レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

332LAP2023.01.25

レースの興奮は速さに比例するのか?

動画サイトを巡っていたら第一回日本グランプリの映像に巡りあえた。1963年のこと。今から60年前である。日本は高度経済成長期のまっただ中にあり、自動車産業の黎明期。そこではスズライト・フロンテやトヨタ・パブリカが激走していた。だが、驚くほど遅い。だが、とても興奮できた。これまで数々のマシンを走らせてきた木下隆之が、レースにおけるスピード論を展開する。

日本の黎明期

日本における世界的サーキットレースの幕開けとも言える第一回日本グランプリが開催されたのは1963年。舞台となった鈴鹿サーキットは、その前年に完成していた。日本初の本格的レーシングコースには、様々なマシンが集結。約20万人の観客が詰めかけたという。
クラスは、マシンの性能により10に分けられていた。もっとも排気量の小さいクラスはC-Iの400cc以下。当時360ccに制限されていた軽自動車が主体だった。
C-Iクラスの参加台数は14台。1958年にデビューしたスバル360とマツダクーペ、そして1955年にデビューしたスズライト(現スズキ)のフロンテが出場。フロンテが優勝を飾っている。

約20万人の観客が見守る中でスタートが切られたのだが、速度はとても遅い。
というのも道理で、当時の360ccエンジンは、最高出力はせいぜい15馬力程度であり、最高速度も50km/hから80km/h。レース用にモディファイされていることから、トップスピードは約90km/hと報道されている。まさに、テケテケテケとゆったりとしたサウンドを響かせてのレースだったのである。
当時のリザルトによると、ポールポジションを獲得したスバル360のタイムは「4分00秒9」。ファーステストはフロンテが記録した「3分58秒1」だ。現在の鈴鹿サーキットとは若干レイアウトが異なるとはいえ、およそ6kmのコースを4分もかけてテレテレと走った。それはもう、疾走するとか激走とか、そういった表現が不釣り合いなほどのんびりとしている。
昨年のスーパーGT鈴鹿戦で、GT500を駆る国本雄資がスープラで記録したタイムが「1分44秒112」だ。GT300ではBMW Team Studieが「1分56秒743」を記録している。スバル360が一周をする間に、国本は2回も追い越し、3回目のパスをしようというタイム差である。
スーパーGT500の最高速度は300km/hを越える。国本がスバル360を抜き去る時の速度差は最大で210km/hもあるから、一瞬の出来事であろう。追突の危険性すらある。

排気量1000cc以下のC-Ⅲクラスは、トヨタ・パブリカの独占だった。レジェンドドライバー・細谷四方洋さんが3位になっている。
ただし、ラップタイムは「3分36秒7」。スバル360よりも約30秒も速いとはいえ、今の感覚からすれば遅い。
では、当時のレースが観客の興奮を誘わなかったかといえば、答えは否である。牧歌的な雰囲気ではあったけれど、サーキットは熱狂に包まれた。
第二回日本グランブリでは、さらにレースは本格的になった。箱型セダンの「プリンス54B」が、流線型のポルシェ904を抜いた伝説のレースが展開される。
だがそれでも、レースアナウンサーはこう実況している。
「凄いことになりました。200km/hを超える速度での競争です」
いまでは、1.5リッタークラスでもこれより速い。だがそれでも、世間は熱狂したのである。

そう考えると、レースの興奮とスピードは無関係なのかもしれないと思えてくる。あれほど熱狂的な信者を産んだS30箱型スカイラインGT-Rは、当時では最強の直列6気筒2リッターエンジンを搭載していたものの、最高出力は150馬力だった。筑波サーキットのラップタイムは約「1分20秒」だったという。いまではコンパクトハイブリッドでも記録できる数字である。
それでもサーキットは興奮に包まれた。「速さ=興奮」の公式は当てはまらないような気がするのだ。
速度が遅くても興奮したレースを上げればキリがない。

速さがどれだけ興奮を誘うのか

一方で、速度に比例して興奮する自分がいる。初めてF1が走る姿を観た時の興奮は、いまでも忘れられない。鈴鹿サーキットの裏ストレートでその瞬間を待っていた僕は、そのレースで最速タイムを記録したG・ベルガーの虜になった。130Rまでに速度は300km/hを優に超えていた。その速度をキープしたまま難所をクリアした勇者に一目惚れしたのである。
米国タラデガで観たNASCARの、あの尋常ならざる速度にも興奮した。フォーメーションラップが終わり、すべてのドライバーがスロットルペダルを床まで踏みつけた直後の爆発的な加速には心臓が破れてしまいそうな興奮を感じたし、なぜか涙が溢れ出して止まらなかった。
その理由が、鼓膜を突き破ろうとする爆音にあるのか、その速度にあるのか、あるいは音速の世界で戦いに挑む勇者への感情なのかはわからないけれど、少なくともあのスピードが感動の要素だったことは事実であろう。やはりレースで興奮するには、圧倒的なスピードが必要なのである。

スピードと感情バランス

論理が二転三転して大変申し訳ないのだが、スピードこそが興奮を誘うと言いながらも、絶対的な速度がすべてではないことも確かだと思う。
僕はたびたび、こんな質問を受けることがある。
「これまで何キロ出したことがあるんですか?」
 レーシングドライバーに対する代表的な興味であろう。
「309km/hです。レクサスLFAです。ニュルブルクリンクのストレートで記録しています」
そう伝えると、たいがい驚いてくれる。
「凄いですね」
やはりスピードは、たとえ数字上のことであってもインパクトがある。
ただし、僕はこういって興奮を冷めさせてしまうことがある。
「でも飛行機は800km/hで飛んでいますからね」
飛行機の800km/hを怖がる人はいない。だが地上の309km/hは恐怖を誘う。人間の感情に影響するのは絶対的な速度ではなく、相対的な速度なのだ。
レーシングカーには速度計がないことが多く、速度が表示されていてもドライバーはそれほど頓着しない。重要なのはラップタイムであり、区間タイムだからだ。瞬間的な速度より、継続的な時間なのだ。だから速度に対しては無頓着なドライバーが多い。

日本で初めて本格的なサーキットが稼働し、そしてそこで開催された第一回日本グランプリが興奮を誘ったのは、これまで観たことのない速度でのバトルだったからであろう。
G・ベルガーが僕の憧れのドライバーになったのは、僕が未体験の速度で130Rに飛び込む初めてのドライバーが彼だったからである。僕の中では相対的に、彼の存在が際立ったのである。
NASCARが僕の涙を誘ったのも、あれほどの爆音を響かせながら340km/hオーバーで疾走するマシンを初めて観たからである。
ちなみにNASCARでは、サポートレースは開催されない。決勝レース前にウォーミングアップすらない。「Start your engine」のコールとともに全車が咆哮を高め、わずか一周のフォーメーションラップの直後に超音速バトルが始まるのだ。
「観客の皆さんにウォーミングアップを見せてしまったら、スピードに慣れてしまいますよ」
NASCARのオーガナイザーが、こんな話をしてくれたことがある。
そしてさらに、NASCARの魅力のひとつは圧倒的な速度にあるという。そう、スピードが与える興奮を巧みにコントロールしているのだ。だから世界一のモータースポーツ興行でありつづける。

実はかつて、陸上選手のトレーニングシーンを見たことがある。トラックは民営の競技場だったから、直近でその姿を観察する機会に恵まれた。
その速さは驚異的だった。馬が走ってきたのかと見紛うばかりの速度感だった。とはいえ、人間だからせいぜい40km/h程度であろう。

長野で開催された冬季オリンピック「男子スピードスケート500m」を観戦する機会にも恵まれたことがある。清水宏保が金メダルに輝いたあのレースである。タイムは35分59。オリンピック新記録だった。
その速さは尋常ではなかった。およそ人間が足を氷につけて進む速度ではない。風圧に圧倒されそうな速度感である。
だが、冷めた言い方をするならば、クルマだったらもっと速く走れる。ファミリーカーですら金メダリストより速い。それでも感動した。興奮する速さは絶対的な数字ではないのだ。

写真 TAKENAO HAYASHI

キノシタの近況

トーヨータイヤのプロクセスアンバサダーに就任しました。「プロクセスは高性能フラッグシップタイヤであり、超ハイグリップのスポーツタイヤらしい性格でありながら、一方でクラウンに採用されていることでもわかるように上質な乗り心地も特徴です」って、アンバサダーとしての最初の仕事をさせていただきました。

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