レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

293LAP2021.6.9

競馬とレース

競馬もレース、自動車レースもレース。ともに近似性がある。だが、競馬をやる自動車レース関係者の話はあまり聞かない。会話の内容も予想の方法もほとんど似ているのに、競馬をやるカーレーサーは少ないような気がする…と、競馬門外漢の木下隆之が疑問を投げかける。

競馬新聞を広げて…

先日、近所の喫茶店でミーティングをしていた時のことだ。
レース仲間とのミーティングであり、翌週に迫る耐久レースに関しての戦略を練っていた。通路を隔てた隣のテーブルには、3名の男性が顔を寄せ合い、熱く何かを語りあっていた。時おり大きく背をそらしながら笑ったり、手をたたいて喜びを表したり、気のおけない仲間のようだった。
「来週はいよいよレースだぞ」
「今回は、あいつが本命だね」
「ところで、天気はどうなんだ?」
「荒れたレースは強いからな」
大きな声で語りあっている。僕らは意図せず、聞き耳を立ててしまった。僕らが話している内容と、驚くほど似ていたからである。
それもそのはずだ。僕らはレースの話をしており、彼らの話の骨子もレースだった。たが、レースでもレース違い。彼らのテーブルにチラリと目をやると、競馬新聞が広げられていた。お約束のように、赤い色鉛筆が転がっている。彼らが予想していたのは翌週に迫っている日本ダービーであり、勝馬を予想していた。こっちはこっちで、翌週の富士24時間耐久レースでの勝ち筋を考えていた。さすがに東京中日新聞は広げていなかったけれど、雰囲気は似ていた。

日本ダービーは数ある競馬の中で、知名度も人気も圧倒的に高いイベントである。競馬にはまったく手を出さない身ゆえに情報が稚拙であることをお許し願いたいが、そんな僕でも一度や二度だけではなく、春になれば必ず見聞きするレースだ。
一方の富士24時間レースも、日本のレース界では欠かせないイベントである。歴史そのものは浅いが、日本で唯一の24時間レースであり、ということはつまり、最長レースである。さかのぼって往年の富士インターテックは日本を代表する国際レースであり、現在でもその伝統を微かに感じさせるのは、その名がスーパーテックとされている点だ。つまり、日本に欠かせないレースでもあるのだ。
「ダービーに生活を賭けているんだよ」
喫茶店に響いた言葉を聞いて僕らは、見つめあって小さく笑った。

その時以来、僕の頭から競馬が離れなくなった。ギャンブルは好きではないから、競馬も競輪も、もちろんパチンコにも手を染めたことはないが、振り返って考えればそれも妙な話である。
というのも、競馬も自動車レースも競争であり、その共通点は乗り物を走らせていることだ。逆に言えば唯一の違いは、馬を走らせているか、クルマを走らせているかの違いでしかない。スポーツとして極めて近似している。
トヨタ自動車の豊田章男社長は、たびたび馬を引用して自動車を論じている。
「100年前の人の足は馬だった。それが今、クルマに置き換わった」
「乗り物としての馬は消えようとしている。だが競馬は生き残っている。乗用車がなくなっても自動車レースはなくならない」
「騎手がミスしても馬が接触を回避してくれる。現代の馬、つまりクルマがそうなれば事故はゼロになる」
詳細には違いはあるかもしれないが、おおむねそんな内容のコメントを発しており、その度に説得力のある引用に感心したほどだ。
そう、それほど馬とクルマは親しい関係にあり、競馬とレースには共通項が多いのに僕は競馬には一切手を出さない。競馬にハマるドライバーも耳にしない。競馬好きがいないはずはないだろうが、表には出てこない。パドックが競馬の話で盛り上がったことは一度もないのである。
あるいは僕らはレースの当事者という特殊性がそうさせているのか。だとしたら、レース観戦に来てくれる応援団の人々は競馬好きなのだろうか。統計をとってみたいものである。

馬を走らせるかクルマを走らせるか…

そもそも競馬とレースは、内容が似過ぎている。
たとえば予想の方法は、競馬もレースも驚くほど近いように思う。ふたたび門外漢の考察であることをお許し願いたいが、競馬の予想で欠かせないのが天候だという。喫茶店で競馬とレースの近似性を意識してから、気になって競馬に意識を向けているのだが、聴けば聴くほど、読めば読むほど、競馬と自動車レースは似ている。
「富士24時間は雨がらみだよな。季節は梅雨だ。小雨でも赤旗中断するのが最近の傾向だから、雨に強いマシンとドライバーは羽をもがれるからな」
僕らがそう予想する側で、競馬ファンはこう語り合う。
「日本ダービーは雨がらみだよな。季節は梅雨だ。小雨くらいでは中止にしないから、雨に強い馬が有利だ。ダービーは若い馬だから、雨で元気のいい馬が有利だね」
そうなる。

馬場の状態も予想には欠かせない。競馬はダートと芝コースがある。となれば得手不得手がある。特に芝コースは、条件によって走りが変化するという。JRA日本中央競馬会のホームページには、馬場状態の情報が掲載されている。その内容は、コースのどこが汚れており、どこの芝が伸びているかまで網羅されているのだ。ほとんどゴルフの世界である。しかも、良馬場なのか重馬場なのかも重要なようで、含水率、つまり、コースが乾燥しているか湿っているかまで情報公開されている。

それが自動車レースならば、さしづめコース上に散乱しているゴム片や路面の荒さの情報公開であり、たとえば前日にどんなレースが行われ、路面ができている(コンパウンドが付着してグリップが高い)ことを告知しているようなもの。
芝のクッション値まで確認できるというから驚きである。馬が生き物であることを物語っている。サーキット路面の硬さを考慮してセッティングできるエンジニアは少ないが、それが一般に浸透している点では、競馬エンジニアリングは先行している。ともあれ、路面が勝敗に影響する点でも酷似しているのだ。

そんなだから、コースの形状も重要だ。カーブの曲率、登坂路面。右回りか左回りか。直線コースなのか。たとえばモナコは低速だから、低回転でのピックアップに優れたエンジンが有利であり、タイトコーナーの旋回速度が重要だ…というような予測は競馬も同様なのだ。

展開の予想も欠かせない。というよりも、それが競馬も自動車レースも楽しみのような気がする。脚質は様々だ。先攻逃げきりなのか、差込型なのか、あるいは追い込みが得意なのかを確認した上で展開を予想する。
「ハミルトンが予選でトップだろうが、フェルスタッペンがホンダパワーでまくるはずだ。ボッタスはスタートで遅れて後続に巻き込まれる。リカルドは混戦で巧みだから一気に浮上してくるはずだ」
というような予想である。

ドライバーを騎手と呼ぶ時代に…

もちろん騎手も予想に欠かせない。
「木下は24時間レースの経験が豊富だから本命だな」(笑)
というように、過去の実績や性格で予想する。一発のタイムに優れた若いドライバーを揃えたからといってチームが機能するわけもなく、むしろバランスが重要なのだ。というように、騎手のラインナップも予想に欠かせない。

そもそも、競い合いという点で、最も似ている競技だと言っていいかもしれない。豊田章男社長が口にしたように、馬がクルマに置き換えられたに過ぎないのである。そのハラハラドキドキは競馬も自動車レースも同様だろう。
最大の違いは、公営ギャンブルであるか否かであろう。日本では金銭を賭けた観戦は公営ギャンブルに限られている。自動車レースが公営ギャンブルだったらさぞかし…という話は今後に譲るけれど、そこに大きな違いがある。
速度の違いもある。自動車レースは時速300km/hを超えることもザラであり、爆音も伴う。金銭がかかっていなくとも、純粋に観る喜びがある。直接的な走らせる喜びがある。という違いがあるにせよ、似ている点は少なくない。
だというのに、競馬好きなレース関係者が少ないのはなぜだろうか…。

キノシタの近況

J SPORTS「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」のゲスト解説をさせてもらった。コロナ禍の影響を受けて、TOYOTA GAZOO Racingやスバルが参戦を取り止めている。それでもヨーロッパのワークス勢が矛を収めることなく戦っていた。表彰台はポルシェ、BMW、メルセデスの3メーカーが並んだ。実力拮抗したバトルは見応えがあった。とはいえ、日本で解説しているのではなく、来年は参戦することを誓う。ご協力、お願いしますね。