レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

284LAP2021.1.27

いつまでも戦い続ける

新しいシーズンに心躍らせる季節になった。野球やサッカーや、もちろんモータースポーツも含めてのレギュラーシーズンが終了し、スポーツ界は前を向いて歩み始めた。新チームの動向や、新体制が報道され始めているのだ。モータースポーツ界には、フレッシュな情報が伝えられている。スーパーGTのGT500クラスは全メーカーの新体制が発表されたし、スーパーフォーミュラやGT300、あるいはスーパー耐久に参戦している複数のチームも体制を発表した。東京五輪を控えた日本において、モータースポーツ界に限らず、数々のプロスポーツの動向も気になるところである。
そんな中、ベテラン選手の動向が気になる、と木下隆之は言う。自身も十分にベテランと呼ばれる年齢になった木下隆之が、その思いを語る。

地方リーグの補欠がドラフト入団

「プロ野球ドラフト会議で、オリックスが育成6位で独立リーグの控え選手を選んだ」
そんな記事が朝日新聞に掲載されたのは、昨年の末のことだ。
指名されたのはBCリーグ・福島レッドホープスの古長拓選手である。年齢は26歳。新人がターゲットになるドラフト会議で指名されるには、高齢である。しかも古長拓選手に関する驚きは、その成績にある。優れた成績をあげたわけではない。その逆だ。昨季の打率は1割5分5厘。ホームランは0本。打点は2点。出場は全60試合にうちの36試合であり、ほとんどが代打か内野の守備固めだったと言う。そんな選手がなぜ、野球選手の頂点であるプロ野球球団から指名を受けたのだろうか。
報道によると、古長拓選手のひたむきに元気な姿が球団には必要だったそうだ。それだけではなく、技術を伴ったバット捌きが「化ける可能性がある」ともいう。ムードメーカーとしてではなく、戦力としての可能性にも目をつけたというのだ。

「今年の涌井秀章は、プロ野球楽天イーグルスをリードする」
こんな記事を目にすることも少なくない。涌井秀章選手はもう34歳だ。高卒新人ドラフトで西武ライオンズに入団、持ち前の剛腕を鳴らし、日本のエースに昇格。大リーグへの移籍も取りざたされたが日本に残る道を選び、多くのチームを転籍している。
一昨年はロッテに所属したが、3勝しかできずにオフにトレードに出された。ところが、移籍した楽天イーグルスで開花。11勝で最多勝に輝いた。西武、ロッテ、楽天と3球団でタイトルを手にしたのは史上初めてらしい。つまり、好不調の波があることが想像できる。放出と活躍を繰り返しているのだ。
そんな涌井秀章選手の今季にかける気持ちは、並々ならぬものがあるのだろう。連続で最多勝投手になることを期待している。

雑用に忙しい老力士

2021年1月21日の大相撲初場所で、現役最年長力士の華吹(はなかぜ)が勝ち越しを決めた。華吹は東序ノ口9枚目、年齢は50歳である。50歳以上の力士の勝ち越しは、明治38年以来116年ぶりだというから快挙である。
勝ち越しを決めた勝負の対戦相手は、西序ノ口11枚目の櫻。年齢はけして若者とは言えず、34歳だ。ベテラン同士の対戦は珍しい。
格闘技である大相撲を50歳でまっとうするのは、相当の鍛錬が必要だろう。強靭な肉体の持ち主であることに違いない。
それにもまして感心するのは、古色蒼然とした厳格な上下関係が存在する相撲部屋で耐え続ける精神力の強さには頭が下がる。相撲界は、番付で上下関係が成立する。年齢やキャリアは関係ない。その時々の番付だけが、上下関係を決めるのだ。
そもそも、十両以上にならなければ関取とは呼ばれない。大銀杏が結えるのは十両以上であり、東序ノ口の華吹はまげである。袴の着用が許されるのも十両からであり、十両以下は足袋も許されないという。個室が与えられるのは十両からだから、華吹は大部屋であろう。そもそも十両にならなければ結婚も許されないのだそうだ。
もちろん、日々の生活も厳しい。起床は十両以上より早い。ちゃんこの準備も日課であり、食事をするのも関取衆の合間である。飯をよそい、風呂では関取の背中を流す。50歳の華吹が、時には10代の若手力士の身の回りの世話をするのである。とてもじゃないけれど、僕は相撲界には残れない。それでも続けているというのだから、その相撲愛には驚くばかりである。

いつまでも走り続ける

僕の記憶の中で、まったく色あせずに記されているシーンがある。確か2012年のことだったと記憶しているが、スロベニアの女子陸上短距離選手のマリーン・オッティ選手が、52歳になったにもかかわらず五輪選考会に挑戦したことである。
マリーン・オッティ選手は1980年代から大活躍したアスリートだ。ジャマイカ代表として五輪に出場し続け、9個のメダルを獲得したというから素晴らしい。2004年には国籍を移し、スロベニア代表として五輪に出場している。
そればかりではなく、52歳の当時、欧州選手権に出場。マスターズに戦いの場を移してからも活躍し、52歳で100mを11.96秒で走り切り優勝。衰えを感じさせないのである。
そこまでして、何故走るのか。答えを想像するのは簡単である。
走りたいからであろう。その気持ちはよくわかる。

可能性を広げて

先日、ちょっと寂しい記事に目が止まってしまった。確か1年ほど前の報道だったと記憶しているが、当時47歳の重水浩次選手が、全日本テコンドー協会が定めたパラリンピック東京大会の代表選考基準の見直しを求めたというのだ。重水浩次選手は全日本パラ選手権で準優勝したにもかかわらず、代表選考会の出場が認められなかったというのだ。
協会の育成選手基準には13歳以上40歳以下という条件が定められており、それが不合理だったという。
あくまでも私の意見だが、スポーツは年齢でやるものではない。年齢問わず、結果が伴うのならば五輪出場を認めてあげたくなる。

新しいシーズンの開幕を前に、多くのアスリートがスタートラインに立とうとしている。スポーツが身体的な能力を競うものであるとするならば、年齢の積み重ねはつまり老化であり、身体的衰えを意味する。だが、努力に裏付けられた能力や才能が、それを覆すこともあり得るのだ。
まして、年齢の積み重ねを経験と訳すこともできる。過ごしたシーズンや挑んだ試合の数だけ引き出しが増える。老化を補ってあまりある経験も無視できないのである。
何にもまして、そのスポーツへの愛情に、年齢は関係ない。
このコラムにこんな筆を走らせてしまったのは、僕がベテランと呼ばれる年齢になり。それでもモータースポーツへの愛情には一点の曇りも感じていないからであろう。どこかのスポーツ紙に、60歳になってもまだ走っているレーサーがいるという記事が掲載されるように、頑張ろうと思う。

Photo by Hiroyuki Orihara ,Wataru Tamura

キノシタの近況

スーパー耐久最終戦が中止になってしまいましたね。最後まで続行と延期を模索してくれた関係者には感謝しますが、こればかりはねぇ。例年ならもう、新しいチームとの契約が決まっている頃だけれど、どうなることやら。果報は寝て待てと言うからね。