レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

270LAP2020.6.24

度胸があるのはレーサー? ラリースト?

レーシングドライバーとラリースト、どちらが勇猛果敢なのかの議論をしていたら、話はあらぬ方向に進み、満場一致で結論を得た。モータースポーツには様々なカテゴリーがあり、それぞれに個別の特性がある。だからそれらを一概に平たく並べて勇者を決めるなど不毛の議論なのだが、あ〜でもない、こ〜でもないと議論しているのは楽しいものだ。
かつてはダートラを戦い、ラリーの経験もある木下隆之が語る。

高速移動するレースこそ…

話の発端は、僕と個人的な付き合いもある後輩ラリーストとの会話だった。
「つくづく、ラリーストはクレイジーだと思うよね」
「何をおっしゃいますか、レーシングドライバーの方が頭のネジが切れていますよ」
「いやいや、ラリーストだよ」
「そんなことはありません、断然レーシングドライバーですよ」
こんな立ち話に火がついて、議論は発展していった。
後輩が「レーシングドライバー勇者説」を唱える理由は、その速度域にある。時には300km/hオーバーの速度で駆け抜けることがクレイジーだというのだ。
300km/hでは1秒で84m進む。ゆっくり瞬きしていたら、その間に約100m先の場所に移動しているのである。という教習所の教本に書いてあるような文言を持ち出さずとも、300km/hの世界がとてつもない移動速度であることはわかる。これは瞬間移動に近い。
「だけど、隣の人も300km/hの速度で移動しているからね」
僕らがあまり、その尋常ならざる高速の世界を取り立てるほどのことに思えないのは、300km/hの移動体から見れば、真横を走る300km/hの移動体との速度差はゼロだからだ。
カフェで彼女の瞳を見つめているのと違いはないのである。
という話をすると、「だからクレイジーなんですよ」と目を大きく見開く。
「だって、コンクリートフェンスとの速度差は300km/hですよ、その速度域でコントロールを失ったら、ひとたまりもない。それなのに平気な顔をしてアクセルを踏み続ける。これがレーシングドライバー勇者説の根拠です」
なるほど、言われてそれも納得する。
「特に、木下さんのように、毎年好んでニュルブルクリンクに挑んでいるなんて、クレイジーに他ならない。暗い森の中を高速で走る。そこで何かあったら崖下ですよ」
「たしかにニュルブルクリンクは危険だと思う」
「でしょ?」
「だけどね。僕はクラッシュしないから…」
「だからその考えがクレイジーなんですよ」
 そういって彼は笑った。

小林可夢偉より客室乗務員

「でもね、ラリーストもちょっとおかしいと思うよ。たしかに最高速度はサーキットのレースの方が高いかもしれないけど、速度は危険とは比例しないと思うんだ」
「その理由は?」
「速い方が怖いというのならば、380km/hで走るTS050より、ボーイング747の方が怖いということになる。つまり小林可夢偉よりも、旅客機の客室乗務員の方が命知らずだということになる。時速900km/hで移動しながら、「ビーフ? オア チキン?」だなんて言っていられるんだから、彼女たちこそ勇者となってしまう。しかも地に足がついていないんだぜ」
「それは屁理屈というものです」(笑)
返す言葉がなかった。
とはいうものの、ラリーの速度が相対的に低いから正常だという気にはなれない。知らないコースに初見で、アクセル全開で挑むのが信じられないのだ。
われわれレーシングドライバーが参戦するレースは、徹底的に頭にたたき込んだコースを正確になぞる競技と言い換えることもできる。300km/hだろうが500km/hだろうが、ここでブレーキングを開始すれば止まり切れることを確認してから走る。だけどラリーストは、こんなものかなといった曖昧な感覚で走れることが驚きなのだ。
「それは慣れですよ」
「慣れてしまうことと、頭のネジが切れているのは同意だと思うけれどね」
「キノシタさんも慣れているでしょ」
「たしかに、もう速度に麻痺しているかもしれないな」
「ほら、クレイジーなんですよ」

ドライビングスタイルの違い

僕もラリーを経験している。と言っても入門用のTRDラリーチャレンジなのだが、トロフィーをいただいたこともある。そこで感じたのは、先の見通せない、初めて走る道を攻め続けることの凄さである。
「技術的な話をしますとね、僕らラリーストは常にクルマを滑らせている。それは、いつ何時でも挙動に対応できるように準備をしているのです」
「なるほど、たしかにラリーストは常にマシンをスライドさせている」
「釈迦に説法ですが、先のコーナーが深ければ、スライド量を増やせばいい。タイヤを常に滑らせることで安全を担保しているのです。だから怖くない」
たしかにスライドしさえしていれば、いつ何時でも柔軟に対処することが可能だ。
「なのにレーシングドライバーは、タイヤのグリップを最大限に発揮して綱渡りをしている。それで縁石ギリギリを攻める。もしその時にちょっと挙動が乱れたらクラッシュですよね。それが凄いんですよ」
なるほど、限界ギリギリを彷徨わせるのは難しい。そしてそれをミスするとクラッシュに直結する。そのゾーンに危険が潜んでいると言えなくもない。

有視界走行

ラリーに挑戦していたころ、僕のタイムには波があった。というのも、コースの下見、つまりレッキをこなしてはいるものの、最初の1トライ目のタイムが悪いのだ。同じコースを使った2トライ目はベストタイムを記録する。つまり、1トライ目はコースがわからないから及び腰のドライビングになる。だが2トライ目はコースが頭に入っているから踏んでいける。それがタイムの波になって現れていたのだ。
「木下さんは、全日本ラリーで戦った方が勝てるかもしれませんね」
「根拠は?」
「全日本戦は、レッキの後に3トライが許されるんですよ。つまり、コ・ドライバーの読み上げるペースノートを信じて走れないから1トライ目は速くない。だけど、コースを知れば速くなる。3回トライできる全日本戦の方が、木下さんには合っていると思うのです」
なるほど、世辞だとわかっていても嬉しいものだ。
たしかにペースノートを信じることはできなかった。自らのドライビングで試走し、ペースノートに走り方を記載する。だが、いざスタートしてからも、コ・ドライバーが読み上げるペースノート通りに走る気になれないのだ。
「この先高速コーナーです。4速全開です」
そう指示されても、本当かなぁ〜と疑ってしまう。結果的にきっちりブレーキングで3速にシフトダウン、恐る恐るコーナーを曲がる。曲がり終えて改めて後悔する。
「4速全開で、行けたじゃん」
「でしょ」
僕らは自らの目で見たことのみを信じた「有視界走行」しかできないのである。
「それは、自分を信じることですね」
「何度も人生を踏み外している自分を信じろと?」
「それはどうだか…(笑)」
「じゃ、他人を信じてください」
「それはもっと、できない。何度も裏切られてきた」
「でも、コ・ドライバーは、ドライバーを信じてくれていますよ」
「それが信じられない」

なにが凄いって、高速でカウンタージャンプしているマシンの助手席で、膝に抱えたペースノートを冷静に読み上げているコ・ドライバーだ。その精神構造が想像できない。正常な人ならば、恐怖に慄き、きゃーって泣き叫んでも不思議ではない環境である。クラッシュの危険性があるという意味では、ジェットコースターの数倍の恐怖である。というのに、沈着冷静に「次は4速全開で」なんて指示できることが信じられないのだ。
しかもペースノートに目を落としながらだから、ほとんどコースを見ていない。派手なドリフト中に、小説にでも読み耽っているかのような不動の精神なのだ。
「僕と組んでるコ・ドライバーは、精神的にタフなんです」
「どんな風に?」
「ブラインドコーナーで5速全開を指示するんですが、僕はちょっと躊躇したことがあった。その時、助手席で叫び声がしたんですよ」
「なんて?」
「びびってね〜で、アクセル踏め〜!!って」
 もっとも頭のネジが切れているのはコ・ドライバーなのかもしれない。

キノシタの近況

2020年のスケジュールが発表されましたね。僕が参戦するスーパー耐久は、開幕戦が9月4日。いきなりの「富士24時間レース」である。スーパーGTには、スボーティディングディレクターとしてチームに帯同する。そちらも8月の開幕である。これまでは霧の中をもがいたような気がするけれど、日時が発表されると、気持ちも晴れやかですね。楽しみです。