389LAP2025.06.11
「コーナーに宿る記憶、そして物語——サーキットは語りかける」
サーキットというのは、ただのアスファルトの曲線ではありません。それぞれのコーナーに刻まれた歴史、ドライバーたちの葛藤、歓喜、悲劇、それらすべてが折り重なって、ひとつの“物語”になっているのです。そんな物語を抱えながら、今日も僕らはステアリングを握ります。
名前が語るもの
僕らのように長くサーキットを走ってきた者にとって、コーナーの名前は単なる目印ではありません。そこには緊張感や高揚感、そして時にはほろ苦い記憶さえも呼び起こす力があります。
鈴鹿サーキットの難所「130R」もそのひとつです。名前の由来は、旋回半径が130mであることですが、改修が重ねられた今、実際に130mかどうかは少々怪しいものがあります。でも、そんなことはどうでもいいんです。「130R」は、130Rなんです。
裏ストレートから迫ってくるこの左高速コーナーは、多くのドライバーを魅了し、同時に幾人もの勇者をクラッシュに引きずり込んできました。攻めるには歯を食いしばり、恐怖に打ち勝つ覚悟が必要なコーナーです。そこを抜けるたび、僕らは「まだ生きている」と実感するのです。
富士スピードウェイの「100R」もまた、名物のひとつです。こちらも名の通り旋回半径が100mの右コーナーです。サーキットがF1を誘致するために大幅なレイアウト変更をした際にも、この100Rだけはしっかりと残されました。富士にとって、このコーナーは守るべき“魂”だったのでしょう。
記憶を抱えた名
サーキットには、ちょっと切ない背景を持つコーナーも存在します。
鈴鹿サーキットの西コース、ヘアピンからスプーンに至る高速右コーナー、正式には「200R」ですが、僕らの間では「まっちゃんコーナー」と呼ばれています。
これは、耐久レース中に松永選手が命を落とした場所だからなのです。以来、彼を偲ぶ意味でもその名で呼ばれ続けています。公式名称ではないかもしれませんが、僕らにとっては「まっちゃんコーナー」こそが本当の名前。そう呼ぶことで、彼の魂とともに走っている気がするのです。
鈴鹿の「デグナー」も似たような由来を持っています。1962年、東ドイツの名ライダー、エルンスト・デグナー選手がこのコーナーで転倒したことにちなみ、そう名付けられました。当時はひとつの高速右コーナーだったものが、現在では15Rと25Rに分かれています。それでも、その名はしっかりと受け継がれています。
ネーミングライツの波
時代の流れとともに、コーナー名も変化していきます。
最近では、企業や商品名を冠したネーミングライツが、サーキットのコーナーにも導入され始めました。鈴鹿サーキットのシケインはかつて「カシオトライアングル」として親しまれていましたが、日立オートモーティブシステムズ社が命名権を取得してからは、「日立オートモーティブシステムズシケイン」となりました。
実況アナウンサーがこの長い名前を正確に繰り返すたびに、舌を噛み切りそうになるのではと心配になりました。
「おっと、日立オートモーティブシステムズに侵入した二台が接触、一台は日立オートモーティブシステムズシケインでスピン、もう一台は日立オートモーティブシステムズシケインでクラッシュだぁ!」
もはや、実況というより早口言葉の訓練かと思えるような光景でしたね。
とはいえ、こうして僕がいまこの場で「日立オートモーティブシステムズ」の名をネタにしているわけですから、話題性という意味では大成功だったのかもしれませんね。
企業色の中で
富士スピードウェイも命名権の嵐です。「1コーナー」は「TGRコーナー」、「最終コーナー」は「パナソニックコーナー」、その手前には「プリウスコーナー」があります。
テレビ実況では正式名称を使うのが基本ですから、これらの名称は耳にする機会も多いですが、僕ら走り手の中では正直あまり浸透していません。「TGRでクラッシュした」より「1コーナーでやっちまった」の方がしっくりくるのです。呼びやすさ、語呂の良さ、そしてなによりも“通じる”という実用性が大切なんですね。
岡山の洒脱さ
岡山国際サーキットは、その点で秀逸です。命名権に頼らず、魅力的な名前を守り続けています。
「ファーストコーナー」「ラストコーナー」という基本に忠実な名称のほか、「ウィリアムズ」「マイクナイト」「モスエス」「アトウッド」「リボルバー」など、どれも由来や響きに個性があって、まるで文学作品の登場人物のようです。これらの名は、コーナーそのものの個性を際立たせ、ドライバーの記憶にも鮮烈に残ります。
ニュルブルクリンクの深み
ニュルブルクリンクは、その最たる例です。1927年開業のこのコースは、コーナー名ひとつひとつが“語り部”のように過去を語ります。
「カルッセル」は、回転木馬のような形状から名付けられましたが、正式には「カラツィオラ・カルッセル」。かつての名ドライバーの名を冠しているのです。「ティアガルテン」は、かつて家畜を埋葬した場所に由来します。「ハッツェンバッハ」はコースに沿って流れる小川の名、「ホーホアイヒェン」は高い樽の木の意。
「フルーグプラッツ」は飛行場跡、「フックスレーレ」は排水管で命を落とした森の狐、「メルゲツフェルド」は地元地主の名、「エックスミューレ」は水車小屋、「ベルクヴェルク」は鉱山跡、「クロスタータール」は修道院の谷、「ウイッパーマン」は路面のねじれを表す……。
このように、地名・歴史・自然・人々の営みすべてが、コースの一部となっているのです。ネーミングは、ただの記号ではありません。それは記憶であり、物語であり、敬意でもあります。
時代が変わっても、商業化の波が押し寄せても、僕らドライバーの心に残るのは、やはりあの時感じた恐怖や高揚、その瞬間のコーナー名です。
名前に刻まれた思い出とともに、僕は今日もアクセルを踏み込むのです。舌を噛むような長い名前のシケインも、狐の名を持つコーナーも、すべては一枚の風景画のように、記憶に色濃く残っていくのです。
そして、いつか僕の名前も、ひとつのコーナーになってくれたら——なんてね、ちょっとだけ夢見てます。
キノシタの近況
ニュルブルクリンク24時間の前哨戦とも言える春の4連戦から帰国しました。ドイツ滞在は40日に及びましたが、ホームシックになることもなく、物足りないほどでしたね。成績も上昇中で、3位→2位→2位→優勝です。期待できますね。