321LAP2022.8.10
青木拓磨の挑戦
バイクレースの世界で数々の勝利を重ね、日本を代表するライダーとなった青木拓磨がテスト中の事故により半身不随になった。もうこれでサーキットを走ることはないのかもしれないと誰もが思った。だが、彼の闘志は全く薄れてはいなかった。下肢の機能を失ったことでライダーへの道をあきらめざるを得なかったのかもしれないが、彼は不屈の闘志でレーシングドライバーへの転身を図った。先日、リーガルトップレーシングwithタクマで国際レースに参戦。かたわらでその戦いを見守った木下隆之が語る。
彼が次に選んだ世界は…
青木拓磨がBMW・M2CSレーシングでレースに参戦する。その情報を僕は驚きを伴って聞いていた。まさか…。だがその一方で、彼の賢明な判断に敬意を表した。と言うのも、彼が参戦するBMW・M2CSレーシングは、下肢に障害を持つ彼にはとても適したマシンだったからである。
青木拓磨が生まれたのは1974年2月24日。幼い頃からライダーとして頭角を現し、全日本スーパーバイクチャンピオンを獲得。ホンダワークスとして世界GPの最高クラスであるGP500に参戦。何度も表彰台でシャンパンファイトを経験した。ライダーとして、日本人として数少ない栄光を手にした。
だが、1998年のバイクテスト中の事故により脊髄を損傷。半身不随となった。それでも彼のモータースポーツへの情熱が薄らぐことはなかった。ライダーとして、障がい者スポーツの普及活動を進めている。自らバイクに乗る姿をサーキットで披露もしている。その姿は不死鳥のように見えた。そしてさらに、四輪のレースに挑戦、着実にキャリアを重ねつつある。
障がい者用の補助装置を組み付けたマシンで海外ラリーに参戦、クラス優勝に輝いている。国内のスーパー耐久レースにも参戦。そればかりか、ル・マン24時間レースにも、シングルシーターの本格的レーシングマシンで参戦している。それらは、健常者でも過酷である。並外れた体力と気力、そしてもちろん天才的な才能が欠かせない。彼はそんなマシンを乗りこなしてきた。その余勢を駆り2022年の今年、BMW・M2CSレーシングであるレースにスポット参戦したのである。
補助器具での走行は簡単ではない
今回彼が挑戦を試みたのは「ファナテックGTワールドチャレンジ・アジア」の一戦。アジア転戦型のそのシリーズには、日本戦だけをシリーズ化した「ジャパンカップ」が組み込まれている。その中の富士スピードウェイに彼の姿はあった。
マシンはBMW・M2CSレーシング。僕もすでに、ニュルブルクリンク24時間レースやスーパー耐久「富士24時間」でこのマシンを操っている。
BMW・M社が、世界のプライベーターのために開発したレーシングマシンである。レース専用車ではあるが、市販車の面影を色濃く残す。
搭載するエンジンは直列6気筒3リッターツインターボで、450psを軽々と絞り出す。ただ、カーボンやチタンといった高価なマテリアルを禁止しているため、マシンはけして軽くはない。
彼に適していると思えたのは、パワーステアリングが装備され、ブレーキには踏力をサポートするマスターバックが組み込まれている点だ。組み合わされるミッションは7速AT。電光石火の変速はマニュアルミッションをしのぐ。戦闘力の高さに疑いはないのだが、ドライバーフレンドリーなマシンだといえるからだ。
もちろん彼がドライブするには、特殊な補助装置が必要になる。アクセルペダルを足で踏む代わりに、ペダルから導かれたレバーを左手で操作する。ブレーキも同様に、レバーでの操作だ。強く押し込めばフルブレーキングであり、離せばリリースされる。そのスロットルレバーとブレーキレバーは一体になっている。つまり、右手でステアリングを操作し、左手で加減速をコントロールする。常に両手で別の操作が要求されるのだ。
構造的には実にシンプルである。マシンをベースから改造したのではなく、左手で操作するスロットルレバーは、か細いシャフトを介してすでに装着されているアクセルペダルに連結されている。ブレーキも同様だ。
だからこそ、このマシンを操ることは簡単ではないように感じた。ドライビングは実に繊細である。僕らはいつも、ケーブルのわずかな渋みや角度や強度などに違和感を覚えれば、改善を強くリクエストする。だと言うのに、彼のその補助装置はお世辞にも剛性感がなく、繊細なドライビングは困難だと思えたのだ。
ちなみに、下肢障害の彼はフットレストで体を支えることができない。強烈な横Gに耐えられるように、両足をベルトで固定をする。
耐久レースであれスプリントであれ…
「ファナテックGTワールドチャレンジ・アジア」は、2名のドライバーが交代でマシンを操る耐久形式である。レース時間は60分。一人のドライバーが25分から35分をドライブしなければならない。
今回は、チームオーナーでありレーシングドライバーである高橋裕史選手とのコンビとなった。健常者との組み合わせだから、大幅な改造によって拓磨仕様にするには障害がある。妥協せざるを得ない事情もあった。
ハンディキャップを負ったマシンであるにもかかわらず、彼は器用にマシンを操作する。僕らのように、些細なフィーリングの悪さを指摘し改善を迫るようなことはなかった。
今年48歳になる彼は、世界GPで活躍していた頃とは異なり、ヤンチャな面影はない。一人控え室で目を瞑り、気持ちを整えているシーンを何度も見掛けた。
僕が感心したのは、挑戦の扉を開こうとするその意志の強さである。いまだに障がい者レースがしっかりと確立していない状況で、我々と同条件で戦うには困難がつきまとう。
たとえば主催者による出走許可ひとつにしても、エントリーシートを提出しさえすればいいというわけではない。主催団体によっては、補助装置の強度計算まで求められることもあるという。個人でデータを計測し、資料を揃えるのは簡単ではない。そのために彼には多くのサポーターがいるとはいえ、そんな難題を一つ一つ解決していく。その姿勢に頭がさがる。
これはもう、巨大な資本を持つ自動車メーカーが、障がい者レースのフォーマットを構築する必要があると思えた。その主導を彼に担ってもらいたいとも、身勝手ながら託したい気持ちになったのである。
残念ながら今回のレースは、彼の満足できるものではなかっただろう。走行時間が限られており、慣れる時間も少なかった。さらに、マシンが不調をきたしたことで、爽快なドライブをすることができなかった。
だが、時おり披露したバトルには、世界で名を残したライダーの面影を滲ませた。十分な走行時間と完調なマシンを与えれば、ライバルを圧倒する走りを披露するであろうことを確信した。
近い将来、彼はまたサーキットレースに挑戦するに違いない。その姿をまたここで紹介したいと思う。
Photo by WATARU TAMURA
キノシタの近況
かつてサーキットを席巻した、BMW2002ターボでのドライブは最高でしたね。1974年式だというのにコンディションは完璧で、今でも十分に通用するトルクが炸裂した。ヒストリックカーレースにも挑戦しようかな?