260LAP2020.01.29
ドライバー・オーディションの傾向と対策
シーズンオフ恒例行事のひとつに、ドライバー・オーディションがある。レーシングチームがステアリングを託すドライバーを吟味するために、実際にマシンを走らせて実力を確認するのである。限られたシートを求めて複数のドライバーが争うこともある。かつてオーディションに参加し、難関を突破したり破れたりしてきた経験のある木下隆之が、オーディション合格のコツを伝授する。
トライアウトに感情移入
TBSテレビの番組「バース・デイ」を観ることがある。プロスポーツ選手を題材に、華やかなステージと異なる裏の世界を報道するこの番組には、同じ境遇にある身として感情移入する。ついついハンカチを手に、観入ってしまうのである。
先日の企画は、プロ野球選手の「トライアウト」だった。
トライアウトの正式名称は「プロ野球12球団合同トライアウト」と呼ぶ。過去、プロ野球球団を自由契約になった選手に受験資格がある。戦力外通告を受けたものの現役が諦めきれず、もう一度チャンスを掴もうとする選手が挑む世界なのだ。
合格基準に厳格な決まりはないようだ。投手は、1ボール1ストライクから打者3人と対戦する。そこでのピッチングが評価対象となる。一方の打者には、数回の打席が与えられる。少ないチャンスでいかに関係者の目にとまるかが、合否の分かれ道になる。
ただし、投手が打者を抑え、あるいは打者がヒットを打ったからといって合格するとはかぎらない。合否の判定基準は、あくまでスカウト関係者の主観によるらしいのだ。
合格率は10%程度だという。例年40人前後の選手が挑むようだが、合格者はわずか3〜4人となんとも厳しい。しかも、トライアウトで球団から声が掛かっても、その先には入団テストが待ちかまえている。短距離走や遠投といった審査を通過して初めて、プロ野球選手に復帰する道が開ける。
だが、それとてまだ入団の資格を得ただけで、試合に出場できる支配下契約ではなく、出場資格のない育成枠での契約の場合もある。そもそも、一度はプロ球団と契約していながら戦力外になったわけだから、球団の期待値は低い。わずかなチャンスを与えたにすぎないのである。
トライアウトが酷に感じるのは、対戦相手に左右されるということだ。いいピッチャーと対戦すれば打者は不利になる。投手も同様で、打者いかんで成績は変わる。それも運不運だとするのだろう。トライアウトでは、運さえも試されるのである。
評価項目はタイムだけではない
モータースポーツの世界には、戦力外通告というシステムは存在しない。そもそもNPBプロ野球12球団のような、リーグシステムがないのだ。チームとの契約がまとまればレースにエントリーできるし、合意が得られなければチームを離れるだけだ。そのチームすら、参戦したり参加カテゴリーを変えたりする。ドライバーの実力とは関係なくシートがあったりなかったりする。プロ野球のようにあからさまに戦力外通告されることがない。
ただし、入団テストのようなものはある。来季のドライバーラインナップ候補が集められ、走行テストが行なわれる。50mダッシュやとび箱を飛んだりすることはなく、期待どおりにドライブできることをチームが再確認する場である。
オーディションと呼ばれるものはある。数名のドライバーが集められ、数周の走行を判断材料として選抜されるのだ。最近こそあまり聞かなくなったけれど、シーズンオフの一部で行われていると聞く。
オーディションの課題はシンプルである。数周の走行が許され、そのタイムが計測されるのだが、ただ単に1発のベストタイムだけではなく、アベレージの安定度やタイヤ温度なども計られた。それも判断材料にされていたのだ。
走行中のエンジンデータを確認できるか否かの口述テストもあった。
デジタル時代の今は、ドライバーが走行中に計器を確認する必要性は薄れた。エンジンやミッションに異常があれば、メーターが赤く点滅する。走行後にはエンジニアが、コンマ1単位で数値を管理する。ドライバーにその役目はない。だがアナログ時代は、走行中のデータはドライバーにしか知ることができないわけだから、走行中のデータ管理はドライバーにとって欠かせない資質であったのだ。
こんな問答の応酬が楽しい
「1コーナーのブレーキング開始時、エンジン回転はいくつだったかな?」
こんな質問は序ノ口である。想定範囲内である。
「電圧の落ち込みはありましたか?」
ちょっと難易度をあげた質問である。
ここまですんなりと答えると、エンジニアもちょっとムキになってこんな質問を浴びせてくる。
「では質問です」
「はい、なんでしょう」
「最大ブースト圧はどうだったのかな?」
これは難しいだろうって顔をしても、数々のオーディションに挑み、自称オーディションキラーを標榜する僕には通用しないのである。
ターボマシンでのブースト圧問題は定番である。もともと想定しているから、答えに窮することはない。そんな質問に対しては「ほら来た」とばかりに即答である。
ただし、もっとも確認しやすいストレートでのブースト圧を報告しただけでは片手落ちである。ブースト圧は負荷によって変化するから、アップヒルでのブースト圧と下りセクションのブースト圧の両方を報告する必要があるのだ。
「Bコーナーの立ち上がりでは1.4kgf/㎠でしたが、ストレートエンドでは1.35kgf/㎠でした」
そこまで報告すれば50点。
「オーバーシュートが1.6kgf/㎠でした」
それで60点。
「4500rpmで正圧になりますね」
これで70点。
「5速より3速のオーバーシュート低下が激しいですね」
ようやく80点。
「アクセル開度50%でも過給が正圧になります。その領域でもトルクが得られますね」
もうちょいの90点。
「Bコーナーは2速で立ち上がりたいところですが、3速でも回転ドロップは4600rpmまでに抑えられます。ですので、3速を使いました。その方が水温が低いようでしたしね」
これで満点である。僕がこれまで飽きるほど経験したなかで習得したオーディションテクニックである。
そんなの答えられるわけないのに…
かつて、こんな質問をしてきたエンジニアがいた。場所は富士スピードウェイだった。
「キミの5周目のことなんだけど、100Rのクリッピングでの最低油圧は何キロだったかな?」
「5周目ですと、ベストタイムを記録した周のことですね」
「そういうことになるけど、メーターを見ていたのかな?」
あからさまに意地悪な質問である。富士スピードウェイの100Rは最大の難所であり、計器に目をやる余裕などない。そもそも初めて乗るマシンである。挙動をつかむことで精一杯であろう。タイムも叩き出さなければならない。実際には、目を三角にして最速タイム狙いの真っ最中である。メーターなんて見てるわけがないのである。
だが、そんな質問に対しても平然と答える必要がある。
「1.1cmf/㎠です」
ただしそれだけでは十分ではない。
「アクセルオンでは1.1cmf/㎠でしたが、アクセルオフでは0.6cmf/㎠でした」
これで70点。
「ですが、ヘアピンでは0.5cmf/㎠から1.2cmf/㎠に変化しました」
さらにつけ加えて90点。
「4500rpm以下では油圧が低いので、アクセルオンを慎重にしました」
これで満点であろう。
まあ、初めて乗るマシンを扱うだけでも一苦労なのに、最大の難所で計器ばかり見ている余裕などあるはずもないのに、そんな問いかけをしてくるのである。
それでもオーディションキラーの僕には通用しない。あらかじめの想定問答をシミュレーションしているからである。
そもそも、アナログ時代だからデータが残らない。間違っているのか正しいのか、エンジニア本人だって知らないのである。だから、当てずっぽうである。「わかりません」とは口にできないから、ベストタイム狙いのアタック前の周のどこかで確認しておいて、それに近い数字を自信満々に口にすればいいのである。(笑)
マシンの扱いは丁寧に…
トランスミッションがHパターンの時代、エンジニアがもっとも嫌うのがシフトミスである。ヒール&トーで正確に減速ができているか否かも審査対象だ。たいがい関係者が立ち入らない裏のヘアピンなどの木陰で目を光らせていたものだ。オーバーレブは御法度。丁寧な操作は基本である。
ポイントは、それまでの、そのチームの成績を知っておくことだ。ドライバーのミスが原因で勝てるレースを落としているチームは、マシンに優しいドライバーを好む傾向にある。だったらそれを重視すべきなのだろう。
あるいは、一発の速さに強いドライバーを好むチームもある。そんな場合はむしろ、徹底的に攻め込んで目の覚めるようなタイムをたたき出す必要がある。大学受験のように、傾向と対策が欠かせないのである。とはいえ、通称赤本、大学入試想定問題集などのように本屋で買えるわけではないから、独学で学ぶ必要がある。
もちろん、スピンやコースアウトは御法度だ。マシンを損傷させようものなら、オーディションは即刻中止である。二度とドライブするチャンスは巡ってこないとキモに命じていたほうがいい。
ライバルの罠に気をつけろ
意地悪なドライバーに足元をすくわれないようにする必要がある。
オーディションに集まったドライバーをイコールコンデションで競わせるために、新品のタイヤやブレーキが用意されていれば話は別だが、そんな厚遇はまずない。ライバルが走行した直後に、同じマシンで走らされることもある。そのドライバーが見えないところで密かにブレーキバランスを狂わせてから、次のドライバーにステアリングを譲ることだってあるのだ。ライバルが卑怯な手を使わないとは限らない。
たいがいそんなドライバーは普段から素行が悪いし、性格の悪さは知れ渡っていることが多い。しかし油断大敵である。数少ないシートを奪いあうオーディションは、弱肉強食の世界である。生易しくはないのだ。
次のドライバーにステアリングを譲る前のピットインラップに、タイヤを痛めつけて戻るのは、頻繁に見かけるシーンである。
ただ単純にベストタイムだけではない
ラップタイムの出し方にもワザがある。いきなり記録に残るようなベストタイムを叩き出すのも印象を良くするテクニックなのだが、一事が万事、そう上手くことが運ぶとは限らない。そんな芸当ができれば、オーディションなど受けずとも美味しいオファーがきているはずだ。
だったら、期待をもたせるタイムの並べ方も有効になってくる。徐々にタイムを上げ、最速タイムを記録した周で走行を終える。「もうチッョト走らせて見たいよね…」と余韻を残すのだ。「まだタイムが上がりそうだ…」と期待させるのである。
「タイムが出るまで時間が掛かるドライバーだぞ」と負のレッテルを貼られることもあるから功罪はあるものの、マシンのコンディションを丁寧に把握しながら、最終的には辻褄を合わせられるドライバーは評価が高い。
素行も審査対象だ
かつて、こんなことでビッグチャンスを掴んだドライバーがいた。それは全日本F3選手権のオーディションでのこと。そのドライバーは関西出身で富士スピードウェイでの経験がなかった。そのために、数日前から富士スピードウェイを視察しており、朝から晩までコース脇で、レーシングマシンの走りを観察していた。
その姿を見たレーシングチームのオーナーが、彼の真摯な姿勢を気に入り、トップチームに大抜擢されたことがある。
走行以外にも可能な限り努力をする必要があることはいうまでもない。
その話はレース界で美談として知れ渡った。すると、コース脇で熱心に観察するドライバーが増えた。今では笑いぐさだ。
それがエスカレートして、早朝にサーキットをランニングするドライバーも増えた。まだ肌寒い朝、オーディションを企画したチームがパドックにやってくる数分前にコースをランニングする。そこにチーム関係者がやってくる。ガレージのシャッターを開ける。そのタイミングを見計らって、ピットロードから駆け寄ってくるのだ。
「おはようございます」
「おお、朝からランニングか?」
「はい、僕はいつもレース前には、コースをランニングしているのです」
「良い心がけだ」
「ありがとうございます」
そういって、額の汗を拭うのである。もちろん白いTシャツが濡れていなければならない。(笑)
まあ、そんな姑息なオーディション技の数々も、通用する時代ではなくなった。データはPCで徹底的に管理されているから、裏技で欺こうとしてもボロが出る。最終的には正しいドライビングをすることがすべてなのだ。
ドライバーにとって欠かせない最大の要素は、まず速く走れること。だがそれだけではなく、ドライビングの幅広さも必要なのである。
というわけで、チーム関係者が僕のこのコラムを読んでいないことを祈る。まだまだオーディション人生が続きそうな気配だからだ(笑)。
キノシタの近況
昨年の数々の賞レースでの感謝の会が、年を越した今でも続いている。新年会も含めて、毎週のように金曜日の晩は都内のホテルでパーティなのである。なので、着慣れないジャケット姿でのこのこと出かけるわけなのだが、それも気持ちがビシッとして清々しい。レーシングスーツの日々を過ごすのは、もう少し先のようだ。