304LAP2021.11.25
スプリント予選への挑戦
2021年F1は、新たなレースフォーマットに挑戦した。Q1からQ3へと、振るい落としの予選システムに加えて、100kmレース「スプリント予選」を取り入れたのである。実験的な意味合いもあったのだろう。全戦ではなくイギリスGP、イタリアGP、そしてブラジルGPの3イベントで実施。過去にスプリント予選経験のある木下隆之が語る。
新たなフォーマットへの賛否
今年のレースフォーマットが明らかになったときに、否定的な論調が誌面に多かったように思う。
Q1からQ3へと予選を繰り返すこの方式のメリットは、数多くのアタックを観客に観てもらえるという点にある。通常の予選は1ラップのベストタイム制だから、観客にわざわざサーキットに足を運んでもらっておきながら、たった一度のアタックしか観てもらえない。その対策の一つが、ノックアウト方式予選。これなら少なくとも3回の予選アタックが観戦できる。
実際にこの方式は、興奮を誘う。Q1やQ2での余裕の突破が予想される戦闘力に長けたマシンは、序盤は大人しい。だが、下位チームには常に全開のアタックが強いられており、ノックアウトラインでの攻防は見応えがある。その点でノックアウト方式はメリットがある。
チームやドライバーにとって、予選は一度でもいい。ドライバーの優劣はそこで決着されるし、何度繰り返しても、結局はマシンとドライバーの潜在的なポテンシャルの順位に落ち着く。タイミングやアタックの成否によって多少の上下はあろうが、些少のタイム差でしかない。コストも嵩む。できれば一度の予選のほうが楽なのに…、と心の中では呟きながらも、エンターテインメントとしては納得済みだろう。
だが、予選が、つまり、決勝のスターティンググリッドが決まる予選が100kmレースとなれば話は別だ。障害物のないクリアラップが得られる予選とは違いフォーマットがレースだから、100kmの攻防がある。最大の目的は決勝レースでの勝利であるがゆえに、無益なスピンアウトやクラッシュを避けたいところ。必然的に激しさを失った“おきのレース”に終始するのではないかとの予測が、否定的な論調を呼んだ理由である。
たしかに、イギリスGPの「スプリント予選」は退屈だった。予選レースで配分されるポイントには、優勝3点。2位が2点、3位には1点が与えられる。決勝は1位から順に、25、18、15、12、10、8、6、4、2、1である。上位10台にポイントが与えられるのに対してスプリント予選は3台のみ。しかも、300kmの決勝の3分の1の距離を走るのに、得られるポイントはごくわずか、年間の選手権を考えれば、スプリント予選が単調になるのもうなずける。
ただし、観客にとっては歓迎すべきシステムであろう。前述したように、予選が行われる土曜日にサーキットに足を運んだ人にとっては、3回の予選アタックに加えて100kmのレースが観戦できるのだ。贔屓のドライバーが何度も目の前を通過する。観戦料に対する満足度も高いだろう。
真の実力が評価される
もっとも、プラジルGPでは、思わぬメリットも見出せた。というのも、トラブルにより予選で下位に沈んだ有力なマシンが、上位まで駆け上がる機会を得たことを意味する。それを目の当たりにしたのだ。
最多勝にして常勝ドライバーのルイス・ハミルトンは、予選後にマシンの不正が発覚、最後尾グリッドからのスプリント予選を強いられた。そこでハミルトンは圧倒的な速さを披露、100kmのレースを5位でフィニッシュ。決勝のスターティンググリッド5番手を得たのだ。
翌日曜日の決勝では、パワーユニットの交換によってさらに5グリッドダウン、つまり、10番手からのスタートなのだが、決勝での速さは群を抜いており、優勝してしまったのである。もしスプリント予選がなければ、ハミルトンの優勝は厳しかったかもしれない。
この日は圧倒的な速さがあったから、たとえスプリント予選がなかったとしても、300kmの決勝で優勝していただろうという予測もあるが、ともあれ、スプリント予選が彼に味方をしたことはたしかであろう。というように、不可抗力によって予選で下位に沈んだとしても、実力があれば表彰台の頂点でシャンパンファイトすることができる。真の速さを決定するのが決勝だとすれば、これこそが実力を露わにするシステムだとも思えるのだ。
残念なことがあるとすれば、予選でトップタイムを叩き出したドライバーが「ポールシッター」として評価されないことだ。一発の速さはドライバーにとって憧れであり、決勝での巧みなレース捌きとは別に讃えられるべきことである。
だが、讃えられるべきドライバーが、もっとも有利であり栄光のポールポジションとはならない点が残念でもある。
F1の体質改善
ともあれ、F1のスプリントレース化の流れは、実はもっとも深いF1事情が影響しているのだ。観客のために…というエンターテインメント性が、F1には欠ける傾向があった。貴族のスポーツから発展していった欧州型モータースボーツは、参加者が主役であり、観客の意識は二の次とされていた。裕福な我々のレースを観たい人がいるのならばどうぞご勝手に…といった階級意識が強いのである。
その点、アメリカのモータースポーツは観客優先である。エンターテインメント巧者のアメリカらしく、主催者が見る先には観客がいる。サーキットに足を運んでくれる観客やテレビの画面越しに声援を送る視聴者を常に意識している。その典型がNASCARであろう。
そう、欧州型モータースポーツの最高位であり、つまり貴族型モータースポーツの頂点であるF1が、芝生席に座る観客やスマホでネット観戦する視聴者へ気を配ったこと。さらにいうならば、チームはコスト増を承知でスプリント予選を承諾し、ドライバーは体力的な負担があるにもかかわらず100kmの予選レースに挑んだ。それはF1の危機感なのかもしれないが、ともあれ、F1が変わりつつあることの証明なのである。
イベントとして盤石だと思えるF1ですら改革に柔軟である。ますますF1は栄えるのだろうと思わされた。
キノシタの近況
新型のBMW・M4GT3が日本初上陸した。アジア唯一のレース車両販売権を持つTotoBMWに飾られていた。なので早速シート合わせに行ってきました。マシンは幅がさらに広くなって、ダウンフォースが一層強くなる。期待できますね。