レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

265LAP2020.4.8

現地観戦で得られる興奮とは…

前回の264LAPで「無観客レース」に関して考察した。僕のチームには熱い応援団がいる。新型肺炎の影響によるレースの延期に次ぐ延期で嘆き悲しんでいるのは、走る僕らだけでもチームだけでもなく、いつも足繁くサーキットに通ってくれる応援団とて同様なのだ。それを綴ったコラムの反響は凄まじく、さまざまなコメントが寄せられた。そこで改めて感じたのは、モータースポーツが五感に訴えかけるスポーツであるということだ。

鼻、耳、肌…

「やっぱり匂いが好きです。 タイヤの焦げる匂い。オイルの匂い。匂いがたまりません」
国内外問わずレースに足を運んでくれるTeam Studie応援団から、こんなメッセージが届いた。サーキットを訪れては、施設の隅々まで歩き回り、レースを全身で楽しんでいるからこその感動だ。いつもの満面の笑顔が想像できた。
現場でレース観戦する理由を、スピード感とする応援団もいた。
「画面で観る速さと、現地で観る速さは段違いです。望遠レンズで流して映していると迫力に欠けますよね。やっぱり現場ですよ」
そう断言する。自らもステアリングを握ってドラテク向上に励む御仁ならではの感想であろう。
「エンジンサウンドやタイヤやオイルの匂いだけでなく、現場では、周回ごとに贔屓のチームと前後のマシンとの位置関係が分かるのがいい」
そう言う仲間もいた。テレビでは網羅できない詳細なレース展開も、サーキットという現場では把握できるのだ。
「実況に対してのスタンドの盛り上がりもいいですね」
それこそ、ビッグフラッグをはためかせ、スタンドでレースを観戦するからこその醍醐味である。ピエール北川の掛け声に、観客が一体感を高めていく様子が想像できた。
「ピットの緊張感や、スタッフの表情や仕草も好きです」
さらにこうも付け加える。
「風の温度変化や雨の匂いも、現場ならではの醍醐味です」
その詩的な感覚には感心する。そういえば、風にも温度があって、雨にも匂いがあることを久しく意識していなかった。
「気持ちがひとつになる感覚。現地に行かなきゃ感じられないことばかり。一度現地でレース観戦したら、虜になりました」
モータースポーツは五感に響く要素に満ち溢れている。それは耳で爆音を聞き、鼻腔でオイルやタイヤの焦げる匂いを嗅ぎ、肌で風や空気の温度を知る。そしてさらに、ハートで一体感を得るのだ。人間は、感覚に鋭敏な動物なのである。

得体のしれぬ感動が

かつて、アメリカ最大のモータースポーツであるNASCARを観戦したときのことだ。20万人が押し寄せたオーバルトラックレースのグランドスタンドで僕は、今まさに始まろうとしている高速バトルを待っていた。
「スタート・ユア・エンジン」
ゲストスターの掛け声を合図に、43台のストックカーのエンジンが一斉に目覚めた。フォーメーションラップが開始された。スタートフラッグが振られた。すべてのドライバーがスロットルペダルを床まで踏み込んだ。すべてのV型8気筒が唸りを上げ、3ワイドを形成したまま、僕の目の前を駆け抜けていった。その瞬間、なぜか理由のありかがわからないまま涙が溢れ出た。ただマシンが目の前を通り過ぎただけだというのに、僕の涙腺は刺激され、弛み、とめどなく涙が零れ落ちたのである。
感動はもはや、左脳を無視して直接ハートに響いていたとしか言いようがない。いまだに涙の理由は不明だ。だが、あの時の興奮は体に残っている。人間って不思議なものなのだ。

サーキットは匂いに溢れている。応援団が指摘するように、高温になったエンジンオイルが焼け焦げる匂いは芳ばしい。ミッションやデフのオイルは甘い匂いがする。ゴムの焦げる匂いは、ツンと鼻につく。僕らは鼻腔で匂いを嗅ぎ分け、レースをしているのだ。
爆音は耳に心地いい。そう感じるときは、エンジンのコンディションが整っているときである。サラブレッドが機嫌良く空に向かって嘶くように、冷気をたっぷりと吸って高回転で回るエンジンは気持ち良さそうだ。そんなときにはたいがいベストタイムを記録する。

NASCARの名物サーキットである「タラデガ」は、超高速オーバルとして名高い。380km/hオーバーの高速バトルは迫力満点である。ビッグパワーのマシンが疾走すると、グランドスタンドが地響きを立てて揺れる。43台の重量級マシンがアスファルトを踏みしめ、バンクに体当たりをし、熱狂したファンが総立ちになる。そのフォースがアメリカの大地を揺らすのだ。足の裏で感じるバイブレーションも、レースを現地で観戦することの喜びのひとつかもしれない。

モータースポーツこそ、ライブが一番

そう考えてみると、モータースポーツは現地観戦に適したエンターテインメントであることが理解できるような気がする。たしかに、レース展開をデジタルに分析するにはテレビやネットは効率が良いのかもしれない。しかし、匂いや音やバイブレーションを感じることが現地観戦の大切な要素であるとするならば、マシンが耳をつんざくほどの爆音を響かせ、地響きのように大地を揺るがすモータースポーツが、他のスポーツに決定的に勝るのはそこだろう。 
2020年は新型肺炎の影響で、レースが次々と延期になっている。まだ開幕戦も迎えていないのである。ただし、中止ではなく、延期であることが唯一の救いだと言えよう。地響きに身悶え、爆音に涙を流す日が、少しあとにずれ込んだだけである。いずれ終息するそのときには、たっぷりと楽しんでいただこうと思う。

Team Studie応援団のひとりは、こう言ってサーキットでの現地観戦の魅力をつけ加えた。
「グランドスタンド裏の、屋台から漂ってくる食べものの匂いもたまりませんね」
サーキットのすべてがモータースポーツなのだ。マシンもドライバーもメカニックもマネージャーも、そして大切な応援団も…。
五感のすべてを研ぎ澄ませて待っていてもらおうと思う。

キノシタの近況

濃厚接触を避ける意味もあって、新幹線での移動を控えている。もともと300km圏内はクルマ移動主義者なのだが、それに大義名分を得たような気がする。先日も、事務所のある横浜から愛知県豊田市のトヨタ総本山までクルマ移動だったし、上越妙高のロケハンも、往復800kmをクルマで日帰りした。やっぱりクルマは素晴らしい。