了なのは、さすがに電気自動車である。
 そういえば、オイルやガソリンの甘く鼻を突き刺すような匂いもなかった。メカニックの丁寧に作業によって綺麗に保たれているとは言え、衣服が汚れる気配さえない。
 発進もあっけない。ステアリングに組み込まれた「P」「N」「D」のダイヤルを「D」にアジャストすれば、興奮を煽る素ぶりはなにもなく、アクセルペダルを踏み込むだけでレーシングな扉を開くことになる。
 内燃機関ではこうはゆかぬ。イグニッションをオンにすれば、ガソリンとオイルが巡るポンプ音が響き渡り耳にうるさい。まるで離陸前の戦闘機のように、準備を整えてからスタータースイッチを押すことになり、それでもなかなか始動せず、数秒間のクランキングののちに、激しい爆音とともにエンジンが目覚めるのだ。そこからは、メカニックとの会話も遮断される。激しい振動も避けられない。
 腰が浮きそうになるほど重いクラッチペダルを踏み込み、複雑な手順を経てようやくギアが1速にエンゲージされる。それからがさらに難関で、アクセルペダルを程よい回転にキープしながら、恐る恐るクラッチをミートさせる必要がある。それでもエンストする可能性は高い。レース用エンジンは低回転域のトルクがか細いばかりか、吹け上がりを優先するためにフライホイールの軽量化が行き届いているからだ。それでいてレース用クラッチのハーフミートはほんのわずかだから、気を許すとストンとエンジンがストップして恥をかくことになる。実際にサーキットでは、慣れ親しんだマシンを操るプロドライバーでさえもエンストするシーンを見掛けるほどだ。
 実は、この手のレーシングマシンの試乗会では、現役でかつ過激なマシン経験のある我々は、発進するその所作だけでアドバンテージがある。素人では発進すら怪しいからだ。だが、リーフニスモRCでは、そんな心配も皆無だった。ささっと乗り込めて、閉塞感もなく、クラッチ操作からも解放される。ギアの上げ下げも必要ない。求められるのは、アクセル操作とブレーキングと、そして目指す方角にハンドルを切り込むことだけである。遊園地のゴーカートと、その点で言えば違いはない。それが証拠に、事前のコクピットドリルらしきレクチャーはなかった。
「Dレンジにすれば走りますから…」たったそれだけだったのだ。

柔和な仮面を剥ぐと…

 ただし、アクセルペダルを踏み込んだ瞬間を境に、レーシングマシン独特の世界に引き込まれた。電気モーターの特性で、発進の瞬間に襲ってくる最大トルクに脳髄がクラクラする。初速を穏やかにするような制御を働かせているのか、想像していたほど激しく背中を蹴られることはなかったが、それでも十分に速い。いきなり最高速度に達するーというイメージだ。電気特有の唐突な加速フィールには、吐き気さえする。
 コーナリングは桁外れに速い。新型でレース用サスペンションに設計し直したこともあり、操縦性はフォーミュラカーのそれに近い。モーターやバッテリーを低く搭載することが可能だからなのだろう、地を這う感覚が際立っていた。
 それでいて、アンダーステアもオーバーステアも顔を出す。限界域ではヤンチャな性格なのである。これが意味するところは、「リーフニスモRC」初体験の僕が、いきなりそれなりのスピード域までマシンを追い込む気になるほど、挙動がわかりやすいということである。限界が低いという意味では決してないのだ。
松村氏はこうもいう。
「EVだからって、何にも起こらないようでは面白くない。ドライバーの腕が表れるような激しさが必要ですよね」
さすがにレース屋である。今年からスーパーGTの総監督を務めるだけのことはある。コンペティションがなんたるかを理解しているのだ。

サウンドがしない。だからつまらないのか…?

 異質なのは、サウンドである。電気モーターといってもホイール・イン・モーターではなく、LSDを介して左右のドライプシャフトにトルクが伝達される。それゆえ、ヒューランドのギアが擦れる音や、インバーターが高周波で唸る。さらには、タイヤが路面の石粒を拾い、フェンダーの内側を叩く音が響くのである。路面がこんなにも汚れていたのかなんて、けたたましい爆音につつまれた内燃機関のマシンでは気にならなかったことだ。爆音という音源を失うとは、こういうことなのかと思った。
 マシンは振り回す自由度がある。開発ドライバーを担当した松田次生選手はこういう。
「ブレーキングドリフト気味にすれば姿勢を変えやすいようにセットしました」
マスターバックがなくABSもない。レーシングカーのそれである。だからブレーキングには神経を遣わされた。だからこそ楽しい。EVは踏んでも何も起きないが定番だけど、ドライビングプレジャーを残してくれたことは歓迎したい。

EVマシンの光と陰

「これはありなのか…ないのか…」の回答が、おぼろげながら霞の中から顔をのぞかせたような気がしたのは収穫だった。そもそもEVレース系は、オーディエンスからの発祥ではない。「時代はEV化なのだし、内燃機関なんて消えてしまうのだからこれでレースをしなきゃならないよね」が本音だ。ユーザーからのリクエストではなく、エンジニア主導のエンターテインメントが観客のハートに響くのかという不安がある。
 トヨタは2025年に550万台の電動車を販売するという。VWも電動化を推し進める。ジャガーはすでに、電気SUVのI-PACEでワンメイクレースを企画、フォーミュラeのサポートイベントとして世界を転戦している。トヨタは世界一速いプリウスをスーパーGTに投入している。2030年頃には2台に一台がEV車の時代を迎えると囁かれているのだ。自然に発生するであろうラブコールを待っている余裕はない。モータースポーツの火を絶やさないためにも、なにかを仕掛ける必要があったのも事実。
 爆音がなくては興奮できない。そんな意見も耳にする。なるほど昭和ドライバーの僕も同感である。初期加速オンリーでは興奮できないとも思う。回転の上昇に比例して高まる躍動感、それはつまり人間臭さであると共感できるのだ。インバーターの音は刺激だと思えなくはない。将来的には、「どこそこメーカーのインバーターの高周波がいいねえ」なとど言われる日が来るのかもしれないとも思う。
 内燃機関のマシンは擬人化もしやすいし動物に例えたくなる。猛獣のような咆哮であり、チータのようなシャープなフットワークであり、象のような突進力と言い換えることがある。だが無機質なEVはついつい、ターミネーターのような冷徹なサイボーグをイメージしてしまう。だがそれも、バーチャルに慣れた世代に、人間味の薄さには抵抗感はないのかもしれない。
 そもそもコクピットドリルがなくても走らせられる気軽さは、レーシングマシンの門戸を広げる。音も静かだから都会の真ん中でもレースが開催できる。排気ガスがないからドームでも可能だ。明るい光明はけして少なくないのである。
 松村氏も異口同音に「ガソリンエンジンがなくなった時にレースもなくなりましたでは寂しい」といい、リーフニスモRCの開発を進めているという。氏は工学博士でもある。将来のモータースポーツを技術的に支えようとしてくれているのだ。

「リーフニスモRC」は世界で6台が製作され、世界各地のイベントでプロモーション活動に回るという。実際にワンメイクが企画されているわけではなく、参加可能なレースも見当たらない。あくまで日産のケーススタディであり、将来性を見極める素材でしかない。
 だが僕は、それでもこの世界に陽を当てるであろう「リーフニスモRC」には、大いに期待したい。それがトヨタのEVマシン開発の刺激になれば嬉しい。まだしばらくは、内燃機関のレースをエンジョイすることにするけれどね。

キノシタの近況

一方、内燃機関の権化たるスープラも話題の主だ。直列6気筒でなければスープラであらずと宣言しておきながら、直列4気筒モデルの走りの良さも光る。購入予備軍の方々、たっぷりと悩みを楽しんでくださいな。