レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

267LAP2020.5.13

外出自粛だからこそのモータースポーツ

新型コロナウイルスの猛威は、世界の経済にも強く影響を与えている。多くの経済活動は途絶え、それとともに芸事に関するエンターテイメントも徹底的な打撃を受けた。人と人との接触が考えられるイベントは中止、あるいは延期に追い込まれた。モータースポーツも例外ではなく、ほとんどのレースが延期もしくは中止になった。木下隆之のレースもいまだ開幕戦の目処は立たず、世間と同様に外出自粛の日々だという。
とはいうものの、モータースポーツ人の生命力は強い。リアルモータースポーツに参加、もしくは観戦できないのならば「ミニカーがあるぜ」と、アトリエさながらの自室で缶ビールを呑みながら夜な夜な作業をしている木下隆之の知人がいる。玄人はだしの作品を日々、Facebookにアップしてくれている。木下隆之も自粛の日々、その作品に一服の清涼剤を求めたという。

自宅でも臨場感たっぷりに…

新型コロナウイルスが猛威を振るう最中、いかがお過ごしだろうか。ウイルスに感染した方にはお見舞い申し上げます。健康に留意されている方、もう少しの辛抱です。気を緩めることなく、まだしばらくは徹底して外出自粛を続けていただきたい。
レースの開幕戦はまだ開催の予定が立たず、モヤモヤしている人も少なくないはずだ。だが、笑顔で会える日を楽しみに、みんなで乗り切ろうと思う。
ただし、ストレスがたまるのも事実。僕はこれまで30数年間、空かすことなくサーキット走行を続けてきた。これほど走りから遠ざかったのは初めてのことである。体の中の速度を欲する細胞が、日々ザワザワとうごめいている。おそらく多くの人が、欲求の捌け口を求めて彷徨っているに違いない。
そんな外出もままならない日々の中、趣味に没頭することで精神的なコントロールを巧みにやってのける人も少なくない。多くの方のSNSに目を通すと、外出自粛だからこそ、これまで知らなかった趣味に集中することで精神的なバランスを整えている人をみかけるのである。そういった柔軟性と生命力のある人は素晴らしい。

チーム監督としてのプラモデル

三菱ランサー・エボリューションでスーパー耐久を戦っていたころのチーム「テスト&サービス」。その山田基裕監督の趣味が凄すぎて腰を抜かしかける。僕よりも数学年上の先輩である。
スーパー耐久では、数え切れないほどの勝利とチャンピオンを僕にもたらしてくれた。史上初のクラス2総合優勝も記憶に鮮明だ。リアルレーシングでの采配は見事だった。一方で監督という立場なのに、走行が終わればメカニック用のツナギに着替え、自らスパナを握る姿を見かけている。
その山田監督は勇退した今、自身の趣味に勤しむ日々を過ごす。驚くほど手先が器用なようで、日々モデルカーを制作する様子と技量は、Facebook (https://www.facebook.com/yamada.motohiro)で作品の進捗状態が日々アップされているから、そこで確認していただきたい。「いいね!」もよろしくお願いします。リアルマシンの戦闘力を高める技術を持ちながら、プラモデルを組み立てるセンスには脱帽だ。感心して開いた口が塞がらないのである。
手先が特別に器用なことは、以前から薄々感づいていた。ただ、これほどのレベルに達しているとは思いもよらなかった。ほとんどプロのモデラーである。

改造すら朝飯前だ

プラモデル製作を趣味にする人は少なくない。だが、ここまで徹底して没頭する人となると珍しい。市販のプラモデルを塗装し組み立てるのなら想像の範疇だが、それを超越して、自らモディファイしてしまう。市販化されていないのならば、カッターやペンチを器用に操りながら、自作してしまうのだ。
Facebookから想像する限り、製作中のモデルカーの傍らに缶ビールがチラチラ見え隠れしているから、ビールを飲みながら作業をしていることは明らかだ。ほろ酔い加減でカッターを走らせている様子を想像すると微笑ましい。不要不急の外出が規制されている今、自宅での時間をこれほど有意義に楽しみに変えている御仁も珍しい。実にうらやましいのである。

玄人はだしゆえに…

実は過去に、山田作品を集めた写真集の出版を提案したことがある。だが丁重に断られてしまった。
「いや、実物は見せられないほど下手なんだよ」
「そんな謙遜を…」
「写真撮影でごまかしているだけだよ」
せっかくの出版企画なのに、頑として首を縦に振ってくれなかった。
僕から見れば、プロのモデラーと比べても遜色のない仕上がりである。Facebookのコメントを見ていると、そのレベルの高さがわかる。
「これは実車ですか?」
「いえ、24分の1スケールですよ」
フォロワーの目を欺くほどの仕上がりなのだ。だというのに本人は謙遜する。

人形に命を…

山田作品はジオラマにも及んでいる。レーシングカーだけでなく、それにまつわる人物も精巧に組み上げるのだ。マシンを整備するメカニックやヘッドセットを耳に采配を振るチーム監督、あるいはチームに華を添えるレーシングクイーンなどが人形となり添えられることも少なくない。それらは自分が納得するように、細部には自身の手を加えているに違いないのだ。
「表情が違うので、自作してみました」
そんなコメントが添えられることもある。
山田作品に登場する人形は、今にも動き出すのではないかと錯覚する。プラスチックの人形なのにイキイキとしているのは、製作過程で魂が込められるからに違いない。自らがモータースポーツの最前線に立ち、采配を振り、数々の勝利を得てきたからできることであろう。
時には、レースを見守るスポンサーのような人物が人形となって添えられることもある。メカニックやレーシングドライバーの人形ならばこれまでも見たことはある。だが、スポンサーとなると稀である。そのうえスポンサーにしか漂わぬ独特の雰囲気が描かれているのだから恐れいる。まさにリアルな世界で戦ったものにしか描けない世界観が渦巻いているのだ。

こだわりは生命感にあった

「山田監督、いつ頃から没頭し始めたのですか?」
今回の記事化にあたり、そう取材してみた。
「昔から好きだったんだけどね、ただ、数多く作り始めたのは、チーム監督を始めた頃からかな? 結果を求められる仕事からの現実逃避という感じだよね」
そう言って笑う。
あれほど勝利を積み重ねていながらも葛藤があったのだ。あるシーズンでは、参戦した全戦でポールポジションを獲得し、そのすべてのレースを優勝で終えている。史上稀な完全制覇である。ドライバーがミスさえしなければ絶対に勝てるマシンを与えてくれたし、完璧な采配で勝利に導いてくれた。あたかも当たり前のようにそんな偉業を成し遂げていながら、現実逃避していたなど今日になって初めて知った。
「もう100台以上作っていますよ」
「それは凄い」
「1960年代から1970年代のプロトタイプカーが多いよね。コンピュータグラフィックで作られた今のレーシングカーと違って、当時のマシンはデザイナーの感性が息づいていて大好きなんだ」
そうこだわりを口にした。
確かに山田作品には、往時のマシンが頻繁に登場する。そしてその作品のすべてが、往時にサーキットに響いたであろう割れるような観客の歓声や、耳をつんざくようなレーシングカーの爆音が轟いてくるかのようなのだ。
ただ一つ山田作品がリアルと異なるのは、缶ビールを飲みながら現実逃避で製作されたことによる、どこか暖かい温もりが感じられることだ。ピリリと緊張感のある作品の中にも、ホッと気持ちを和ませる優しさがある。外出自粛が続く今晩、山田作品を観ながら僕も缶ビールをプシュッとするのも悪くはない。

キノシタの近況

早朝の人気のいない時間帯を狙って、リアルバイクを漕いでいます。開幕戦への準備は整えています。皆さんもご自愛くださいね。もう少しの辛抱です。みんなと笑顔で会える日を楽しみにしています。