レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

325LAP2022.10.12

トーヨータイヤの武者修行が実る日

かつて木下隆之は、トーヨータイヤとのコラボレーションで欧州の耐久レースを転戦していたことがある。もちろん技術の研鑽であり、市販タイヤへのフィードバックであり、そしてプロモーション効果を狙っての参戦である。そんなトーヨータイヤが、ニュルブルクリンクで好成績を残し始めた。欧州にこだわりづけるトーヨータイヤの志を、木下隆之が語る。

栄光と撤退を繰り返しながらも確実に…

僕はかつて、トーヨータイヤのレース参戦プロジェクトに加わっていたことがある。2009年と2010年の2年間、技術部が主体となる開発プロジェクトのレーシングドライバーとして、欧州の耐久レースを転戦していたのだ。
1980年〜1990年代、トーヨータイヤは国内外で活躍していた。当時盛んだった全日本ツーリングカー選手権に勇躍挑んでいたのだ。
初めてグループA規定で開催された1985年6月の全日本ツーリングカー選手権では、トランピオレビンが記念すべきファーストウィナーに輝いている。当時トーヨータイヤは「トランピオ」ブランドでスポーツタイヤを発売しており、いきなりの総合優勝で技術力の高さをアピールした。その輝かしい歴史はその後も続く。
ちなみに、当時の社名は東洋ゴム工業株式会社であり、現在は欧文でTOYO TIRE株式会社と表記する。だがここでは親しみを込めて、トーヨータイヤと呼ばせていただく。
そう、そのトーヨータイヤはのちに、オーバーオールを狙うクラス1に挑戦。世界で圧倒的な強さを誇っていたフォード・シエラで大活躍した。
1987年と1988年は2年連続で全日本ツーリングカー選手権の総合王者に輝いている。その後日産スカイラインGT-Rが登場するや否や、トーヨータイヤも最強マシンにスイッチ、トップ争いを演じた。1992年の鈴鹿戦と1993年の富士インターテックで勝利している。特に、雨にたたられた鈴鹿での激走は記憶に残る。僕もスカイラインGT-Rのコクピットからその走りを確認している。

当時は僕も、日産契約ドライバーとして全日本ツーリングカー選手権に出場していた。トランピオ・シエラが独走の時代に、僕はスカイラインGTS-Rで参戦、何度も辛酸を舐めさせられた記憶がある。
スカイラインGT-Rに移行してからは、ブリヂストンを履く僕とトーヨータイヤは勝ったり負けたりの勝負を繰り返した。
モータースポーツでのトーヨータイヤの活躍は、トランピオのイメージを高めることに成功。技術力の証明にもなった。

だが、撤退も経験している。多くの企業がバブル崩壊の影響を受けると、さすがのトーヨータイヤも経済的な荒波に翻弄され、トップカテゴリーから姿を消した。一切のモータースポーツ活動から手を引いたわけではないが、華やかな舞台でトーヨータイヤの名を耳にする機会は減った。

茨の道を選んだ

復活の狼煙が上がったのは、トーヨータイヤがトップカテゴリーから身を引いてから13年目の2009年。日進月歩で技術が進化していくタイヤ業界の中にあって、13年のブランクはあまりにも長く重い。だが、トーヨータイヤはトップブランドへ回帰することを諦めることはなかった。
その志に一点の曇りもないことは、欧州の耐久レース挑戦というトリッキーな形で復活したことで証明されたように思う。実はその時である。僕がトーヨータイヤと密接な関係を持つに至ったのは。ときに海外レースにも積極的に参戦していた僕に、ドライバーとしてのオファーが届いたというわけだ。
トーヨータイヤの参戦形態は、やや個性的なものだった。日本国内のカテゴリーにワークス参戦するわけではなかった。欧州のシリーズ戦に年間を通じて戦うのでもなかった。欧州とアジアの、特別に長い耐久レースだけに参戦するというスタイルだったのだ。

ニュルブルクリンク24時間(ドイツ)
セパン12時間(マレーシア)
ハンガロリンク12時間(ハンガリー)

そしてテストには、難攻不落なザントフォールト(オランダ)が含まれていた。
寒暖の差が激しく、ときには氷雨に見舞われるニュルブルクリンクは環境的に過酷である。もはや語る必要もないかもしれないが。世界一過酷とされるノルドシュライフェは、タイヤに牙をむく。
灼熱のセパンはもちろん、タイヤの耐熱性が試される。亜熱帯気候特有のスコールに見舞われることも少なくない。ニュルブルクリンクと同様、スリックタイヤでウエット路面を走る場面も想定される。タイヤにとっては酷な環境なのだ。
ハンガロリンクのコーナーは深くえぐられており、路面のサーフェスは悪い。グリップや操縦安定性だけではなく、耐摩耗性が試される。そう、トップカテゴリーに復活するのは13年ぶりだというのに、わざわざ過酷な環境を選んで参戦したのである。

しかも、マシンはポルシェ911GT3だった。
理由は明快である。
「ミシュランが参戦しているからです」
当時のプロジェクトリーダー加藤達也エンジニアの言葉が分かりやすい。
当時からポルシェは一大勢力を形成しており、ツーリングカーのトップに君臨していた。競合となるタイヤメーカーの多くが、ポルシェに適合させワークス参戦していた。特に、ミシュランが圧倒的な存在であり、常勝の名を欲しいままにしていた。世界最大手のタイヤメーカーらしく、その性能は頭抜けていた。つまりトーヨータイヤは、世界トップに君臨しているタイヤに正面から挑むことで、仮に、13年のブランクにより性能的に届かないところがあるのならばそれを理解し修正する。あえて茨の道を選んだのだ。
ライバル不在のカテゴリーで復活し、トーヨータイヤのモータースポーツ復活の狼煙を華やかに彩る道もあったかもしれない。だがあえて過酷な道を選んだ。そのチャレンジをいとわないスタイルは、いかにもトーヨータイヤらしいのである。

ふたたびの復活から…

ただ、そのプロジェクトも数年で終了。表舞台での活躍はD1とオフロードに移行、サーキットレースでの活躍を耳にする機会は減った。かつてトーヨータイヤと同じ釜の飯を食い世界を転戦した僕も、寂しさを抱いていたのである。
だが、トーヨータイヤは技術力向上の研鑽を辞めてはいなかった。NLS(ニュルブルクリンク・ロングディスタンス・シリーズ)への参戦を続けていたのだ。そしてその参戦は成績として形になった。あのノルドシュライフェを使うニュルブルクリンク・セミ耐久ラウンドでの勝利が報告されたのである。
マシンはトヨタ・スープラGT4である。
TOYOTA GAZOO Racingも、NLSをニュルブルクリンク24時間の前哨戦と捉えており、たびたび参加している。今年のNLS4戦・6戦には、LEXUS LCとGR86の2台のマシンを送り込み、開発テストの場として挑戦している。
わざわざ過激なレースを選び、自己研鑽に励むトーヨータイヤのスタイルと、人を鍛えクルマを鍛えるためにニュルブルクリンクへの参戦を続けるTOYOTA GAZOO Racingとは志が重なるのだ。

実は今年のNLS第8戦に僕は、そのトヨタ・スープラGT4で参戦することになった。開催は10月21日〜22日である。
「久しぶりにうちのタイヤでレースしてみませんか」
トーヨータイヤから僕に素敵なプレゼントをいただいたのは最近のこと。
慌ててスケジュール帳を開いてみると、すでにその日はいずれかのチームからのオファーのために日程を空けていた。朗報を待ちわびていたのだ。
かつてブルーの「トーヨースーツ」に身を包み、そしてそのプロジェクトが終了したときに僕は、走りの魂はトーヨータイヤに預けてきていた。その扉を再びそっと開けてみることにしたのだ。

キノシタの近況

心地よい秋晴れはライダーにとって最高の季節です。ガレージにしまっておいたホンダGB350を引っ張り出し、ソロツーリングすることにした。水冷単気筒が低回転で奏でるサウンドを路面にひとつひとつ置くようにして走る。のんびりと走るのも気持ちがいい。

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