レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

251LAP2019.9.11

前代未聞、ドライバーズタイトル二冠を自主返納してまで何がしたいのか…(笑)

木下隆之がブランパンGTワールドチャレンジ・アジアに挑戦して2年目の今年、昨年逃したドライバーズタイトルを獲得した。昨年は、初のシリーズ参戦ゆえの戸惑いがあり、序盤に勝ち星を落としたのが最後まで響いての2位。その反省を生かし、戦略を整えた。開幕戦からポイントを稼ぎまくったことで、最終上海ラウンドの二つのレースを戦わずしてタイトルを確定させたのだ。
だがしかし…。急転直下、チャンピオン確定ではないという。「BMW team Studie」のオーナー、BOB鈴木監督の一言によって、チャンピオンは次回に持ち越されることになった。一旦は手中に収めたかに思われたドライバーズタイトルは、最終ラウンドまでお預けになったのである。
そのただならぬ理由を、当事者である木下隆之が困惑のなか報告する。

二人の実力が拮抗していることの強み

最終戦である中国・上海ラウンドを残しながらも、年間ドライバーズタイトルを決めたのは7月の韓国戦である。土曜日に行われた1レースで王手をかけ、翌日曜日開催の2レース目で圧勝したことで、最終ラウンドを待たずして悲願を達成した。
レース後の表彰台では喜びを爆発させた。主催者であるSROも早速、#81木下隆之/砂子塾長組のドライバーズタイトルを公式発表。僕たちがたとえ、最終上海ラウンドの2レースを無得点で終えたとしても、タイトルが確定する。

チームは、明らかにライバルより実力で優っていた。BMW・M4GT4も速かった。勝利を積み重ねるにしたがって厳しくなるBOPにも屈することなく、高い戦闘力を維持した。
自慢を込めていえば、僕らは安定して速かったと自画自賛できる。練習から予選を通してタイム差はないに等しい。もちろん決勝にいたっても二人にタイム差はまったくなく、どちらが予選アタックをしても、どちらからスタートしても結果には差がないに違いない。
1回目の予選を走ったドライバーが第1レースのスタートを担当しなければならないルールも意に介さないし、2回目の予選ドライバーが第2レースのスタートをするというルールもまったく影響をしなかった。
つまり、スタート後25分から35分の間にドライバー交代をしなければならないというルールさえも、戦略に影響しなかった。ドライバーのバラツキがあるライバルチームは、速いドライバーを長く走らせるという作戦をとる。その一方で、スタート後の混戦で賢く立ち回れるドライバーをスタートに起用する、あるいは、タイヤがタレた後の走りづらいマシンをゴールまで導くために、安定感のあるドライバーを後半に起用するといった戦略に頭を悩ませる必要がなかった。どちらがスタートしても、どちらに後半を委ねても、結果には影響しない。ドライバーレベルが揃っていることの強みがあったのである。それ故の最終ラウンドを待たずしてのドライバーズタイトル決定である。

師弟対決…

だがチームオーナーはそこに不満を抱えていたらしい。木下隆之と砂子塾長を起用したのはBOB鈴木監督だというのに、あろうことか、「この二人のドライバーのどっちが速いのか」を検証したいと言いだした。ドライバーズタイトルを決めた韓国戦の夜、チームメンバー全員で悲願達成を祝う打ち上げの席でこう宣言したのである。
「最終上海ラウンドは、木下と塾長を別々のマシンで戦わせます」
「はあ?」
すぐにその真意を理解できる人は誰もいなかった。
「なぜ?」
「セナプロ対決や〜(笑)」
いつものように大きな声で叫んだ。
つまり、この2年間共に戦ってきた二人を競わせると言いだしたのである。
勝利の余韻が一瞬にして冷めたことはいうまでもない。

僕たち二人はともに、お互いをリスペクトしていた。マシンセッティングの好みも似ていたし、一発の予選タイムもまったくといっていいほど違いがなった。自分が速く走ればいいというエゴは一切なかったし、だからお互いに譲り合うことができた。相方のために、タイムを落としてでもタイヤを温存することにも抵抗はなかった。情報はすべて曝け出すことができた。
僕は塾長より4歳年上だが、年齢の差など意識することはなかった。そもそも、僕たちはプロドライバーの道を歩み出した日産時代から親しかったし、コンビを組んでシリーズを戦った時代もある。お互いの速さも知っていたし、レースへの取り組み方も近似していた。コンビを組むのは20数年ぶりだったが、昨年の開幕戦、最初のレースからまったく打ち合わせをせずとも、長年コンビを組んでいたかのように完璧な役割分担ができた。ベテラン漫才コンビがネタ合わせをせずとも完璧なステージをこなすのと似ている。絆は強い。
そもそもぼくは、今更名を成すこともなかった。失うこともなかった。駆け出しのころのように、鼻息を荒くして、必死になって評価されようとする必要がない。だから正しく、チームの利益を最優先に戦ってきた。
だというのにBOB鈴木監督は、その仲を裂こうとするかのように、二人を競わせると宣言したのである。
「鬼だ!(◎_◎;)」
「鬼畜‼️」
「悪戯っ子にもほどがある」
「ドSに違いない」
BOB鈴木監督には数々の罵声が浴びせられたが、笑って流された。
「だって、面白いじゃん‼️」
次第にチームスタッフもスポンサーも、それを望んでいるように前向きになっていった。
冷や汗をかく僕と塾長をよそに、メンバーはそのアイディアに両手をあげて賛同しているかのようだった。

ただし、障害は少なくない

ただし、BOB鈴木のアイディアをそのまま成立させるには、数々の問題があった。
まずは、僕たちの立場の問題がある。ドライバーズタイトル獲得を喜んでしまったというのに、最終戦の結果次第では、僕と塾長のどちらかのタイトルが消えることになる。
実はすでに二人の元には多くの祝福のメールが届いている。自宅には、夥しい数の花束や高級酒が届いている。今更、「あの〜、チャンピオンではなくなりました…」などとは口が裂けても言えないのである。「BOB鈴木監督が変なことを思い付いちゃいまして…」とでも報告しろというのだろうか。もうスポンサーが企画してくれた祝勝会も済ませてしまっている。銀座の高級店で最上級の鮨を平らげてしまっている。これまで導いて下さった恩人たちに、どう申し開きをすれば良いのか言葉が浮かばない。
そもそも、ドライバーズタイトルが確定したことは、主催団体であるSROが公式に発表してしまっている。だというのに、タイトルを獲得したチームが自ら公式発表を覆すなど、これまで聞いたことがない。覆るのは違反や不正が発覚した場合だけであろう。前代未聞の提案にSROも困惑することだろう。

難題はまだある。このレースは1名ドライバーでも2名ドライバーでも出走が可能だ。だから僕と塾長がそれぞれ別々のクルマに別れて一人で走り切ることには問題はない。ただし、1名エントリーの場合には無条件に7秒余計にピットストップが加算される。チーム内の差という点ではイコールだが、ライバルチームとの闘いでは圧倒的に不利になる。それを覚悟してまでセパレートさせる意味があるのか。
マシンの準備の問題もある。日本にあるマシンを上海に空輸するには多額の輸送費が必要だ。タイヤの手配もしなければならない。スタッフも増員しなければ回らない。
このように多くの問題を抱えていたのに、BOB鈴木監督はそれを持ち前の行動力でクリアさせてしまったのである。マシンの空輸が間に合わず、主催者から2台体制の許可が降りなければ楽できる…といった僕の一縷の望みも断たれた。
マシンは#81号車が僕であり、#82号車を塾長がドライブすることになった。

本当の狙いは…?

BOB鈴木監督の企画の、”あくまでも”公式的な狙いはこうだ。
昨年獲り逃したトライバーズタイトルはすでに確定したものの、確定させたチームタイトルを逃しているのだ。その理由は、ライバルのAMGチームが2カー体制だったからに他ならない。チームポイントの稼ぎ頭は#81の1台だけである。それを覆すためには、2台を投入する必要があった。2台のマシンでポイントを荒稼ぎしようと考えたわけだ。
ただし、それにも条件がある。2カー体制でチームタイトルのポイント争いでトップにいるAMGとの差は開いている。僕たちが1-2フィニッシュしたとしても、AMGチームが無難に3-4フィニッシュされたら届かない。それども微かな可能性を求めて挑む。2カー体制にこだわる理由はそれでもある。
BOB鈴木監督は、勝ちにこだわるオトコである。「2位が一番嫌い」と公言している。
「こんなに多くのサポーターが来てくれる最終戦を消化試合にしたくはなかった」そうも言う。
ドライバーズタイトルが確定し、チームチャンピオンの望みが断たれた最終戦は、ともすれば観光旅行気分のレースになりかねない。モチベーションの矛先を失ったチームは、凡庸なレースに甘んじる可能性があった。BOB鈴木監督はそれを退屈と考えたのだろう。サポーターにも失礼だと考えたのだ。
なるほど一理ある。仲間には最後まで興奮して欲しい。正論ではある。だが、そのために一旦は握りしめたドライバーズタイトルを失うかもしれないというリスクがある。金銭的な負担も少なくはない。それをBOB鈴木監督はどう認識しているのだろう。

そもそも無理がある

1-2フィニッシュはけして簡単ではない。
というのも、前回の韓国ラウンド2レース目で優勝した#81号車は、サクセスハンディキャップが課せられる。「15秒」も余計にピットストップをしなければならないのだ。しかも前述したように、1名ドライバー体制の場合にはさらに「7秒」が加算される。つまり、「22秒」がまるまるロスとなる。それをコース上で稼ぐのは至難の技だ。
一方の#82塾長号にはサクセスハンディキャップがない。1名ドライバーの「7秒」が加算されるだけだ。そこにはすでに、僕との間に「15秒」の差がある。ドライバーの速さが拮抗していることを考えれば、それを覆すのは現実的ではない。つまり#81号車をドライブする僕の最上位は2位である。いや、それすら不可能に近いのである。
となると頼みの綱は、#82塾長号の立ち回りである。#81号車をドライブする僕はひたすら飛ばすしかない。後続を引き離すしか方策はない。僕が2位にまで這い上がれるようにレース展開を組み立てるのは、#82号車の走り方次第というわけだ。

レース2に対しても同様で、レース1の結果次第でサクセスハンディキャップが別れる。先の読めないレースが待ち受けているのだ。
望むべく最良の結果は、両レースとも1-2フィニッシュとなり、優勝を僕と塾長が分けあうというシナリオである。しかも、ライバルAMGがポイント圏外に脱落することである。ならばドライバーズタイトルは両方のドライバーに与えられる。チームタイトルも手中に収められる。すべてが平和に終わる。だがそれも、可能性としては高くない。
そもそもブランパンGTワールドチャレンジ・アジアは荒いレースである。GT3との接触もリタイヤも少なくない。今から胃が痛いのである。

有終の美を飾れるか…

祝いの席で、勝利の美酒をしこたま呑みながら次の企画を考えているのだから、BOB鈴木監督の企画力とサポーターへの並々ならぬ愛情は尊敬に値する。旺盛なサービス精神と、とめどなく溢れ出すアイデアには頭が下がる思いである。それがStudieをここまでのプランドに成長させた原動力でもある。
だけど、鬼畜である(笑)。この体制でのブランパンGTワールドチャレンジ・アジアは、今年が最後だと発表されている。来年このメンバーは、それぞれ分かれて活動をすることになる。そもそもレース界にとどまるのかも確定していない。つまり、2019年の最後のレースであるだけでなく、僕にとってTeam Studieとの最後のレースになるかもしれないのだ。だと言うのに、BOB鈴木監督はゆったりとレースを噛み締める余裕すら与えてくれない。
ふたつのドライバーズタイトルを確定させておきながら、最後の最後に、それを失うリスクを承知で刺激を求めるなんて、これまで例があっただろうか。
普段は、酔った席での言動や諸行の記憶をなくすはずなのに、こればかりは鮮明に覚えているというのだから、頭の回路がどう巡っているのか理解不能である。
ブランパンGTワールドチャレンジ・アジア最終上海戦は、9月27日(金曜日)〜28日(土曜日)である。

キノシタの近況

恒例の夏のBBQは、いつものようにBBQとはいいながら焼物はなく、ひたすら呑む。