298LAP2021.9.1
マシンはまるでパソコンですね
トヨタ4連覇で幕を閉じた2021年ル・マン24時間レースは、敵なしのトヨタが終始レースを支配し、何事もなく1-2フィニッシュを飾った。盤石のレース。だが、裏側では数々のトラブルを抱えていたという。それが表に現れない。その理由を木下隆之が語る。
J SPORTS解説席で…
ル・マン24時間レースを僕は、東京・青海の高層ビルの中、J SPORTS解説スタジオで観ていた。海外から送られてくるライブ映像を日本のスタジオで中継し、日本のファンに届けている。コロナ禍により、現地で取材解説することはできない。それでもドイツ在住のモータージャーナリストを現地に派遣し、深く取材活動を進めていたし、参戦しているドライバーにマイクを向けて、戦況を聞いたりする。僕は現地から送られてくる映像と情報を頼りに、スタジオで解説していたのである。
24時間レースは当然、報道する側にとっても長い。だからアナウンサーと解説者は、いくつかの組み合わせのユニットで分担した。僕は現地時間の7時から10時。レースが始まって16時間が経過した、朝方のレースを担当した。日本時間の午後3時からである。
レースは淡々と進行していた。今年からマシン規定が様変わりした。これまでの激速ハイブリッドではなく、やや市販車に近いフォルムのハイパーカークラスに変わった。トヨタはそのハイパーカークラスに参戦しており、投入した「GR010」は、唯一のハイブリッドモデルという武器を手に、快調にラップタイムを刻んでいた。
ル・マン24時間の前哨戦でも勝利している。予選でも圧倒的なタイム差でポールを奪取、スタート直後の1コーナーで8号車が追突されスピン。一旦は最後尾まで順位を落としたものの焦ることなくやがて1-2フォーメーションを形成することになった。
淡々と鼻息荒く挑みかかってくるライバルを軽くいなすかのような落ち着き払った走り方に、今年の1-2フィニッシュは確信になった。前戦のモンツァ6時間でも、スタートで攻撃的なライバルに押し出されそうな場面があった。だが、ポジションに拘らず順位を譲り抜き返している。その落ち着きぶりがル・マン24時間でも感じられたからである。
レースは安定したまま、1-2フォーメーションをまったく崩すことなく淡々と進んでいった。表面上は、盛り上がりにかける面白みのないレースに見えたことだろう。GTクラスが目まぐるしく順位を入れ替え、時にはスプリントレースであるかのような接触やプッシングを繰り返しているのとは対照的に、ハイパーカークラスに熱狂はない。手に汗握るシーンは一度たりともなかった。
唯一緊張が走ったのは、2番手を走行していた8号車 GR010が突然スロー走行を始めたときのことだ。一度はコースサイドにマシンを止めている。すぐさまエンジンが始動、ふたたび安定したペースで周回を重ね始め、ホッと胸を撫で下ろしたのだが、これまで安定して13周ごとにビットインを繰り返していたルーティンが崩れた。4周から6周のインターバルで給油するというイレギュラーが発生。あきらかにトラブルを抱えているのだと想像した。
それまでは3スティントごと、つまり、13周×3スティントの合計39ラップごとにドライバー交代していたというのに、小林可夢偉は2スティントでセバスチャン・ブエミにシートを譲ってもいる。何か緊急事態を迎えていることが想像できた。
ピットは平静を保っていた
だというのに、ピットに動揺がない。あきらかに異常を抱えているというのに、ピットインしたマシンにメカニックが群がることがない。ビットロードでの本格的な修理は禁止されている。作業人数も限定されている。ゆえに時にはピットにマシンを押し込んで、カウルを外したり、ジャッキアップしてフロアに潜り込んだりするはずなのだが、トラブルシューティングの気配はないのだ。ピットの混乱を撮影しようとカメラを向けても、メカニックは落ち着いたまま談笑している。
そこで僕は察した。ル・マン24時間はF1と同様に、テレメトリーシステムが充実している。マシンのコンディションは電波に乗って逐一ピット裏の戦略室に届けられ、コクピットのドライバーとの無線交信を続けている。ドライバーは戦略室からの指示を受け、夥しい数のスイッチ類を操作する。無線は暗号化され、ライバルはもちろん、解説する僕らにも理解ができない。つまり、チームとドライバーは緊急事態に慌てているに違いないのだが、側から見る限りその混乱が形に現れないのである。
潜入させていた関係者からの情報によると、フューエル系のトラブルだという。まだ燃料が残っているというのに、ガス欠症状に見舞われているらしい。事前に予定していた1スティントを13周ごとに刻むというノルマが達成できない。
だがその問題もすぐに解決する。コクピットのスイッチで操作することで、トラブルシューティングが解消したというのだ。それはまるで、パーソナルコンピュータのリセットやソフトウェアのアップデートをするかのような作業である。
燃料ポンプの損傷であったり、カプラーの接触であったりといった、機械的な故障ではない。もう最近では、そんなトラブルの発生頻度は低い。トラブルの原因の主たるものは、制御系、つまりコンピュータのバグである。
途中、ドライブ中の小林可夢偉をピットに招き入れ、セバスチャン・ブエミにドライバー交代させた理由はこうだ。
コクピットのスイッチ類を操作することでトラブルを解消する方法をドライブ中の小林可夢偉に無線で伝えるのは困難であり、だからピットで待機しているセバスチャン・ブエミに操作の手順を詳しく学ばせた。セバスチャン・ブエミは操作手順を記憶し、コクピットに乗り込んだというわけだ。想像でしかないのだが、Aボタンを長押ししつつ、Bボタンを短く2回プッシュ。それをアクセルオフの時間に二度繰り返す…といったような作業なのだと思う。まさに、パーソナルコンピュータの再起動でありソフトのアップデートである。
クラッシュや接触によるマシンの機械的破損ならば、メカニックが群がりながら修理をするはずなのだが、コンピュータのトラブルは表に現れないというわけだ。
怒声がしない
昭和のレースであれば、ピットは騒然となるところだろう。
首脳陣が頭を突き合わせ、議論を始める。
「スパナ持ってこい!」
「早くしろ!!」
メカニックは駆け回る。怒鳴り声が響く。
ハンマーが鉄を叩く音がする。
「せーの」
みんなで力を合わせて持ち上げる掛け声がする。野戦病院と化す。
だが今回は、緊急事態にもかかわらず、慌てるメカニックは誰もいない。まるで淡々とレースを消化しているようにしか見えなかった。
もはや、マシンはコンピュータ化しているのだ。かつて語られ続けてきたフレーズ、つまり「マシンは鉄とゴムの塊…」ではなく、マシンはコンピュータ頭脳なのである。
ライバルに焦りを悟られないよう、ポーカーフェイスが徹底してもいた。バックヤードは混乱したはずだが、予めバックアップ体制は周到に準備されており、トラブルに対して次の手が用意されていたに違いない。
ドライバーはマシンのガゼットになり、決められたプログラミングにしたがって走らせる道具のように感じた。
これこそが世界最高峰のレース「ル・マン24時間耐久」である。つまり、トヨタは世界最高峰のコンピュータ戦に勝利したことになる。
キノシタの近況
過ぎ去ろうとしている夏を引き戻すつもりです。