レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

338LAP2023.04.19

「ワンメイクスペシャリスト」

レースを趣味と割り切り、サンデーレースを楽しむアマチュアドライバーの中には、トッププロドライバーを凌ぐタイムを叩き出す猛者もいる。通称「ワンメイクスペシャリスト」。小排気量の入門用マシンを操らせれば、脅威的な速さを披露するのだ。そんなドライバーを数多く見てきた木下隆之が分析する。

入門用カテゴリーからキャリアをスタート

古今東西、レースの入門用カテゴリーはツーリングカーと相場は決まっている。将来のF1を目指すと言う強い意志と志を持つドライバーは、レーシングカートから扉を開く…、と言うステップアップの筋道がないわけではないが、趣味性を含んだ入門パターンは、例えば日本ではヤリス(ヴィッツ)や86、あるいはロードスター。海外に目を移せば、ゴルフやポロやBMW318iあたりからレースの世界に足を踏み入れることになる。

僕が若い頃も同様で、関東在住のドライバーの定番は「富士フレッシュマンシリーズ」が王道だった。あるいは筑波サーキットで展開されていた入門用シリーズを選ぶ。
レーシングカートから上を目指すルートは当時まだ確立されておらず、レーシングカートはカートコース、サーキットレースはサーキットからが暗黙の決まりごとのようだったように思う。鈴木利男選手や鈴木亜久里選手のように、レーシングカートから本格的なサーキットへ移行し大成したドライバーもいなくはなかったが、レーシングカートとサーキットレースの親和性は薄かったのだ。

だから、上を目指すのならばサーキットからスタートするのが一般的。つまり、富士フレッシュマンや筑波サーキットシリーズなどの「箱レース」からのステップアップを目論むことになる。
安価なクルマをベースに、ロールケージやバケットシートといった必要最低限の安全装備を組み込んだだけのローパワーの市販車が入門用となる。そこから成績を残しながら、少しずつ階段を登っていくのである。

あえて勝たない…

とはいうものの、ローパワーだからといって侮れない。確かに上位カテゴリーと比較すればラップタイムは遅く最高速度は低いかもしれないが、ローパワーにはローパワーの特殊な走り方があり、ビックパワーの激辛マシンを扱えるからといって、それが通用するとも違うからドライビングとは面白い。
トッププロドライバーが入門用のローパワーマシンで速いかといえばそうとも言い切れない事案が発生する。逆に、相対的にローパワーマシンで速いからといって、ピックパワーをコントロールできるかといえばそうとも言えない。
レース界のヒエラルキーで言えば、ローパワーからビックパワーへ階段を登っていくのが典型的なパターンではあるものの、親和性がありそうで実は異なるカテゴリーでもあるのだ。

僕の本格的なレースデビューは「富士フレッシュマン」だった。
資金的に許されたのが最も安価な「P1300」クラスだったから、選択肢は多くなく最もリーズナブルなクラスからのエントリーだった。1300ccクラスであり、実質的にはKP61スターレートのワンメイク状態である。
富士フレッシュマンには排気量に序列によって様々なカテゴリーがあり、1600ccクラス、2000ccクラス、無別級フルオープンクラスなど、たしか週末に8クラスほどのレースが開催された。
それが10周ほどのスプリントだった。サーキットレースも賑わっていたから、P1300クラスなどは70台ほどのエントリーを数えた。予選は2クラスに分かれて行われ、上位40台が第一レースへ進出、それ以外は第二レースに回される。いわば予選落ちレースである。予選に落ちたからといってレースをせずに帰ることもがなかっただけでも温情だろう。

そんな激戦なゆえに、ワンメイクスペシャリストと言う猛者が現れる。「このカテゴリーで10年」という常連が少なくなかった。
ほとんどのレースで表彰台に立っていた。だから名は知れていた。もはや「ヌシ」であろう。
だが、そんな速いのだったら、とっととステップアップすればいいものを、当人はプロの世界に駆け上る気はなく、この世界に留まることを喜びとしている。週末のレースを楽しみ、トロフィーや商品を持って帰るのを楽しみとしているのだ。

ゴルフのシングルプレーヤーなのにプロテストを受ける気もなく、サンデーゴルフを楽しんでいる御仁のように、だ。プロでは通用しない。だがアマチュアではトップでいられる。そう達観しているのかも知れない。サンデーレーサーはそれと似ているのだ。

実は、あえて勝とうとしないドライバーもいた。当時の富士フレッシュマンの規則では、シリーズチャンピオンを獲得すると次年度はそのカテゴリーの参加が許されなかった。常連を排除するためである。新陳代謝を促した。つまり、主催者側も「ヌシ」の存在を認識していたということになる。
だから、シリーズ前半の期間は精一杯戦い、優勝したり2位だったり3位だったりと表彰台の常連になる。だがシリーズ後半は、シリーズランキングを計算しながらポジションを調整する。優勝多数でありながら、シリーズランキング2位。そして来年も勝ちまくる。これがステップアップを望まぬサンデーレーサーの理想の姿なのだ。
「勝ってからステップアップをしようなんて考えない方がいいよ。ヌシがいるからね」富士フレッシュマンをよく知るドライバーからそう忠告されたことを思い出す。

特殊芸

現役のワンンレーススペシャリストが存在する。
年に一度マツダは「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」を開催する。主要メディアがチームとなり、編集部員やらプロのドライバーを組み合わせて4時間の耐久レースを戦うのである。燃料の総量規制があり、エコランの形態である。
だが、予選は全開あるのみ。速い順にグリッドが決定するのは一般的なレースと違いない。となれば、プロドライバーが予選上位を独占すると想像するのが筋だ。

蓋を開ければ、ワンメイクスペシャリストがポールを獲得する。著名なプロドライバーではなく、ロードスターのパティーレース、つまりビギナー用のサンデーレースでの上位ドライバーが、招聘されたプロドライバーを撃破するのである。
実は僕も毎年このレースに参加している。チームは気をつかって、僕を予選アタッカーに指名してくれる。だが一度も彼らに勝てたことがない。しかもメディア対抗という性格上、多くの業界関係者が注目しているわけで、ここでの成績が今後の執筆活動に影響する。いわば助っ人の立場だから、手を抜けない。だから気を張って真剣にタイムを削りにいく。だが、結果は惨敗なのだ。
同様に招聘された多くのプロドライバーをぶっちぎりタイムで抑えて、堂々とポールポジションを奪ってしまうのだ。
「どうやって走っているの?」僕らは首をかしげる。
コース脇で観察しても、特に驚くような走り方をしているわけではない。いたって普通に走っているだけである。だが、ストップウオッチが表示した数字は僕らを上回っている。
おそらく常識にこだわる僕らの固い頭では思いつかない走り方をしているに違いないのだ。だがそれがわからないのだ。
ワンメイクスペシャリストは存在するのだ。

かつてのガズーレーシングで富士24時間に出場した時の顛末が滑稽である。
我々ガズーレーシングは2台の86を投入した。ドライバーも、錚々たるメンバーを組み合わせた。影山正彦、石浦宏明、大嶋和也、佐藤久実、井口卓人、松井孝允、蒲生尚弥、そしてぼく。さらにひとり、86ワンメイクレース「ビギナークラス」のシリーズチャンピオンドライバーを、シリーズ制覇のスカラシップで起用したのである。
ここで驚くことが発生した。予選は全てのドライバーがアタック。トップタイムを記録したのはそのスカラシップドライバーなのである。
言い訳はない。全日本F3シャンピオンもスーパーGT500チャンピオンも、ニュルブルクリンク優勝ドライバーも、スーパーフォーミュラーでP・ガスリーを破ったチャンピオンも…。全員が86スペシャリストに負けたのである。
ピットでモニターを眺めていた僕らは、無言になって見つめ合った。ワンメイクスペシャリストは存在するのである。

ヴィッツレースを観戦していた驚かされたことがある。ツインリンクもてぎ(当時)で開催されていたワンメイクレース。
トップを走るドライバーは、1コーナーの侵入でアウト側の縁石にタイヤをのせて、ヒョイっとマシンの向きを変えていた。
ビックパワーに上位カテゴリーになればそこはすでに、ハードブレーキング中であり、縁石にタイヤをのせれば姿勢は不安定になる。だがヴィッツではまだ全開加速中であり、コース幅を広く使うには得策なのだ。ローパワーマシンを極めていたのだ。

筑波サーキットのFJ1600を観戦していて驚かされたことがある。ヘアピン立ち上がりのエンジン音が不自然なのだ。クラッチが滑っているような、エンジン音の抑揚がある。
聞けばコーナー立ち上がりで半クラッチを使っているという。エンジン回転が下がりすぎるために、半クラッチによってエンジン回転を高める。パワーバンドにはめることで加速を有利にするというのだ。

そんな特殊な操作は、いくらプロドライバーが乗ったとしても初見で気がつくことではない。まさにワンメイクスペシャリストならではの特殊技である。

僕がデビューした時に先輩が教えてくれた教訓。
「勝ってからステップアップするなんて考えない方がいいよ。イケると思ったらさっさと上にあがりなさい」
あの言葉は今も耳について離れない。
ワンメイクスペシャリストはもはや芸である。

キノシタの近況

NLSニュルブルクリンク4時間耐久の第2戦と第3戦のために、かれこれ一ヶ月ほどニュル村(ドイツ)に滞在している。
コンテンポラリーでの参戦ではどこか観光客扱いされてしまうのだが、そろそろなじみ始めている。
我々TOYOTIRES GRスープラGT4は3位と6位というまずまずの成績なのだが、これから上昇気流になれそうな気配が漂う。
次戦は24時間です。応援よろしくお願いします。