レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

262LAP2020.2.26

昭和を駆け抜けたヒーロー砂子義一が、伝説になった

砂子義一氏が亡くなった。2020年1月3日のことである。ヤマハワークス・ライダーとして頭角を現しプリンス自動車に引き抜かれて4輪に転向。プリンス自動車のエースとして活躍の後、プリンスとニッサン合併後にはR380などの歴代のレーシングカーで勝利を積み重ねた。砂子義一氏のキャラクターは超絶であり、存在感を露わにした。これまで何度も砂子義一氏と接した経験のある木下隆之が、氏のファンキーな逸話を紹介する。

なぜレーシングドライバーになりたいのか…

たしかに、レーシングドライバーなどという人種は特殊だと思う。世にあまたある職業の中でスポーツによって禄を食もうと志す時点ですでに目線が彷徨っているわけで、挙句の果てに「自動車競争運転手」を目指したというのだから、それはもう、世間一般からすれば非常識な人種に見えても致し方あるまい。
よしんば、成り上がりを目指したとすればどこか合点がいく。世界の頂点を極めればモナコに豪邸が立つ。自分のヘルメットカラーと同色のプライベートジェットでパリでもマイアミでもコート・ダジュールでも巡ることができる。
だが、大金を稼ぎたかったら、ほかにも職業はあっただろう。ムシャムシャと音を立てて食べる動画を日々アップするだけでそれなりの金が手に入る時代だ。命に値札をつけるのもどうかと思うが、せっかく授かったひとつしかない命を賭けての対価としては考えものだ。いまさらながら自問自答してしまうのである。
レーシングドライバーを志した目的は、高収入なのか、虚栄心なのか、承認欲求なのか…。ただの負けず嫌いなのか…。至極真っ当に、クルマの運転が好きだったからなのか…。

本能の赴くままにプロの道へと吸い込まれていく

この御仁はどうやら、「モテたい」という一心でプロのレーシングドライバーになったのだと勝手に想像させていただく。
2020年の今年、松の内の1月3日に逝去された故・砂子義一氏である。
砂子義一氏は、1951年にヤマハのワークスライダーになった。その後プリンス自動車に誘われ4輪のレーシングドライバーに転向。プリンス・グロリアや54B型プリンススカイラインなどで活躍。あのR380での活躍は伝説になっている。日本のモータースポーツ黎明期に、トップレーサーとして国内外で暴れまわったのである。
じつは、その珍しい苗字から想像できるように、砂子義一氏のご子息が砂子塾長である。僕と砂子塾長は昨年コンビを組んでブランパンGTアジアに遠征したという縁で、砂子義一氏には何度もお会いしている。相棒の父親というのではなく、あの伝説のレーサーとしてである。
アルコールは一滴も受けつけないタイプだが、酒宴では誰よりも場を盛り上げる。歯に衣着せぬ物言いは豪放磊落で、突き抜けている。その小柄な身体のどこにそんなビッグパワーを秘めているのか、口をあんぐりと開けたまま魅入ってしまうほどの紳士なのである。
そんな砂子義一氏のエネルギーは、「女性にモテたい」との一心にあるのではないかと想像する。そんな言動には事欠かないのである。
そのあたりは、満井みさ子さんが筆をふるった「日本のモータースポーツ黎明期物語 砂子義一伝説」に詳しい。

僕が砂子義一氏に抱くイメージは、マーブル状態である。生きざまは石原裕次郎のように華やかでありながら、口調はどこかフーテンの寅こと車寅次郎の江戸弁と重なる。若い頃からオシャレだった砂子義一氏は晩年、ロシア帽に白ふちのサングラスがトレードマークとなっていた。ロシア帽をかぶった石原裕次郎が、寅さんのようなべらんめえ調で啖呵を切っている姿を想像してください。寅さん風の口調を思い浮かべながら読み進めていただけると、臨場感が得られると思う。

見返してやりたかった。それがプロへの分岐点となった

砂子義一氏は、最初からプロのライダーだったわけではない。大阪のスミダというバイク店で整備を学んだあと、ヤマハ発動機の工員として就職する。そこで転機が訪れる。
「大阪から浜松駅に降りたとき、ど田舎に来てしまったなぁ、とがっかりした」と言い、「当時流行のつま先がチョコレート色のコンビの革靴とコートを肩がけにして、颯爽と歩いていたよ」としゃれっ気を出す。
満井みさ子さんの「日本のモータースポーツ黎明期物語 砂子義一伝説」には、当時の様子が氏の言葉で語られている。
ヤマハ発動機で働いていた砂子義一氏は、旋盤が扱えるという理由で、ミッションのメインシャフトを削る仕事をしていた。
そんなある日の昼休みのこと、ライディングが得意な男たちが、バイクを後ろ向きに乗ったりと、曲乗りに興じていた。それが女の子にウケてキャーキャー言われていた。
「それが面白くなくてねぇ。アクロバチックなことは出来ないが速さじゃ負けないぜ、なんて啖呵切ったら、じゃあ勝負しようぜってことになってね」
その勝負であっさり勝ってしまった。それがヤマハレーシングチーム監督の耳に入った。プロのライダーとして誘われたというのだ。女性の目をモチベーションに、上り詰めていくのである。
「俺は地元の奴らと違って垢抜けていたから、当然モテていたわけ」
そんなコメントもある。

クビか?

1951年の「富士登山レース」250ccクラスで初出場したら優勝。瞬く間に目立つ存在になる。
「富士登山レースで優勝した褒美にヤマハからYC-1を貰ったよ。さっそく女の子を連れて走りにいったなぁ。白バイにわざとスピードを上げて挑発すると、女の子が、キャー!ステキ!と騒いでくるから無茶もした」 
モータースポーツ黎明期を支え活躍した孤高の砂子義一氏に対してこういってはなんだが、もはや頭のなかは女性のことで埋め尽くされていたに違いないのである。
昼休みのバイク競争に勝利したあと、総務課から呼び出されたときの心境はこうだ。「てっきりいろんな女の子と遊んでいたのがバレたのかと思った。呼ばれたとき『あの子のことか』って、クビになるのだと思ったよ」
そうも言うのだから、ギリギリスレスレの夜遊びをしていたに違いない。

寄席で江戸物語を語る噺家のような口調で…

十数年前のこと、砂子義一氏の武勇伝を聞くために、多くの若手ドライバーが集まったことがある。確か御殿場の居酒屋だったと思うから、ニスモフェスティバル出演の前日のことではなかっただろうか。
「スパ・フランコルシャンへの遠征は、どんなでしたか?」
僕等は、日本人が孤軍奮闘ヨーロッバに戦いを挑んだときの心境が聴けるのを待った。
砂子義一氏は1963年6月10日にマン島TTレースに出場している。翌月の7月7日にはベルギーに渡り、スパ・フランコルシャンのベルギーGPに参戦、ヤマハが投入した2台が1-2フィニッシュを演じた。そのひとりが砂子義一氏だった。
「いや、オレがね、バイクをね、こう深くね、傾けるわけよ…」
迫真の演技を加えるから、話に吸い込まれていく。
「するとだよ、スタンドで外国人のオネーちゃんがこっちを観てるわけよ。でもって、もっとバイクを倒しこむわけよ」
「名物コーナーのオールージュですね」
僕等は前のめりになった。
「そうそう、あぶないコーナーだね」
「そこで攻め込んだのですね」
「そうよ、もっとバイクを倒し込むわけよ。するとね、青い眼をしたオネェ〜ちゃんが、カッコいい〜って目をよこしてくるわけだ」
「観客席の女性がですよね?」
どんな質問に対しても、包み隠す事なく全てを伝えようとしてくれるのは確かだった。聴きたかったのはこっちではないのだが、むしろこっちのほうが面白い。

「跡継ぎが産まれて嬉しかったですか?」
その酒宴の席には、息子の砂子塾長も同席していた。
「生まれたときには可愛かったねぇ。それでね、長女がいるんだけど、二人目でね。あまりに可愛いからこれでもう打ち止めだって、パイプカットしちゃったのよ」
「えっ? 初耳…汗」
息子の砂子塾長も驚きを隠せない。
「言ってなかったかな。オネェ〜ちゃんをね、『二重で安心』って口説くわけよね」
そう言って豪快に笑うのである。
いやはや、英雄色を好むとは真実だと思う。男性たるもの女性にもてたいと願うのは正常であろうと思うしかない。

とはいいつつも、これほどの戦歴はただモテたいだけで得られるものではない。僕らの質問に女性とのエピソードを交えて答えてくれるのは、どこか照れ隠しのようでもあり本心のようでもある。

惜しまれつつ、この世を去った

「ル・マン24時間の経験はないんですか?」
国内外で活躍していたプリンスが世界に挑んでも不思議には思わない。記述には、R380での出場のためにサルテサーキットへ視察に行ったとある。
「ル・マンに出ればスターティングマネーが300万円貰えるって話になって喜んだんだけど、結局は流れちゃったなぁ」
淋しそうにつぶやいた。「悔しかったなぁ」の言葉が聞こえた。もしかしたら、日本人初のル・マン24時間出場ドライバーは砂子義一氏だったかもしれない。
僕のなかの砂子義一氏は、もっともストレートにレーシングドライバー像を演じ尽くした役者のような気がしてならない。その生き様は、まるで三流小説家が描く成功物語のように、まっすぐなのだ。嘘のように分かりやすいサクセスストーリーなのである。
日本の自動車産業が右肩上がりで急成長していった。そんな高度成長期を駆け抜けた希代のレーシングドライバーが砂子義一氏だったのだ。
こんな豪快なレーシングドライバーも珍しい。

砂子義一氏は2020年1月3日に逝去された。最後まで豪放磊落だった。
御冥福を祈ります。

キノシタの近況

YouTube始めました。この連載コラム「クルマ・スキ・トモニ」をもっと充実させるために、さまざまな企画に首を突っ込んでいくためです。動画では伝わらないことはこちらで綴っていきますよ。活字の力は無限大ですからね。動画が必要な場面ではYouTubeで紹介します。「クルマ・スキ・トモニ」共々「木下隆之channel CARドロイド」もご贔屓に願います。チャンネル登録、絶対によろしくね。

https://www.youtube.com/channel/UC29bQWYJ-Nlox3QMg8Nth2g