レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

276LAP2020.9.24

ニュルブルクリンクと日本

「SUPER TECH富士24時間レース」が開催された。レースは生憎の荒天に見舞われ、たび重なる雨と霧に襲われた。富士の麓に位置する富士スピードウェイでは、けして珍しいことではない。とはいえ、たびたびFCY(フル・コース・イエロー)が発令されると気持ちが萎える。セーフティーカーの介入も頻繁で、せっかくの白熱したレースに水を差した。深夜には、長々と赤旗中断になるという悪コンディションだったのだ。とはいうものの、チェッカーが振られる頃には青空がのぞき、爽やかなエンディングを迎えることができたのは幸運だったのかもしれない。 これまで40戦近くの24時間レースに参戦経験のある木下隆之も、中断が繰り返されるレースに驚いたようだ。ドイツのレースとの違いに戸惑ったという。日独の24時間レースに対する考え方の違いを語る。

数年ぶりの国内24時間レース

昨年までブランパンGTアジアを戦ってきた。BMW M4 GT4を駆り、BMW Team Studieから参戦していた。そのレースとニュルブルクリンク24時間のスケジュールが重なった。そんな事情もあり、僕がライフワークにしている「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」参戦を2年間も見送っていたのだ。
そして今年、「SUPER TECH富士24時間レース」参戦の機会を得た。新しく組織したSS/YS RACING with Studieからスーパー耐久に参戦することになり、その初戦となった「富士24時間レース」のグリッドに並べるという幸運に恵まれたのだ。
ただし、これまで40戦近くの24時間レースを経験しているとはいえ、今回ばかりは戸惑うことが多かった。ニュルブルクリンク24時間は1989年から参戦しているし、スパ・フランコルシャン24時間でも勝利している。もちろん十勝24時間も欠かしたことはない。自称「24時間男」を標榜しているのだが、それでも勝手の違いに翻弄されたのである。

もっとも混乱したのは、FCYやセーフティーカー介入のタイミングだ。
たとえば雨が降り始めたとする。雨足が強くなり、視界が閉ざされるとセーフティーカーがレースを整える。コース上は黄旗オペレーションとなり、全コースで追い越し禁止となる。およそ90km/h前後で走行するペースカーの先導で走行を続ける。状況が好転するまで、隊列に従っての走行となる。
気になったのは、そのタイミングである。雨足が強くなれば、セーフティーカーが介入して安全を担保するのが正しい。だが、僕にとっては走行の障害になるほどの強い雨には思えなかったのだ。
赤旗中断にもなった。セーフティーカーに従って走り続けていたマシンはメインストリート上に停止。すぐに雨が止み、いつ再開しても良かったと思うが、中断は数時間に及んだ。その判断と僕の感覚とのズレを感じたのだ。

FCYやセーフティーカー介入の判断は、競技長の裁量である。各コースで監視するポスト員や、コントロールタワーで監視する競技団が、レース続行が危険だと判断したら何らかの安全策を講じる。それに従うのが僕たちの義務だ。その裁定に異を唱える権利はない。その気もない。裁定は絶対だ。ただ、実際にレースをしている当事者とは判断に食い違いがある。
「こんな小雨なのに中断するの…?」
多くのドライバーの口から、そんな言葉が聞かれたのも事実。
「その判断は正しい」
肯定する声も多かった。
僕はここで裁定に苦言を呈する気はなく、競技団の判断と我々の感覚との間に微妙な食い違いが生じることがあると伝えたいのである。こう言ってよければ、競技団の癖や好みや、あるいは安全に対する考え方を理解する必要がある。そして判断材料のズレを修正しなければ立ち回れない。
赤旗中断はまだいいとしても、FCYやセーフティーカーが介入するタイミングは、レース戦略に影響する。どのタイミングでどの位置に割り込むかによって、レース戦略に混乱をきたすことが少なくない。勝敗を大きく左右する。だからこそ、競技長判断を予測する能力が必要なのだ。
久しく日本の24時間レースに参戦していないことから、僕の判断は競技長判断と大きく乖離していた。

24時間レースだから24時間走らせる

ドイツのニュルブルクリンク24時間レースでは、よほどの危険が迫っていなければ赤旗中断にはならない。FCYやセーフティーカーオペレーションですら稀だ。重大な危険が迫るまで、いわば野放しでレースを続行させる。
それでも最近は、介入タイミングが早くなったような気がする。かつては、赤旗の概念などなかったかのように、24時間を最後まで中断させずに走り切らせたものだ。
あるとき、セーフティーカーのミスコースという珍事件があった。
その年は天候に恵まれず、ウエットコンディションが続いていた。深夜になれば霧がサーキットを包んだ。通常はポストからポストまでの視界が確認できなければ赤旗によりレース中断が宣言されるのだが、この時はそれでもレースを中断させず、セーフティーカー対応で視界の好転を待っていた。
僕はスカイラインGT-Rで参戦しており、セーフティーカーが先導する隊列に従っていた。もはや視界はゼロに等しい。ロウソクの炎のようにか細い前車のテールランプを頼りに、スゴスゴと従っていた。あるいは、コース脇の白線を凝視しながら、その線をトロトロとなぞっていたのだ。
そんな時、ふと、自分がダート路面にいることに気がついたのである。そこがコース上でないことは、路面の凸凹で判断できる。セーフティーカーですら、視界に閉ざされたコースで迷ってしまい、コース脇の退避路に迷い込んでしまったというわけだ。
というほどに状況が悪化しても、赤旗を出さないのである。走れるうちは走らせる。それがドイツ流なのだ。走れないドライバーはピットに入って待機していればいい。走れる勇者だけで戦えばいい。それがドイツの考え方だ。

コースがなくなってもレース続行

ある年のニュルブルクリンクでのこと、コース上で多重事故が発生した。数台のマシンが交錯し大破。その場はマシンの墓場と化した。ただでさえ狭いコースのほとんどをマシンの残骸が埋め尽くし、進路を塞いでいた。レスキューや救急車が緊急作業に当たっていた。すわ、赤旗中断かと身構えた。
だが…。
赤旗中断することはなく、セーフティーカーすら介入しなかった。一つ手前のポストで黄旗が振動しているだけで、レースは淡々と続行された。我々ドライバーは速度を極端に落とし、行き場を探した。
「どこを走ればいいの?」
オフィシャルは、コース脇のダート道を指さした。コース脇の草むらの中をスゴスゴと通過せざるを得なかったのだ。そしてクラッシュ現場を過ぎてからまた全開走行を続けたのである。
エスケープロードが空いているのなら、レースを止める必要はない。それがニュルブルクリンクの考え方だ。それこそが、ニュルブルクリンクがニュルブルクリンクと呼ばれる所以である。

日独の考え方の違い

「SUPER TECH富士24時間レース」を終えて感じたのは、日独の考え方の違いである。ドイツは「自己責任の国」である。速度無制限のアウトバーンが象徴するように、自分の安全は自分で守る。「オウンリスク」が根底にある。
だからレースなどなおさらである。事故の危険を承知で参戦しているわけで、それが納得できなければ退出すればいい。誰も止めない。勇者だけが自己責任で戦えばいいとする。
一方の日本は、安全信仰が強い。誰にも怪我をさせず、安全にレースをしてほしいという願いが強い。一方で責任の所在を追い求める傾向も影響しているかも知れない。少々乱暴な言葉を使わせてもらえば「過保護レース」なのである。
日独のどっちが正しいと断言するつもりはない。ドイツのように、勇者だけが生き残りポディウムの頂点で微笑む権利が得られるレースも素晴らしい。日本のように、世界でも稀なほど安全が担保されているレースも美しい。
誰も怪我などしたくないのだ。そして誰もが勝ちたい。それがレースだからだ。
世界を戦うには、レースの根底に流れるフィロソフィーを理解しないとならないと思えた。世界がこんなに近くなっても、まだまだ世界は広い。

写真 田村弥
   折原弘之

キノシタの近況

「SUPER TECH富士24時間レース」ではGT-Zクラス2位でした。度重なるセーフティーカーによる介入を上手に立ち回ることができず、時間が経過するたびに遅れていった。マシンは速くピット作業も迅速だったけれど、何かが足りなかった。来年の雪辱を誓う。