レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

281LAP2020.12.09

セーフティーカーに翻弄され、セーフティーカーに弄ばれた年として…

2020年スーパーGTの全日程が終了した。未曾有の厄災に見舞われ、開催すら危ぶまれていた中、関係者の努力とファンの皆様の理解によって奇跡的に全8戦が消化。開幕戦が6月にずれ込み、最終戦が11月。必然的に過密スケジュールながら熱いレースが成立したことを、木下隆之は嬉しく思っているという。
それにしても今年のスーパーGTは、セーフティカー(SC)に翻弄されたレースだった。開幕戦から最終戦まで、SCに怯え、SCに弄ばれ、SCの掌のなかで踊らされたシリーズになった。BMW Team Studieのスポーティングディレクターに就任した木下隆之が、SCに翻弄されたシーズンを振り返る。

「セーフティーカーがレースを支配する」

「最近、セーフティーカーの介入が多いですよね」
「今回も、セーフティーカーが鍵ですかねぇ」
関係者の間で、必ずといっていいほどかわされる言葉だ。時候の挨拶のようでもあり、会話の切り出し文句になっている感さえある。それほど頻繁にセーフティーカーが介入したのだ。
その頻度は年々高まっており、今ではおよそ90%の確率でセーフティーカーがコース上に踊り出ている。それも一度や二度ではなく、一つのレース中にたびたび繰り返される。もはや、セーフティーカーを制するものがレースを制するといっても良い。セーフティーカーで泣いたチーム。笑ったチーム。いや、そのどちらをも経験したチームがほとんどだろう。

セーフティーカーは、コース上に危険が生じた時に介入する緊急車両だ。たとえば二次被害などの危険を伴うクラッシュ、緊急レスキューが必要なシーン、あるいはコース上にデブリなどの障害物が落下した場合など、レース続行が危険だと判断された場合にレースディレクターの指示で介入する。
セーフティーカーは回転灯を点滅させたまま真っ先にコースに進入し、レースをコントロールする。先頭車両の頭を抑えることでレースを支配するのだ。セーフティーカーの介入とともに、全コースが黄旗オペレーションとなり、一切の追い抜きが禁止される。レーシングマシンはセーフティーカーが先導する隊列に従い、レース再開を待つのである。
ただし、スーパーGTでのセーフティーカー介入はちょっと複雑だ。世界でも例を見ない、特殊なオペレーションを展開する。セーフティーカーが介入した瞬間に、一切のピットインが禁止される。たとえ走行するに十分な燃料を搭載していなくても、ピットインは許されない。仕方なくピットインすればペナルティが科せられ、勝利の権利を失うのである。ここがポイントだ。どのタイミングでセーフティーカーが介入するのかで、レースの浮沈を左右するのだ。

「たとえばこんな場面では…」

たとえば仮に、A車がトップを快走、B車が10番手を走行していたとする。そんな状況下、B車は18周目にピットイン。セーフティーカーが介入する前に、最低一回は義務づけられているドライバーチェンジを行ってコースに復帰したとする。その時A車は、B車を周回遅れにする寸前であり最終コーナーにいた、つまり、B車はかろうじてトップを走るA車にラップダウンされず、コース上に復帰していた。
その時、セーフティーカーが介入。セーフティーカーはトップのA車の前に入り、ペースを落とす。A車を先頭に隊列が整えられる。つまり、B車はラップダウン寸前まで大きく離されていたA車を先頭とする隊列の後方にまで車間を詰めることが許される。
その後、レースが再開。トップを走っていたA車は、いずれはピットインすることになる。B車はすでにピットインを済ませている。つまり、A車はせっかくB車を大きく引き離していたにもかかわらず、セーフティーカー介入でそのアドバンテージの大半を失う。そればかりか、A車がピット作業を終えてコースに戻った時には、B車に逆転されることになるのだ。
このように、セーフティーカー介入のタイミングによっては大逆転が起こりうる。せっかくトップを走っていても、すべてが水泡に帰することも少なくない。セーフティーカーがレースを翻弄するとはそれを意味するのだ。

そのリスクを知るチームは、レース中にセーフティーカーの介入が予測される場面では、おそらく全チームが無線でドライバーに緊急ピットインを指示する。
「ピットイン、ピットイン」
コース上でクラッシュが発生。モニターに映ったクラッシュの被害状況を見極め、競技長がセーフティーカーの介入を決断するまでのわずかな時間にピットに飛び込んでしまおうと考えるわけだ。
スーパーGT第6戦鈴鹿ラウンドで、♯23ニスモGT-Rが予選最後尾から優勝をしてしまったのは、まさにこの戦略が成功した好例だろう。強運があったにせよ、その幸運の可能性を期待した作戦を敷いた、という点では運だけではなく戦略的勝利だと思える。緻密な戦略と統計学に基づいたストラテジーが、世紀の大逆転劇を演出したのである。

「ミニマムピットインが常態化した」

では、どう被害を回避するか?
もしくは大逆転を狙うか?
一般的なセオリーは、「ミニマムピットイン」である。一人のドライバーの最低義務周回数(レース周回数の3分の1)を走り切った時点でピットインを敢行。その直後、ライバルがピット作業をこなすまでの数周にセーフティーカーが介入すれば大ラッキー。ペースで劣るB車がトップを快走するA車の前でゴールすることも可能だからだ。
逆にトップ快走のA車は大逆転を許すまいと、やはり「ミニマムピットイン」に挑む。つまりは多くのマシンが序盤にピットインを消化するという「ミニマムピットイン」が常態化した。
ただし、「ミニマムピットイン」が不可能なチームも存在する。冒頭のように、「ミニマムピットイン」でラップダウンになってしまう場面では、安易なピットインは権利の放棄に等しい。後半に3分の2のロングスティントが待っていることから、タイヤライフに不安を抱えている場面でも、安易なピットインは難しい。レース後半の3分の2スティントを走り切る計算が立たないからである。フル満タンでコースに送り出しても3分の2を周回するだけの燃料を搭載できない場面も同様に、ミニマムピットインはリスクを伴う。燃料不足によって2回のピットインに陥る可能性がある。ここが複雑である。

それでも、チームは「ミニマムピットイン」の旨味を知っているから、可能な限り早いタイミングでピット作業を終えてしまおうとする。タイヤライフに不安を抱えているチームは、タイヤへの攻撃性の低いセッティングを模索し、燃費の悪化を危惧するチームは、リーンマップで燃料消費をセーブしようとする。漫然とタイムだけを追い求めているチームは、「ミニマムピットイン」というおいしさを享受できない。
もはや、単純に早めにピットインするというだけでは勝てない。公式テスト開始とともに、タイヤに優しいセッティングを模索し、燃費の良いエンジンマップやドライビングに作り込む。瞬間的な速さや乗りやすさだけに目を向けていたのでは、勝利はおろか、表彰台にすら立てない。レース全体を通じての戦略が欠かせないのだ。

「セーフティーカー前提の戦略」

今年のレースは高い確率でセーフティーカーが介入するから、それを予測してレースを組み立てるチームも少なくなかった。
ピットイン時の燃料補給量は、その時点の燃料残量とその後に予測される燃料消費量から導き出される。例えばだが、このペースで残りの30周を全開で走り切るには100リッターの燃料が必要な場面だとするのなら、燃料が100リッターになるだけの補給する必要がある。ところが、ベースダウンによる燃料消費低下が期待できるセーフティーカー介入を前提にすると、たとえば95リッターの補給でコースに復帰することも考えられる。5リッター分の給油時間を節約する作戦にトライするチームも少なくないのだ。
ともすればギャンブルに思われるかもしれないが、過去データを整理すると統計的に50%以上の確率でセーフティーカーが介入する。それを前提とした作戦は、むしろギャンブルではなく正攻法なのだ。

スーパーGT最終戦は、異例にセーフティーカーが介入しなかった。トップを快走していたマシンが最終ラップにガス欠に見舞われ、残り500mを残してペースダウン。世紀の逆転劇が起こったのは、あるいはセーフティーカー介入を前提にしたレース戦略が招いたドラマだったのだろうと思う。セーフティーカー介入によって、燃料消費をセーブできるはずだ、という計算の元で戦っていたのだろうと想像する。
セーフティーカー介入の頻度は年々増加傾向にある。というのも、コースをクリアにするために、まずはセーフティーカーでペースコントロールをすることが有用だとする考え方が主流になりつつあるからだ。
年々レーシングマシンの速度は速くなりつつある。圧倒的な速度で走るわけで、ペースをコントロールせずにクラッシュ車両の回収やデブリの処理をするのは危険だからだ。
そのためにはセーフティーカーで隊列を整えるのではなく、FCY(フルコースイエロー)、つまりバーチャルセーフティカーで対応するのは都合がいいと僕は考えるが、ともあれ、現実的にはセーフティーカー対応が支配的である。となれば、セーフティーカー前提の戦略を取らざるを得ない。そしてそのためのタイヤ選定や燃費コントロール、ラップダウンにならないペースコントロールが求められるのだ。
今後ますます、戦略家の存在価値が高まることだろう。統計学を取り込みながら。チーム戦略室に様々なデータを表示させる。レースそのものを監視しつづけ、複雑な作戦を成立させたチームがレースを支配する。瞬間的な判断と、数学的な思考が求められるのだ。もちろんそれには正確で速いドライバーの技術が欠かせないのだが、いままで以上にレース戦略が勝利を左右することになる。

キノシタの近況

スーパーGT最終戦が終了。チームスポーティングディレクターを拝命した僕のメインの仕事はドライバーアピュアランスだったように思う。レース前のチーム紹介の映像にたびたび乱入したわけだ。それだけかよ、と言われるとちょっと恥ずかしい(笑)