レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

261LAP2020.2.12

共通言語はオノマトペ

ドライバー言語は多岐に渡る。高度な技術の集合体であるマシンを操る。だがドライバーは柔らかい肌でマシンに接し、感情を持つ生身の人間だ。言葉は感覚的になる。ある日のこと、トップレーシングドライバーが話す言葉の不自然さに気がついた子供がいた。まるで赤子のようだと…。

擬態語と擬音語に溢れている

「レーサーの人たちって、赤ちゃんみたいな言葉を使うんだね」
自宅にレーシングドライバー仲間を招いて、バーベキューを振る舞った。夕方から始まった焼肉大会は次第に酒宴になり、日が変わるまでグダグダと笑いに溢れた時間が続いた。その様子を、たまたま幼い子供が見ており、不思議そうに発したのが冒頭の言葉である。
問いただすと、擬音や擬態語が多いから…ということが理由のようだった。
「ストレートでさぁ、グォ〜ングォ〜ンってきたわけよ。そしたら後ろのマシンがぎャぎャぎャってさぁ、わぁ〜やべーって押し出されて、ザザザ〜ってね」
つまり、「富士スピードウェイのストレートでエンジンを高回転で響かせながら突き進んでいたマシンが、1コーナー手前でABSを効かせながらフルブレーキングした。止まり切れないからこれは危険だと悟った。案の定、アウト側にいた自分は行き場を失いサンドトラップに押し出され、砂場に足をとられてしまった…」と語ったのに、子供の耳には、幼児言葉にしか聞こえなかったというわけだ。クォ〜ンクォ〜ンは犬の遠吠えに思えたのだろう。キャキャキャは猿の鳴き声なのかもしれない。ザザザ〜は海辺のさざ波か、校庭で駆け回っている子供達の靴音に聞えたに違いないのだ。

オノマトペは、日本発祥の言語かもしれない。外国語にもオノマトペは存在するが、日本ほど豊富ではない。世界伝播の先鞭をつけたのがアニメであろう。「ワンピース」や「ドラえもん」といったアニメがオノマトペを携えて世界に翻訳されているからだ。
フランス語版では、敵を蹴る場面で「タンッ」と日本語のまま描かれ、下段に注釈を加えるように「KICK」と添えられているという。
「ニコニコ」には字幕が「SMILE」だという。では「ゲラゲラ」は…。「笑う」という画一的な単語では表現できないニュアンスが込められているのだ。
漢字と平仮名だけでなく、日本人はカタカナも器用に使う。本当に日本語はとても感情豊かな言語だと思う。外国人の表情があれほど豊かなのは、ジャスチャーを加えないとニュアンスが表現できないからなのだ。日本人が無表情でいるのは、言語が豊かだからである。実はとても誇るべきことなのである。
僕が物書きになってからしばらくは、オノマトペに極力頼らずに文章を完成させたいと意固地になっていた。だが最近は、むしろ積極的に擬態・擬音語を使うように心がけている。
「しょぼしょぼ」
「ザァザァ」
「シトシト」
「ぽつぽつ」
「ばらばら」
「パラパラ」
雨音のオノマトペだけでこれほどある。平仮名とカタカナでも微妙に奥行きが変わるから使い分ける。
「ぎャぎャぎャぎャ」ひらがなとカタカナをミックスして使うことも少なくない。
「桜の花びらがハラハラと舞った」
「雪がシンシンと降る」
情景が浮かんでくる。オノマトペも立派な日本語なのである。
手塚治虫は、オノマトペを多用した初めての漫画家だといわれている。それ以来、オノマトペはアニメには欠かせなくなった。
絶望的な衝撃は「ガーン」だし、それ以上でもそれ以下でもない。これよりも的確なオノマトペはないから、僕らはアニメを飛び出して日常の言葉として使っている。もはや「冷や汗をかいた」ではなく「タラー」である。「それは困ったぞ」は「ゲゲゲゲゲ〜」であり、「ゲ」の字の長さで深刻度を表現している。お茶をこぼした程度ならば「ゲゲ」であり、財布を紛失したのならば「ゲゲゲゲ〜」である。

体育会と文型と理系のはざまで

閑話休題
レースの世界は擬音や擬態語、いわゆるオノマトペに溢れている。ドライバーに学がなく動物的感覚だけの人種だからなのか、そもそもあの些細な現象を告げるのにオノマトペ以外に適切な言語が存在しないのかわからないけれど、確かにオノマトペが氾濫している。幼い子供が赤ちゃんみたいだと思う理由も否定できないのである。

不思議なのは、それでもモータースポーツは成り立っていることだ。高度な技術の集合体であるマシンを扱うという特殊なスポーツであり、ある意味で物理の法則との戦いであるのにもかかわらず、それを扱うドライバーの多くは文系であり体育会系である。

一方の、マシンを開発するエンジニアは、優秀な理系の専門の教育を受けた高学歴者が多い。そんな水と油の人間たちがチームを組んでいるのだから笑える。そこでの共通言語がオノマトペなのである。

しかるに、日本の優秀なエンジニアは、オノマトペと理論公式のバイリンガルである必要がある。僕らドライバーは感覚の世界に生きているから、擬音がついつい口を突いてでる。それを聞き取り、理系の公式に置き換え能力が求められるのだ。
例えばABSが深く効きすぎていれば「ギャッギャッギャ…」だし、浅効きであれば「キャキャャャ…」であろう。
ステアリングを強く握る仕草を加えて「クォ〜ンクォ〜ン」と喉の奥を鳴らせばそれは「高性能NAエンジンが高回転で唸っている」を表現しているのだし、その先に「パララララララ…」と付け加えれば、「回転リミッターが細かいヘルツで作動している」ことを意味する。さらに深読みすれば、そのNAエンジンは9000rpmあたりでサーチュレートしており、おそらく速度は260km/hあたりではないだろうか、という意味まで含まれる。オノマトペは雄弁なのである。それを理解してくれるエンジニアが一流なのだ。

万国共通語はオノマトペ

僕が海外のチームでレースをしはじめて久しい。幸いにしてモータースポーツ用語は万国共通の場合が多いから、言語で苦労した経験はそれほどない。日本で言う「テールスライド」は欧州では「サイドウェイ」、「ピットイン」は「ボックス」になる。米国ナスカーでは「アンダーステア」を「タイト」と表現し、「オーバーステア」は「ルース」だという。ナスカースペシャリストの福山英郎さんがそう教えてくれた。最近は「オーバーステア」を「フリー」と言ったりするそうだ。そうそう、そういったあたりを注意していれば、会話は成立する。
だが、ついついうっかり日本流にオノマトペで会話を成立させてようとすると、たちまちコミュニケーションが曖昧になるのだ。「コケコッコー」が「クックググルドゥ」の国である。ニワトリの鳴き声を何度聞いても「クックドゥドゥルドゥ」には聞こえない。蝉の鳴く音を「ミーンミン」と「ジージー」を使い分けている日本人にとっては、オノマトペを奪われると途端に困るのである。

特にオノマトペは、動きやタイミングを表す時に重宝だから、ついついその辺りに挟みたくなってしまうのだ。「グッとテールに荷重かける」であったり、「スパッとステアリングを切り込む」であったり、あるいは「ラインにピタッと添わせる」と使いたくなるのだ。
「テールに荷重かける」じゃ当たり前だし、「ステアリングを切り込む」はわざわざエンジニアに伝えることではない。「ラインを添わせる」では当たり前である。まったく困ったのはそのあたりである。

感覚こそ、モータースポーツの宝物

オノマトペを研究している明治大学の山口仲美教授が国語学会で発表した内容が新聞で紹介されていた。それを引用する。
「オノマトペの第2音節に「ぶ」が来るのは、いつの時代でも「水」に関する言葉だという。「がぶがぶ」「げぶげぶ」「どぶどぶ」「ざぶざぶ」「じゃぶじゃぶ」「しゃぶしゃぶ」…。なるほどである。

その意味では、モータースポーツ言語であるオノマトペは、濁点が多いいような気がする。
「タイヤがぎゃぎゃぎゃっとスキッドした」
「エンジンがグオングオンと吼えた」
「ミッションからガシャガシャと異音がする」
「ライバルにバコンと追突された」
濁点のオノマトペを用いると、がぜん臨場感が増すのだ。

楽屋では、ほとんど赤ちゃんのようにオノマトペが飛び交っている。

キノシタの近況

SNSやWebが充実しているために、読書の時間が減っているような気がする。かつてはあれほど書籍が山となっていたのに、最近は寂しい限りだ。基本的にはWebで情報を得る。一日数時間はネットの世界にいる。だからこそ、ときには書物に目を落としてバランスを取るのも悪くはない。YouTubeはじめました。チャンネル登録お願いしますね。「木下隆之channel CARドロイド」です。