レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

278LAP2020.10.21

レスキュー訓練

モータースポーツの安全性が飛躍的に高まって久しい。「命知らずのレーサー」「レースは度胸勝負」そんなフレーズはすでに過去のものとなりつつある。いまだに事故で負傷することもゼロではないし、不幸なことに命を落とすこともある。だが、その確率は驚くほど低くなった。
ドライバーの生存空間を確保するための強固なコックピットが開発された。ハンスシステムが頸椎の損傷を防ぐ。ヘルメットも安全になった。炎に包まれることも稀だ。様々な施策がドライバーをクラッシュの危険から守る。ただ、レースが安全になった要因は、道具の進化だけではない。スーパーGTでスポーティングディレクターを務める木下隆之が、レスキュー訓練を視察した。

レース開催に備えて…

スーパーGT第5戦を目前に控えた富士スピードウェイ、予選日の早朝7時に我々のピットには多くのGTA(スーパーGTアソシエーション)スタッフが集結していた。レースに先立ち、クラッシュ時のドライバー救出訓練が行われようとしていたのだ。
一台のマシンが留置されている。今回だけではなく頻繁に訓練は繰り返されているのだが、今回は我々BMW Team Studieが走らせるM6GT6が訓練車の対象となっていたのだ。マシンが変われば救出方法も変わる。
ピット前に集まったのは、総勢30名ほどだったように思う。サーキットはまだ静まり返っていた。チーム関係者もほとんどサーキットインしておらず、いつものようにインパクトレンチの試し打ちの音や人々の話し声が響くことはない。その日から無観客レースの呪縛が解かれてはいたが、グランドスタンドにも人影はない。そんな早朝なのに、ピット前だけが熱気に包まれた。独特の緊張感。殺気立っていたと言っていいかもしれない。
多くの緊急車両がマシンを取り囲んだ。富士スピードウェイ所属のレスキュー車両、数台の救急車、GTAが管理するFRO(ファースト・レスキュー・オペレーション)、医師、コーナーポスト員…。事故現場に駆けつける可能性のあるメンバー全員がその場に集められていた。
訓練を主導するのは、FROのメンバーである。一台のレスキュー車両に乗り込み、ドライバーとドクターとレスキュー隊で構成される主要メンバーが、ポスト員やレスキュー担当のスタッフに詳細な救出方法を伝える。
※「256LAP スーパーGTシリーズ、FROの凄さと奥深さ」参照。
https://toyotagazooracing.com/jp/blogcolumn/column/256/

医療用ダミー人形がコックピットに…

見慣れないモノが運ばれてきた。人間を模したダミー人形である。実際に医療現場で活用される、人間に限りなく近い人形がドライバーに扮した。いつもならば生身のドライバーが実験台となり、よりリアルに即した訓練となるのだが、コロナ禍であることから三密を避けて今回は人形が使われたのだ。
ダミー人形が注意深く扱われ、レーシングマシンのコックピットに座らされた。ヘルメットを被り、シートベルトを締める。クラッシュが起こり、ドライバーが意識を失っているとの想定訓練である。
訓練とはいえ、いざ始まると緊張感が辺りを包み込んだ。初動対応が生命を左右する。それを自覚しているからこそ、訓練は実際に即して行われる。
事故が発生した場合には、クラッシュ現場に真っ先に駆けつけるのは、各コーナーでレースを見守るポスト員である。彼らがまず、ドライバーの意識の有無やバイタルを確認する。並行して、クラッシュ時の衝撃が確認されるのだ。
スーパーGTマシンには、事故の衝撃度を判断するためのGセンサーが組み付けられている。500円サイズの小さな円形のゲージには計測器が内蔵されており、瞬間的な最大Gが目視で判断できるようになっている。その数値が17Gを超えていれば事態は緊急を要する。ドライバーを無闇に動かすことは危険を伴う。救出にはより一層の慎重が求められるのだ。17Gが次の作業への認識ポイントなのである。
一人のレスキュー隊員がマシンによじ登ると、ルーフの小窓を開けた。スーパーGTマシンには、ルーフに開閉可能なカーボン製パネルが設置されており、そこからドライバーの頭部を支えることができるのだ。意識を失い項垂れているドライバーの頭部を支え、頸椎のねじれを保護し、気道を確保するのだろう。ヘルメットを脱がすことができるから救出もしやすい。頸椎はいわば首の骨だから、より慎重な作業が求められる。
脱がしたヘルメットを、別のレスキューメンバーが素早く受け取った。その動きはまるで、オペ室で執刀医を補助するアシスタント看護師のようであり、迅速なコンビネーションだった。自身が担当する作業だけではなく、すべてのメンバーがすべての作業を把握しているからこそできることだ。
訓練を受けていなければ、とてもじゃないけれど、意識を失ったドライバーの頭部に触れることなどできない。勇気のいる作業に挑む姿に感心した。

救出の仕方によっては、むしろ障害を深刻なものにする危険性がある

ダミー人形は、意識を失っているとの想定だ。ロールケージが張り巡らされ、乗り降りでさえ困難なコックピットから人形を引っ張り出すのは容易ではない。生身の人間とて同様だろう。ダラリと投げ出された足や腕、首はグラリと項垂れている。自らの意思がないから思うようには動かない。ましてや実際には、頸椎だけでなく手足が骨折している可能性だってあるのだ。医師が素早くバイタルや機能の損傷を確認しているとはいえ、慎重にして大胆な作業が求められる。度重なる訓練をこなさなければ、これほど素早い作業は不可能に思えた。
ダミー人形は、かたわらに用意されていた担架に乗せられる。担架に横たわるダミー人形の気道確保、バイタル確認、そして担架に固定され待機していた救急車に乗せられる。こうした訓練が数回繰り返され、その度ごとに注意点が口頭で伝えられる。完璧な作業になって初めて、その日の訓練は終了となった。ようやく緊張の糸が解けたのは、訓練が始まって1時間ほど経過した頃だった。

こう言ってよければ、かつての救出はおよそ医学的な知見の介在がないレベルだった。救出方法が原因でかえって障害を増幅させることもあったという。頸椎損傷のドライバーの首を強引に動かし、担架に固定せずに駆け足で運ぶシーンも少なくなかった。そんなシーンを目にして、とてもじゃないけれどクラッシュなど起こせないなぁと背筋に冷たい汗が流れたこともある。時代の流れを思えば、当時の救急体制の稚拙さを責めるつもりはない。だが、当時からすれば、格段に救急体制が整っているのだと改めて感心した。 僕もドライバーだから、こうした救急スタッフのお世話になることがないとはいえない。これなら安心である、などと呑気に構える気はないが、有事を想像すればこれほど安心なことはない。すべてを委ねておける。
「でも、まだまだ完璧ではありません。もっともっと救急体制を充実させなければならないですね」
FROで現場に向かうドクターは、そう言ってたが・・を締める。

正直にいえば、レーシングドライバーなのだから命の危険はオウンリスクとして、甘んじて受け入れなければならないのだと諦めていた節がある。運が悪ければダメだし、運が良ければ助かるのだと。レーシングドライバーは命知らずであり、恐ければレースをするなと、度胸勝負であることを納得していたことがある。いわば、命を粗末にしてきたのだ。
だがこうして命を救おうとしているメンバーがサポートしてくれていることを知って、自らの命の大切さにあらためて想いをはせた。自分以上にドライバーを救出しようとしてくれているからだ。
スーパーGTが、接触ギリギリのエキサイティングなレースでいられるのは、救急体制が充実しているからに他ならない。

キノシタの近況

スーパー耐久第二戦・菅生ラウンドが終わりました。今回から観客を招いてのレース、いつもと雰囲気が違いましたね。やっぱり応援団がいると気合が違います。その気合がちょっと空回りしてしまいましたけれどね。次戦は、菅生と似ている岡山です…。

Photo by Wataru Tamura