341LAP2023.06.08
「海外で言語は必須なのか?」
日本人が世界で戦うのに、一つの障害となるのが言語です。日本チームからの参戦でしたらそれほど問題にはならないのだろう。だが、外国籍のチームとなると言葉の問題が壁となって立ちはだかる。そんな課題に、ドイツチームに所属して戦う木下隆之は、どう対応したのだろうか?
海外で戦う中で…
「ドイツ語は話せるのでしょうか?」
ニュルブルクリンク近郊にガレージを構えるチームに所属し、レースを戦うことから、こんな質問を受けることは少なくない。しかも、基本的には日本人は僕ひとり。チーム監督をはじめエンジニアやメカニック、あるいはコンビを組むドライバーも、その多くがドイツ人なのだ。
僕はトーヨータイヤの全面的なサポートを受けており、タイヤ開発の意味合いも濃い。トーヨータイヤ欧州事務所に所属する日本人メンバーがレースには帯同しているのだが、基本的にはドイツ色の強いチーム構成である。だから当然のこととして、言語は欠かせない。
だが僕は、残念ながらドイツ語は堪能ではない。レストランで好きなシュニッツェル(ドイツ流豚カツ)やシュパーゲル(白アスパラ)等の名物料理をオーダーすることや、スーパーマーケットでヴァッサー(炭酸水)やヴルスト(ウインナー)を購入することはできるのだが、つまり日常の簡単なドイツ語しか話すことができない。そんなドイツ語レベルだから、レース中の難解なやりとりを交わすことなど不可能なのだ。
となれば頼るのは英語である。といってもその英語力も、英検やTOEICといった検定に当てはめれば誇れるものはない。幸いに海外経験が少なくないから、日常会話には不自由しないものの、複雑な意思疎通は決して簡単ではないのだ。
それでも、これまで欧州各地の外国チームでレースを経験してきたのだから、無鉄砲だと言われても返す言葉がない。
海外経験から学んだもの
1990年からスタートした欧州詣はまず、イギリスのヤンスピードに単身加わってのレースだった。ニュルブルクリンクに挑み、スパ・フランコルシャンにも挑戦した。BTCC(ブリティッシュ・ツーリングカー・チャンピオンシップ)の日産プリメーラの開発にも携わった。プロデュースは当時所属していたニスモが担当したのだが、往復のエアチケットを手渡されただけで、一人旅だった。
「ニュルブルクリンクでイギリス人のスタッフが待っているはずです」
そう言われただけでニュルブルクリンクを目指したものの、気がつけはニュルブルクリンクではなくニュルンベルグだったという珍道中。ヤンスピードかと思ってガレージの門を叩いたら、そこはザクスピードだったというオチまでついた。
ドイツホンダのNSX-Rでニュルブルクリンクに挑戦したシーズンは数年間に及ぶのだが、そこでも単身での活動だった。成田空港から空路ドイツに飛び、フランクフルト近郊のホンダ事務所に移動し、守衛になんとか事情を説明して社用車を拝借、トコトコとアウトバーンを走ってニュルブルクリンクに到着したのは深夜だった、という経験もしている。
ガズーレーシングタイランドに派遣され、レースを戦ったのは1年や2年ではない。英語、ドイツ語、タイ語…。さまざまな言語に翻弄されてきた。ほとんど、バックパッカーの気分である。
世界共通言語
それでもなんとか乗り切ってきたのは、レース用語は基本的に世界共通だからだ。
エンジンのことをモーターと呼び、ガソリンではなくペトロ。テールスライドではなくサイドウエイ。オーバーステアではなくタイト。アンダーステアではなくルーズ。多少の表現の違いはあるものの、タイヤはタイヤだし、ブレーキはブレーキである。大概は通じるものだ。
まして、レース中に難解な会話がなされるはずもない。少なくとも「君は日本の金融情勢をどう思うのか?」であったり「君は両親に感謝の気持ちを伝えているのか?」などと聞かれるはずもなく、「クルマの調子はどうだ?」であったり「コースはクリアなのか?」が相場だろう。
レース中はドイツ人監督との会話になるから、事前にやりとりするであろう情報を確認してから走り出している。
燃料消費量。タイヤのコンディション。エンジンの調子。ピットインのタイミング…。
けたたましい爆音の中、一周25kmもある山の中のノルドシュライフェで、無線通信が明瞭であるはずもないが、「フュー※ル・コン※◁★ション」と言われれば燃料消費量を知りたいのだなと想像できるし、「ボック※、※ックス」と言われればピットインの指示だろうと判断できる。
しかも救いなのは、こちらの言語レベルに合わせて会話をしてくれることだ。特に幸いなのは、チームがこれまで多くの外国人とレースをしてきた経験が作用する。日本人にとってはドイツ人もイギリス人も外国人だが、同様にドイツ人にとっては日本人もオランダ人も外国籍なのだ。島国日本の慣習では、日本語が話せるか否かの二択だが、地続きのドイツでは言語が100%通じない環境には慣れている。日本人だからと、さして困っている節はない。
海外のレース、とりわけF1のようなインターナショナルのレースでは、少なくとも世界共通言語である英語を流暢に話す必要がある。だが、それとて、国によって言語レベルには差がある。記者会見やインタビューを聴いていると、それぞれのお国訛りが酷くても、堂々と話している。そう、堂々と話すことが大切なのだ。
僕にとって幸いだったのは、英語を母国語としないチームで多く戦ってきたことだ。イギリスのチームはさすがに流暢すぎて理解に苦しんだものの、アメリカ語のように舌を巻いたり鼻で抜いたりすることが少ないから理解しやすい。
かつて、全日本ツーリングカー選手権でコンビを組んでいたスウェーデン人のアンダース・オロフソンは、母国が英語ではないこともあって、会話は理解しやすかった。発音の癖がカタカナに近いこともあり、しかも、複雑な言い回しを避けるから、話がはずんだ。ドイツ人も同様で、彼らが話す英語は理解しやすいのである。
嫌なことは聴こえない
じつは、現地の言葉がわからないことにもメリットがある。ピットやガレージで交わされている内容には聞きたくないことも含まれているはずで、それが届かなことで気分が爽やかなのだ。
悪口や不満、チームの媚びるような会話、人を蹴落とそうとする画策。言語力が高いと、好むと好まざるとに関わらず、耳にしたくない会話も理解できてしまう。ところが、ドイツ語が不調法なことで、レース界を美化することができるのだ。
僕の悪口が交わされていたとしても、僕は気づかない。だから不快に思わない。持って生まれた鈍感力の賜物かもしれないのだが、ドイツ語が話せないことにもメリットはあるような気がしている。
マシンセッティングに関してなど、細かいニュアンスを伝えることができない分、現象を少ない言葉で表現しようとする。じつは、これが混乱を避けることがある。
「高速コーナーにフワッと身を投げ込むように挑んだときに、フロントグリップが落ち着くまで曖昧な感覚なんだ」などと文学的な表現をするわけもなく、「ハイスピードコーナーでグリップゲインが遅い。それを治してほしい」と口が意訳する。
しかも、万国共通の身振り手振りを交えれば、ほとんど場合、現象と要求が正確に伝わるものだ。
ともあれ、言語が流暢であることに越したことはない。複雑な現象をもっと深く正確に伝える必要があるときには、高度な言語力が求められるはずだし、そもそも日頃のコミュニケーションが豊かになるからだ。
言葉が苦手であることに萎縮する必要はないが、言語が豊かであることが有利には違いない。
キノシタの近況
ニュルブルクリンク24時間から帰国して、いまだに時差ボケが抜けない。しかも、気持ちはまだニュルブルクリンクにあるようで、日本でしなければならない業務に身が入らないのだ。それでも次回のニュルブルクリンクまで乗り切ります(笑)