268LAP2020.5.27
2021年のニュルブルクリンクでは、僕の友達が待ってくれているはずだ
1989年からニュルブルクリンク24時間レースに挑戦し続けている木下隆之にとって、新型ウイルスの影響による2020年のレース延期は辛いものだったに違いない。日本人最多出場を誇り、日本人最高位記録を保持している木下隆之にとってニュルブルクリンクは、もっとも熱くこだわる聖地だからだ。 主催者の公式発表によれば、9月に日を変えて開催されるという。だが、多くのチームが参加を見合わせる可能性が高い。TOYOTA GAZOO Racingも2020年の参戦を見送り、2021年の参戦を目指し、計画の練り直しをすると発表した。木下隆之の9月参戦は未定だが、ともあれ、ドイツで待つ友人との再会に思いを馳せる。
30年を超える参戦の積み重ねの中で…
この連載コラムのアップ予定だった5月13日は、本来ならば翌週に控えたニュルブルクリンク24時間レースに備え、身も心もソワソワと落ち着きのない日を過ごしているはずだった。
だが、今年はずいぶんと趣が違う。新型コロナウイルス危機の煽りを受けて、2020年春のニュルブルクリンク24時間レースは中止になった。そのことで、僕の心にはポッカリと穴が空いた。気の抜けた、自堕落な日々を過ごしている。
ウイルスに端を発した未曾有の危機は、いずれ終息するはずである。今、世界がひとつになりつつあり、医療に携わる優秀な人々が、有効な薬を開発し感染防止にアイデアを注いでいるからだ。明けない夜はない。だから2021年はニュルブルクリンク24時間レースが華やかに開催されているに違いない。
だが、2020年のレースが中止になったことは、長い歴史の中の一回が中止になったというだけでなく、もっとも深い傷跡を残す危険性がある。その後の歴史を歪めやしないものかと気を揉むのである。
TOYOTA GAZOO Racingドライバーとして
僕にとってのニュルブルクリンク24時間レースは、レーシングドライバー木下隆之としてのライフワークであり、モータースポーツに携わることの意義そのものになった。
1989年に日産と共に初挑戦し、世界の広さを知った僕はニュルブルクリンクに魅せられた。あれから30年を超えても、その情熱を失わないでいる。日産に始まりファルケン、ホンダ、トーヨー、トヨタとファクトリーチームの中で移籍を繰り返してきたのは、必死にニュルブルクリンクという巨人にしがみついてきたからだ。途中、諸般の事情により、席を外すシーズンもあった。2018年と2019年はプランパンGTに専念するために、いっときの欠席をしている。だが、ニュルブルクリンクへの熱い気持ちが一瞬たりとも薄れたことはない。
オペルマンタに敬意を評して
現地には、僕のようにニュルブルクリンクに魅せられ、レースへの参戦をライフワークにするメンバーがたくさんいる。1981年式のオペルマンタ400を駆り、いまだに参戦を続けているチームは、もはやニュルブルクリンクの名物であり看板である。レギュレーションでは認められない年式にもかかわらず、ファンの熱い要望と主催者の温情により、レギュラーシートを得ている。
「今年も速そうだね」
僕はそう言って、マンタが並ぶグリッドに行くことがある。すでに多くのファンが取り囲んでいる。それを掻き分けて表敬訪問するのが習わしになっているのだ。
TOYOTA GAZOO RacingのレクサスRCで参戦している頃には、一周のラップタイムが近似していたから、グリッドが隣り合わせになることも少なくなかった。
それにしても凄いのは、アンテナにくくりつけたフォックステールが、24時間を通じて外れたり引きちぎれたりすることがないことである。
「何故ちぎれないんだ?」
「ノウハウがあるからね(笑)」
確かに、歴史の積み重ねがないとこうはいかない。
お互いの成功を祈りながら握手をした。
彼らはニュルブルクリンク24時間レースを待ち望んでいるはずである。そしてそれ以上に多くの観客が、最後までちぎれずに走りきるフォックステールの完走を楽しみにしているに違いない。2021年の再開では、スターティンググリッドにその尻尾のついたアンテナをヒラヒラさせていることだろう。
プジョーの君へ
いつもプジョーで参戦しているチームがある。そのチームとも十数年来のニュルブルクリンクの友人関係を続けている。
きっかけは感動的だった。スカイラインGT-Rで参戦していた僕は、最終ラップでマシントラブルに見舞われ、レーシングスピードを失った。ゴールラインまで3kmを残して、満足に走らぬマシンをトロトロと転がしていたのだ。到底ゴールまでその余力は持ちそうもなかった。
「23時間55分も走ってきて、ゴールできないのか…」
今にも止まってしまいそうな速度で這うようにして、必死にゴールを目指した。だが、おそらく完走はできないのだろうと覚悟を決めていた。
だがその時、一台の救世主が現れた。プジョー306の小さなマシンが僕の背後に回り、バンパートゥバンパーで僕のマシンを押し始めたのである。バックミラーに目をやると、プジョー306のドライバーは小さく親指を立てた。ゴールまで導いてくれるというのだろう。
500馬力を炸裂させる重量級のスカイラインGT-Rは、およそ130馬力ほどのプジョー306の力を借りてゴールラインを横切った。感謝の気持ちに溢れたことは言うまでもない。それ以来ニュルブルクリンク24時間レースが始まると、そのプジョー306のドライバーが僕のピットに訪ねてきてくれることが恒例になった。
「今年もやってきたんだね」
「あの時は、ありがとう」
「速そうなマシンだね」
「今年は勝てそうな気がするよ」
「僕たちはまだプジョーで戦っている」
「そうか、だったらまたバンパートゥバンパーで助けてもらわなければね(笑)」
「最終ラップ、君を探すことにするよ(笑)」
そんな会話をするのも恒例になってしまった。
名も知らない友へ
ノルドシュライフェ約6km「フックスレーレ」。付近の観客席に、いつも日産旗を降り続けているファンがいる。僕が日産スカイラインGT-Rで戦っていた頃からの、名前も所在も知らぬ友人である。彼らはコースの脇でキャンプを楽しみながらレースを観戦してくれている。フックスレーレは、彼らの定位置である。
「今年はレクサスなんだね」
「ああ、日産が欠場したからね」
「それでも応援はするよ」
「ありがとう」
「どこに移籍しようが君は僕の友達だからね」
そんな彼らとの心の交流は、今でも続いている。
観客席にも、心の強いつながりのある仲間がいる。
ノルドシュライフェ約16.5km地点「シュワルベンシュワンツ」の外側に、ファルケンの旗を掲げている応援団がいる。かつて僕がファルケン・スカイラインGT-Rで参戦していた頃からその旗は目につくようになった。
と言っても我々のチームとは無関係であり、特に交流もなかった。ツーリングカーの聖地であるニュルブルクリンクでファルケンの応援団は少数派である。日本のクルマに日本のタイヤを履いて戦うチームは稀有な存在である。それを応援する観客も珍しい。
だから僕らは、レースが進むにつれて気持ちを通じ合っていくことになる。シュワルベンシュワンツを通過するごとに、彼らは僕に手を振ってくれるようになった。それはレースが進むにつれて熱狂的になっていく。それに僕もパッシングライトで返事をする。結局僕らはフェンスを隔てた内と外という関係を超えることはないのだが、毎年ニュルブルクリンクを訪れ、一周目に彼らを確認することにしているのだ。
そしてそのたびに彼らは僕に手を振ってよこす。
「おかえり」
「ただいま」
僕だけがわかるアイコンタクトだ。
キノシタの近況
在宅が続きながらも、必死に体を動かす日々である。いつレースが再開されても戦闘態勢にいられるように、体だけは鍛えているのだ。新型コロナウイルス禍が終息し、レースが再開し、その1周目を想像するとワクワクするよね。その日のために日々、エアロバイクを漕いでいます。もうちょっとの辛抱です。皆様もね。