258LAP2019.12.25
先輩ドライバーのつぶやきは宝物ですね
モータースポーツ界は年末、メーカー主催の「フェスティバル」の時期を過ごす。シーズンを締めくくる最後のビッグイベントである。そこには、世代もカテゴリーも越えたドライバーが集まる。それはまるで同窓会のような雰囲気に包まれるのだ。 今年もフェスティバルに招待された木下隆之は、その控室で見聞きしたレジェンドたちの言葉の数々に感動したという。正月を迎えるにあたって、ユル〜イ話をしてもらおう。
これが実は最大のお祭です
モータースポーツフェスティバルが終わると、本当にシーズンオフになってしまったことを意識する。チャンピオンシップを戦い終えた僕らは、年末は意外に忙しい。スポンサーやチームが企画してくれた慰労会や祝勝会に参加し、感謝の気持ちを伝える。その一方でファンの方々と気持ちを共有するのに欠かせないのが、年末恒例のモータースポーツフェスティバルなのである。気持ちに一区切りつけ、来季に想いはせるには都合がいい。
今年は、NISMO FESTIVALとTOYOTA GAZOO Racing FESTIVALに波及し、もはやモータースポーツに欠かせない一大イベントに成熟した。レースにも負けないほどの観客を集めるまでに成長したのである。
実は僕らドライバーにとっても、特別な日である。というのも、日頃は顔を合わさないドライバーと接する貴重な時間でもあるからだ。チームメイトなのに、カテゴリーが異なり世代が異なると、なかなか話す機会もない。フェスティバルは、カテゴリーも世代もいっしょくたにして一堂に会すことで、日頃耳にできない裏話を聞くことができるのも楽しみなのである。
コンペディションの世界にいるから、上下関係は厳しい。同世代であっても仲良しだとはかぎらない。むしろ、個人スポーツの性格が強いから、仲間ではなくライバル関係なのである。そんな我々でも、フェスティバルになると相好が崩れる。和気あいあいとした雰囲気が、ついつい口を滑らかにするのだ。
NISMO FESTIVALは伝統的に、同窓会然とした雰囲気が強い。というのも、富士スピードウェイのクリスタルラウンジの広大な一室を控え室とし、そこに、過去に日産に籍をおいたドライバーの多くを招待するからだ。
新人や後輩ドライバーは、ピンと背筋をのばす。さぞかし居心地が悪かろう。御歴々の大先輩を前に、ゆったりと寛いでいられるほどレース界は優しくない。
そもそも日産は、モータースポーツ黎明期から契約ドライバーを抱えており、終身雇用のように大切に支えてきた。現役を退いても、多くのドライバーが集まってくるのである。
和田孝夫さん、講演会のはじまりはじまり…
となれば、レジェンドドライバー達の興味深い武勇伝を聞きに、若いドライバーが集まってくる。
「だいたい、今の若い奴らは…」
このキラーワードが発せられれば、レジェンドドライバーを囲むプチ講演会の開幕である。こんな神の言葉を煙たがっては損だ。若いドライバーからすれば耳が痛い小言に聞こえるかもしれないが、経験豊かなレジェンドの言葉はこれから歩み進む人生の参考になる。油断ならぬこの世界で生き残ってきたのは、頭抜けたドライビングスキルを備えていたことは当然のこと、並々ならぬ生命力があったからだ。そんなレジェンドの言葉は、金を払ってでも聞くべきだ。必ずや為になると思うのである。
僕も充分に先輩達の領域に片足を突っ込んでいるけれど、まだ現役ドライバーである。今更ながら学ぶことが多い。
【年寄りの言うことと牛のしりがいは外れない】
しりがいとは馬の鞍を固定する紐のことであり、牛と荷車を繋ぐ紐のことだ。経験豊かな人の言葉は間違いないとすることわざである。【転】しりがいを外さなかったからレジェンドと呼ばれるわけだ。
控室に和田孝夫さんがやってくると、例の伝説の菅生戦の話になった。
1989年の全日本F3000選手権菅生ラウンドで、サスペンションを折りながらも優勝を飾ったレースのことだ。和田さんはトップを快走、残り5周を残して左サスペンションにトラブルが発生。最後には中継するテレビの映像でも分かるほどにアームが折れ、タイヤがあらぬ方向に向いていた。だが、ピットに入ろうとする気配がない。暴れるマシンをねじ伏せてゴール。優勝してしまったのだ。
「最近はちょっとしたトラブルでもピットインするからな。『振動が〜!』なんて叫びながらね」
御大は、最近のレース番組を観ていて嘆いているわけだ。
控室は即席YouTube試写会場となった。
そこで和田さんの凄さが明らかになったのは、レース後インタビューである。
「最後は危なかったですね」と最後の激走を称えるMCに反応せず、こう答えたのだ。
「いや、ジェフ・リースが速かったね」
「いや、その件ではなく。最後はサスペンションが大変でしたよね」
「そうなの? サスペンションね」
「折れてましたよね」
「そうなの? ボクのが?」
サスペンションを折りながら耐え抜いたことには、ほとんど関心を示さない。
「そこでしょ!(◎_◎;)」
ツッコミを入れたくなった。
1979年JAF 鈴鹿F2グランプリでK・ロズベルグを追いながら4位快走中、後続との接触で宙を舞ったB・ガビアーニが和田さんの頭上に降ってきた。担架で運ばれる和田さんの首はうなだれていた。生命の心配もした。奇跡的に一命はとりとめたものの、数ヶ月もの間、意識不明で病院のベッドに寝たきりになったのだ。
「あのときは大変でしたね」
「ああ、ロズベルグを抜きたかったね」
このレースの3年後、K・ロズベルグはF1チャンピオンになる。ニコ・ロズベルグが産まれる前のことだ。
「事故が大変でしたね」
「そうだね」
「痛かったんじゃないですか」
「いや、痛くはないよ。気を失ってんだから…」
意識がなきゃ痛さも感じない。正しいのである。
忖度なし
以下、個人名をさらすのは危険なので、匿名でお許しください(笑)。
「最近、レースを観戦することありますか?」
「ないよ」
「最近のレースもなかなか楽しいですよ」
「で、木下君はそのレース観ると、金もらえるの?」
レジェンドの時代には、大金が動いたのである。
【老い木に花咲く】
老木に花が咲くように、一度衰えたように思えても勢いをとりもどすことのたとえ。
【転】一斉を風靡したレジェンドは今でもギラギラしている。
「これからサイン会だそうです」
「いくら?」
【老い木は曲がらぬ。老木は柔軟性が落ちるからしなりにくい】
【転】レジェンドは頑固だから、今さら考えを改めようと思わないことのたとえだ。
「そろそろトークショーです」
「食事しているから、あとでいい?」
【老いの一徹】
思った事を頑なに押し通そうとする。
【転】もはや怖いものはない。
「最近は、雨が降るとレースを中止にするそうだね」
「豪雨だと危険ですからね」
「だったら、レーシングドライバー、辞めちゃえばいいのに…」
【生まれながらの長老なし】
産まれながらの優れた人間などいるわけもなく、長い間の修行や経験を重ねなければ大成しないことのたとえ。
【転】雨が降っても一周でも多く走る必要がある事。
「あいつバツイチなんだってね。笑えるね」
【老いてますます壮なるべし】
歳を重ねても、ますます元気で意気盛んでならなければならないことのたとえ。
【転】英雄色を好む。
「ペコペコ頭を下げているあの子もドライバーなの?」
「現役ドライバーです。最近活躍していますよ」
「へ〜、そうなんだ。誰にペコペコしているの?」
「チームへの挨拶です」
「ペコペコしなきゃダメなの?」
「ペコペコじゃなくて挨拶ですね」
「ペコペコでしょ?」
「社会人としての最低限の挨拶ですが…」
「ペコペコしていいことあるの?」
「彼女できた?」
「いえ。レースで忙しくて…」
「ダメじゃん」
【老いらくの恋】 年老いてからの恋愛。
【転】 トップレーサーはいつまでも性欲が旺盛である。
くぐり抜けてきた修羅場の数だけ…
丁寧に紡ぎ出した言葉ではない。無造作に、放り投げた言葉の数々である。だが、それだけに、レジェンドたちの言葉のひとつひとつには重みがあるのだ。
レジェンド達は、今でも若々しい。エネルギッシュだ。肌の色艶からも、只者ではないことが伺えるのだ。
【老いた馬は道を忘れず】
長年通い慣れた道は忘れない。経験豊かな人は、物事の本質とやり方をよく覚えていることのたとえ。
キノシタの近況
TOYOTA GAZOO Racing FESTIVALは華やかだわ。世界で活躍するから、すごく大勢のドライバーが集結する。友山プレジデントとも、和気藹々とね…。