263LAP2020.3.11
佐々木朗希投手にみるレーシングドライバーの走行制限
レーシングチームの走行制限が始まって久しい。事前テストは制限され、レースウィークの走行時間も土曜日と日曜日だけである。それはチームにとって、コスト的には都合のいいことかもしれない。テストには多額の金が掛かる。出費を抑えられるからである。だが、走行を繰り返すことで成長する育ち盛りの若手ドライバーにとっては悩みの種である。この時期こそ、ひたすら走る必要がある。もっと走りたいと心の中で熱望しているはずだ。かつては身体がボロボロになるまで走る機会を与えられ、成長を自覚した木下隆之は考える。このシステムは本当にモータースポーツ界にとって良いことなのかと。
佐々木朗希投手が甲子園に行けなかったわけ
いささか旧聞に属する話題で申し訳ないが、2019年「夏の甲子園」岩手地区予選大会準々決勝で、高校生ながら160キロの速球を要する佐々木朗希投手の登板が見送られた。夢の甲子園を目指すならば、絶対的なエースである佐々木を連投させるのが定石だ。だが、監督は登板させなかった。その理由を、「総合的な判断」としたが、佐々木の肩の消耗を考慮しての判断だったであろうと想像できる。投げさせるべきか制限するべきか。侃侃諤諤、様々な意見が飛び交った。
高校大学で目覚しい活躍をし、鳴り物入りでプロの世界に籍を移しても、肩の故障により活躍できずに忘れ去られていく投手は少なくない。故障の原因が、若い頃からの「球の投げ過ぎ」だと指摘されている。それを回避するために、「投球制限案」が浮かびあがった。是非が問われているのである。
投球制限反対派の意見はこうだ。
「投げ込むことにより肩が作られていくんだ」
「高校野球はプロ養成カテゴリーではない。正々堂々と戦わせてやりたい」
「全員がプロを目指すわけではない。高校で燃え尽きてもいいと思う選手もいる」
「本人の判断を尊重する」
投球制限擁護派の想いはこうだ。
「肩は消耗品である」
「高校の春夏だけのために将来を潰させては可哀想だ」
「本人が本心を言える立場にいない」
真っ向から、意見が対立しているのだ。
もっとも深読みするとこうだ。
投球制限をさせた場合、相手投手の球数を増やすためのバッティングが増える可能性がある。規定投球数を越えさせて降板に導く為である。
バットを短く持ち、バックスイングを抑え、ストライクかボールか怪しい球をカット打ちしてファールを誘う。粘ったあげく、最終的にはフォアボールで出塁を得るのだ。
バントよりはやや大きくスイングしているから、審判も「3バンド失敗」を宣告しづらい。だが、あきらかにファール狙いの打席は高校球児の爽やかさとはかけ離れている。出塁率は異常な数字に達するから、チームとしては戦力になる。小粒のバッターを増産するには都合が良いかもしれないが、華やかなホームランバッターにとってはアゲインストだ。ひいては、プロ野球人気にも影響するのである。
といったように、投手の投球制限が打者のバッティングスタイルにも影響し、プロ野球界の将来へも話が飛躍するのである。一人の投手だけの問題ではなくなるのだ。
わずか数周で本番を迎える
いささか前置きが長くなったが、そんな佐々木朗希選手の投球制限の記事を見直していて、レース界の走行機会の減少と思いを重ね合わせてしまった。育ち盛りの若手ドライバーに、充分に走る機会を与えているか…である。
2005年あたりから、チームの走行規制の議論が始まったような気がする。今ではスーパーGTやスーパーフォーミュラといったトップカテゴリーでさえ、走行が許されているのは週末の限られた時間だけだ。
例えばスーパーGTの公式のテスト走行時間は、土曜日の1時間30分程のフリー走行だけである。その限られた時間を2名のドライバーでシェアすることになる。翌日の決勝日は、スタート直前に20分のフリー走行があるだけだ。あまりにも少ないのである。
2時間にも満たない走行時間を、チームは1分1秒を惜しんで活用せざるを得ない。マシンセッティング、タイヤの消耗や燃費等のデータ採りなどテストメニューはぎっしり詰まっている。その中でドライバーは習熟しなければならない。それでも一般的には経験のあるエースがメインでテストを担当することが多い。つまり、若手のドライバーが走行できる時間はほんの僅かなのである。
事前のテストも制限されている。若手の彼等は、ほとんどぶっつけ本番であれ程のパフォーマンスを披露していることになる。恐ろしいほどの才能だと言わざるをえない。
ただし、だからといって日本のモータースポーツは安泰だとは思えないのだ。あれ程の才能が見出されているとはいえ、分母が限られている。経済的に裕福な人だけに階段を上るチャンスが与えられ、その中の、ほとんど練習をしなくてすむ、もしくは幼少期に飽きるほどカートで走りこんだドライバーしか日の目を見られないのである。経済的には恵まれず、幼少期にも走り込みができず、だが成人になってから頭角を現してきた遅咲きの若手には絶対的に走行機会が必要なのに、そのチャンスが封印されていることを憂う。
繰り返し走らされることで成長したあの頃
僕が若い頃は、走行機会は無限にあった。走行制限などはなかった時代だから、予算を潤沢に抱えているチームは際限なくテストを繰り返した。
スーパー耐久の前身であるN1耐久は、通常であれば水曜日から走行が開始された。ワークスチームは火曜日から走行を始めることもあった。火曜日から木曜日まで、毎日4時間以上の走行機会が与えられたのである。公式プログラムは金曜日からである。レースが始まる頃には、体はクタクタに疲労していた。コースを飽きるほど走行し、あらゆる走り方にトライし尽くし、完璧な状態からスタートしたマシンが性能低下するまでの挙動も、そのためのドライビングも経験することができたのだ。
コンビを組む若手にも都合がよかった。よしんばベテランの先輩ドライバーがセッティングやその他もろもろのデータ収集を担当したとしても、そのあとの耐久テストや燃費テストは若手にゆだねられる。エース格のベテランよりも、新人の若手のほうがたっぷりと走行時間を得られた。ドライビングを習得するには恵まれていたのだ。
僕は環境的に恵まれていた。当時日産が参戦していたWRC(世界ラリー選手権)用のパルサーGTI-Rの開発を仰せつかっていた。陽が落ちた夜の8時頃から走行を開始し、夜が明けた早朝6時頃に終わる。それが月曜日から金曜日までの5日間続いたのだ、テストが深夜なのは、発売前のテストマシンだからである。テストコースは、とある山の中である。つまりダート走行だ。
身体はボロボロになった。だが、マシンをスライドさせ続けることで、コントロール能力が身についたと思う。いつ何時どんな状況でマシンがスライドしても冷静に対処できるようになったのは、この身体がボロボロになるまで繰り返したテストのおかげだと思っている。
土曜日の早朝にラリーテストが終わって、そのままホテルで爆睡する。チームはマッサージ師をつけてくれることもあった。テスト走行後はそのまま延泊が許されており、日曜日の午前中にサーキットに移動、そこでもまたテスト走行スケジュールが組まれていた。
WRCパルサーの開発テストが終わり、そのまま帰宅せずにサーキットに移動、そこでたっぷりと三日間N1耐久スカイラインGT-Rのテストをこなし、その足でグループA仕様のスカイラインGT-Rのテスト三昧である。そんな地方テストが終わるとまた、山中でのパルサーGTI-Rのテストが5日間続くという事もあった。どれだけ走るのか…というほどの走行距離である。
僕の先輩は、こういって両手を掲げてみせた。
「年間200日は走っている」
小粒なドライバーになりやしないか?
走行時間の制限は、ドライバーが育つ機会の損失である。だがそれだけではなく、投手の投球制限が野球チームを小粒なプレーヤー集団にしかねないように、モータースポーツ界にとっても危険な風潮のような気がしてならないのだ。
土曜日に2時間以下の走行しか許されないとする。与えられた走行時間にはスピンアウトは許されない。チームにとって大切なテストメニューが消化できないばかりか、ドライバーがマシンに慣れる時間を失うからである。よって、限界手前の無難なドライビングに留めたくなるのはドライバーの心理だ。それが消極的なドライビングスタイルに陥らないのだろうかと危惧するのである。
幸いドライバーの身体は、投手の肩のように消耗品ではないようだから、体力の続く限りテストを繰り返しても損失はない。であれば、走行機会を増やしてあげても良いのではないかと思う。
そもそも論でいうならば、走行制限は経済的な理由による。かつてのようにテスト走行を無制限にしてしまうことにより、資金的に潤沢なチームが有利になり、低予算をやり繰りするチームは勝利の権利を失う。資金力が有利不利にならないための措置が走行制限なのである。
モータースポーツ界は悩ましい課題を抱えている。それは重々承知である。だがそれにしても、少な過ぎる。もはや「遅咲きドライバー」など生まれる時代ではなさそうだ。
キノシタの近況
関東地方に春一番が吹いた。春の訪れである。新型コロナウイルスの猛威にさらされている昨今だが、世界の医薬関係者が必死に新薬を開発してくれているに違いない。いずれ収束するはずだ。そのための充電期間と思うと気が休まる。温かい春の陽の光が、そう信じさせてくれたような気がした。