レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

393LAP2025.08.12

「灼熱のグラウンドとコックピットで──スポーツに訪れた“熱き改革”」

夏といえば、なんといっても汗と涙と歓声が交錯する高校野球。そして、灼熱のサーキットで繰り広げられるモータースポーツ。だが今、どちらの世界にも「持続可能性」という新しい風が吹いています。気温40℃超えの時代に、命を懸けるアスリートたちを支える改革を、これまで数々の酷暑のレースを経験してきた木下隆之が語ります。

高校野球は“青春”の象徴から“進化”の象徴へ

照りつける太陽。鳴り響く声援。真っ黒に日焼けした球児たちが、白球をひたむきに追いかける――。夏の高校野球は、太陽と汗、そして涙と喜びが交錯する、まさに青春の象徴とも言えるスポーツですね。

夏になると、高校野球を観戦するのが楽しみなんです。僕が住む神奈川県の地方大会には2度も足を運びました。身内がいるわけでも活躍しているわけでもありませんよ。ただただ観戦するだけです。

決勝戦は、横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムで開催されました。もちろん観戦に行ったのですが、これほどの大舞台でかつ大観衆と酷暑の中、堂々とプレーする選手たちの頼もしさに感動しましたね。

私も幼い頃、多くの小中学生がそうであるように、野球に夢中になりました。若さゆえの無邪気さで、将来はプロ野球選手になるのだと信じ込み、それなりに過酷な練習にも耐えていたものです。中学を卒業する頃には、才能がないことに気がつき、あっさりと諦めましたが・・・。

そんな高校野球が、今、歴史的な転機を迎えています。かつて「精神力と根性」の象徴とされたこのスポーツも、時代の変化とともに進化を遂げつつあるようです。

背景には、地球規模の気候変動があります。夏の甲子園といえば、照りつける太陽と、グラウンドを走り回る選手たちの汗が名物でした。しかし近年の酷暑は、もはや美談では済まされない過酷さとなり、選手の健康を脅かす深刻な問題となっています。

野球は攻守交代があり、打席も9名が並びます。”間”があるスポーツです。むしろずっとグランドにいる審判の方が過酷のように感じますが、それでも鍛え上げられている、しかも若い高校球児が試合中に痙攣したり意識朦朧として倒れるのですから、環境としては過酷なのでしょう。

球児を守るための「猛暑対策」はここまで来た

そのため、試合開始時刻を朝や夕方にずらしたり、ゲーム中に「クーリングタイム」を設けるなど、選手への配慮がこれまでにないほど徹底されるようになりました。かつて「水を飲むな」「気合いで乗り切れ」と言われた高校野球が今、大きな転換期を迎えています。

改革はそれだけにとどまりません。連投による故障を防ぐため、投手の球数制限や登板間隔の見直しが進められ、トレーナーによるメディカルチェック体制も整備されつつあるとのことです。

さらに、ベンチ入りする人数を増やすことで選手の疲労を抑えたり、週に一度の休養日制度など、練習や試合の「常識」も変わり始めているらしいのです。

全国大会もいま華やかに開催されていますが、気温の高い日のゲームは、早朝に2試合を消化し、日差しの強い日中を避けて、夕方にもう2試合、といったスケジュールが採用されています。

奈良県立奈良高校は、日頃の練習は週休二日だそうです。それでも近畿大会に出場しました。東京都立小山台高校は、練習時間1時間の日もあるそうです。それでも地方大会ベスト8位になりました。時代は、スポーツも練習量ではなく「タイパ」なのかもしれません。

求められるのは、無理を強いる美談ではなく、選手の未来を見据えた持続可能な環境です。情熱は尊くとも、体はひとつ。かつての根性論に代わり、今は科学と配慮が球児を支える時代なのですね。

レースの現実は、走る鉄のサウナ地獄

いやはや、夏のレースも過酷ですよ。多くの人がイメージするのは、照りつける太陽の下、エンジン音を響かせながら駆け抜けるマシンの美しさ・・・かもしれませんが、その裏で、僕たちは、まるで鉄の棺桶に閉じ込められたような過酷さと対峙しているのです。

本当に暑い。いや熱い。世間は温暖化にさらされており、40℃だ41℃だと、観測史上最高気温を記録しています。挨拶は必ず「いや、暑いですねぇ」から始まる。そんな酷暑の中、トライバーの環境たるや尋常ではありませんよね。

気温35℃に達すると、路面温度はゆうに50℃を超えます。触れれば火傷をするほどです。そんな灼熱の世界で、ドライバーは全身をまるで柔道着のような分厚いレーシングスーツで包んだ上に、耐火アンダーウェアをまとい、さらにはフェイスマスクをかぶっています。冬のスキーだったら快適なのでしょうが、酷暑のなかでそれなのですから、その過酷さは想像に難くありませんよね。そんな環境で、やはり同様に未成年の若いレーサーが戦っているのです。

密閉されたコックピットに身を沈めるのですが、そのすぐそばには、数百℃の熱を発し続けるエンジンがあるワケです。もはやそこは、走る高温サウナです。

車内の体感温度は、60℃近くに達することもあります。ヘルメットの中は汗が滝のように流れます、視界が曇り、息は荒くなります。それでもアクセルを踏み、ブレーキを残し、コーナーへ飛び込むのです。判断力の一瞬の遅れがクラッシュにつながる世界なのです。暑さにやられている場合ではありません。

実際、真夏の耐久レースでは、1レースで3キロ以上体重が減るドライバーも少なくない。あれこれ節制しても痩せないのに、1回のレースで即・減量。ある意味、最もストイックなダイエットかもしれないのです。

サーキットで倒れる選手たち──極限との攻防戦

2023年、スーパーGT第4戦・富士。気温は35℃、路面温度は60℃を超え、パドックには熱気というより“熱波”が立ち込めていました。そんな中、GT300クラスのあるドライバーは、スティントを終えてマシンから降りるなり、ふらりとその場に倒れ込んでしまいました。

すぐにスタッフが駆け寄り、首筋に氷嚢を押し当て、水をかけ、座らせる。それでも彼はうわ言のように、「ブレーキが…見えなかった」とつぶやいた。視界がぼやけるほどの熱と脱水。にもかかわらず、1秒でも速く、1メートルでも前に出ようと戦っていた。

僕はかつて真夏のセパン12時間耐久レース(マレーシア)に、ポルシェ911GTで挑戦したことがありましたが、後半のスティントは意識が朦朧としていました。コース上にいるだけで精一杯で、ラップタイムは予定の10秒落ちです。それでも周りのクルマもフラフラとして走っており、ラップタイムには差がない。もちろん、いたるところでクラッシュが多発しました。幸いにして重大な事故にはならなかったのですが、異常な世界ですよね。

いやはや、そんな過酷な環境なのに、熱中症で命を…というような深刻なことはありません。若い高校生がスローテンポな野球でさえ倒れるのに、車内温度60℃を超えるなかで心拍数180越えのドライビングを1時間以上も続けているのですから、レーシングドライバーの体力もなかなかのものだと自画自賛します。

科学と配慮が支える「走れる身体」と「戦える環境」

ただし、ドライバーの尋常ならざる体力に(すが)っているだけではなく、レース界の改革は進んでいるようです。

たとえば、スーパーGTでは、ピットのクーリング用のファンを強化したり、コックピット内の換気システムを見直したり、さらには走行後のクールダウンルームを設置するチームも増えてきました。F1やWECといった世界選手権レベルでは、車両設計の段階から熱対策を組み込むのが常識になりつつあるようです。
また、ドライバーの体調管理も進化していて、心拍や体温のモニタリングや、さらにはトレーナーと連携したフィジカル管理など、まさに「科学で戦う時代」に突入しているようですね。
極限環境であっても、選手の安全とパフォーマンスの両立を目指す・・・。そんな持続可能なモータースポーツの姿が、今、確かに見え始めているのです。

モータースポーツは、クルマというスポーツの中ではもっとも先進技術が詰まっている道具を使うわけですが、ステアリングを握るドライバーの環境は意外に旧態依然としている。笑えますね。

もっとも、だから感動や笑いを誘うのかもしれませんが、そんな僕らの暑く熱い戦いを観戦してくださいね。

キノシタの近況

富士スピードウエイで汗だくになったその後にカート場で「追い汗」かいてます。暑い熱いと言いながら、なんだかんだ好きなんですよね。